» 総合学習のブログ記事

「わぁっ!!」
目の前のスクリーンに展開される映画に、観客は一斉に歓声を上げる。

会場は小布施町にある「まちとしょテラソ」の多目的室。座席はすべていっぱいで、客のほとんどが小中学生の子供たち。映画に登場するのはその子供たちとほぼ同年代の小学5年生ばかり。さらに驚くことに、この映画の制作者もスタッフもすべて小学5年生。

けれど、その映画は大人の私が観ても面白かった。画面から伝わってくるのは「熱意」。そして「真剣さ」。演技しているのはごく普通の小学生たちだから決して「上手い」とは言えないし、ハイテクを駆使しているわけでもないけれど、思わず引き込まれてしまう「魅力」にあふれていた。

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真っ暗な会場の中、ひしめき合った子供たちは画面に食い入るように見入っている。
目の前で展開する映画を観ているうちに、気になることがひとつ。

「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」
「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」

……あれ?映画から聞こえてくるセリフが、私の後ろからも聞こえてくる。まさかサラウンド?

後ろを振り返ると、まだ小学校の低学年ほどの小さな女の子が画面の言葉と同じセリフを、小さな声でつぶやいていた。さらに驚くことに、そのつぶやきは一句一語も違わず映画が終わるまでずっと続いたのだ。この子、一体この映画何回見たんだろう?セリフすべて覚えている。それもただの丸暗記じゃなく、画面の人物がセリフをいうタイミングや抑揚まですべてを再現していた。
すごい……この子にとってはそこまで深く刻まれる映画なんだ………。初めてここでこの映画に出会った会場の子供たちが夢中になるのもよくわかる。

「この映画は、子供たちの意欲で出来ているんです。みんなで原案を持ち寄って、機材を扱うのも、小道具大道具を作るのも、脚本や絵コンテも、演技もすべて子供たちがやりました。私はそれを合体させて仕上げただけ。」

そう語るのは麻和プロダクション製作総指揮者こと、松本開智小学校の麻和正志教諭。

小布施のまちとしょテラソの館長である花井氏は映像作家でもあるのだが、その花井氏がこの映画の上映会の情報を得て家族で松本まで見に行って感激し、小布施での上映会&講演会へとつながった。

5年生クラス全員で創り上げた映画。総合学習として取り組んだそうだが学校の多忙な時間割の中、これだけの作品を創り上げるには相当の手間と労力が必要だ。
さらに、すべての子が「みんなと一緒」に動くはずもない。機械の扱いにしろ、撮影技術にしろ、演技力にしろ、すべてが1からのスタートだ。ひとクラスの子供たちを動かすことでさえも大変なのに、どうしてここまで来ることが出来たのだろう?

「やれるものなら、やってみろ、最初はそこからでしたね。」

元々、漫画家になりたかった。「美術の勉強が出来る国立大学」として選んだのが信大教育学部の美術科……。気が付いたら、「学校の先生」になっていた。

けれど、大学祭で一度映画を作ってから映像への興味は尽きることなく、教員生活のスタートから映像作品を学校の行事に生かすなどして何らかの形で関わってきた。それはやがて「映画」へとつながり、地元松本では「映画の先生」として周知のところとなった。このクラスを5年で担任することになり、一年間の総合学習のテーマを考えたとき、「映画」は子供たちの中から自然と出てきたそうだ。

むろん、映画作りは時間がかかるしやったことのない子供たちには問題山積み。それに、他にも「やりたいこと」はあがっていた。けれど麻和教諭のとまどいを押し切ったのは子供たちだった。

「やれるものなら……」そうして、本格的な「映画作り」に昨年一年かけて取り組んだ。やる上で、先生は子供たちといくつかの約束をした。

「時間は守る。準備、片付けはきちんとする。他のクラスに迷惑はかけない。」そして……「映画を言い訳にしない。」

簡単なようだけれども、これはとても難しいことだ。子供たちはどうしても出来ないこと、忘れてしまうことがある。めんどくさいことからは逃げたい。(これは大人も同じだけど)。「○○があったから遅れました」というのはとてもいい「口実」だけれど、言いはじめたらきりがない。自分たちのことに夢中で、周りが見えなくなることもある。熱中して面白いことは、途中で止めて切り替えるのは難しい。それも、数人ではなくひとクラス。29人の「個性」を率いるのはかなり困難だ。

しかし、この約束の下に映画は完成し、上映会会場の松本市民芸術館の小ホールは2回の上映とも満員の客であふれ、「来年やるとしたら大ホールにしてください。」と会場にいわれるほどだったそうだ。

「ひとつやり遂げる中で、子供たちは『みんなでやる』姿勢が育ってきた。支え合う姿も。それから映画作りの中で『物の見方』も変わってきた。そして、映画を勉強しない理由にはさせないから、ちゃんと勉強もする。」

……これこそ、「総合学習」の狙う「生きる力」。

「総合学習で子供たちにどんな力をつけていくのかは教師自身が考えてアピールしていくべき。」「大きな舞台を用意すると、子供たちはちゃんと動く。ケンカやいじめをしている『ヒマ』なんか無くなります。」
「結局、生きるということやその目的は、真剣に放浪して捜すものだと思います。ゼロから出発して自分たちで………。」

麻和教諭のこの講演を聴きながら、わたしはものすごくこの「生徒たち」に会ってみたくなった。

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他県の学校はまだ当然のように夏休みの期間。けれどなぜか長野県の「休み」は短く、どんな酷暑でもエアコンも扇風機もない学校は窓を全開にしても蒸し暑さにつぶされそうになる。まして「夏休み」から「学校生活」への身体の切り替えがまだ出来ていない2学期のはじめは、生徒も先生も動くのがかなり辛い期間。

打合せ時の麻和教諭からのメールには「低学年では熱中症にやられる子も出ています、暑いのでお気をつけておいでください。」……うわぁ……。

学校に着くとわざわざ玄関まで迎えに出てくださった麻和教諭について教室へ。教室の入り口には去年映画で使ったべっこう飴屋の看板を掲げてあった。

「市民芸術館で『今年は大ホールに』といわれて、その予約の関係で2月には今年映画をやるかどうかをみんなで決めなくちゃならなかったんですが、全員一致で決まりました。」

子供たちの意志はもう一つだった。「もっといい映画を」「無駄な時間を作らないように」「去年失敗したり経験したりしたことを生かして」「大ホールがいっぱいになってそのお客さんが楽しんでくれるものを」「もう一度映画作りの経験をして卒業したい」

昨年度末に映画作りをするかどうかを決めたときの子供たちの決意。紙の上に踊るのはよりよいものをめざすみんなのやる気と、それから「来年度」にかける夢。
一度映画製作をしているので皆「やること」や「流れ」はつかめている。「次に描きたい世界」ももうそれぞれ持っていた。春休みの日記などを使って今年の構想が練られた。スタッフはすでに3月中に決まっていた。

教室の黒板の上には、「学級目標」「学校目標」にはさまれて「映画作りの目標」もかかげてある。映画はこのクラスの柱なのだ。

映画の「制作費」。機材はあるものを使うけれど、いろいろな道具は作らなくてはならない。それを稼ぐのも自分たち。学校のPTAバザーで子供たちは家にある「景品」を持ち寄って射的の店を出し「こんなに稼いでいいのかと思うくらいに」売り上げた。それから昨年の映画。DVDで販売する。その売上げも「次の映画」にむけての資金。ちゃんと昨年の活動が次の年につながっていく。それも大きな力となって。

教室は、普通の6年生の教室。台の上には、はにわなどのフィギュア。「歴史の勉強がありますから」と麻和先生。「映画製作」に関わるのだったらもっと道具でゴチャゴチャしているのだと思っていた。けれど、小さなロッカーにカバンや水着の袋が詰まっている……といった感じの小学生らしい雑然さはあっても「映画作っています」みたいな「特別感」は全くなかった。

しかし、その雰囲気は5時間目の開始と共にがらっと変わった。


今日の撮影シーンの確認。黒板の先生の説明を真剣に聞く。撮影場所でケガや事故がないようにとの注意も、多分聞き漏らした子はいないだろう。

そして「では、はじめよう」の声と共に生徒たちは準備を開始。大勢の子がすぐに教室を出ていったけれど、数人が残ってなにやら製作をはじめた。

生徒たちの打合せ。これも映画のワンシーンのよう。

最初は廊下で撮影。南から夏の日が照りつける。

麻和教諭の額には玉の汗。

それぞれが、それぞれの役に真剣に取り組む。1人1人がこの「映画製作」では主人公だ。今年の主役を務める達家さんの身支度を手伝う衣装の係の天野さんと西山さん。小道具の点検に余念がないのは山崎くん、犬飼くん、中川くん。カチンコを持ち、記録をとるのは昨年の映画でヒロイン美咲役を務めた長瀬さん。それぞれのシーンをチェックしながら、そこで必要なことを細かく記録していく。撮影の最初からとった記録の紙の束はすでにもうかなりの厚さになる。

もう一つのシーンの撮影現場に移動。窓ひとつないオイルタンク室が撮影場所だ。普段は誰も近づくことのないこの部屋も、子供たちの工夫によって不思議な異次元空間に変身する。風がまったく通らないから暑い。けれど誰1人文句をいわず黙々とそれぞれの役割を果たす。重い機材や熱いライトを支え、記録をとり、風を送り……。

何回も撮り直したシーンが「カット」と終わったとき、コスチュームのヘルメットの下から現れたのは津田くんの汗まみれの顔。

授業時間も終わりに近づき、廊下では特別教室から戻ってくるほかのクラスの子供たち。その子達が通るのに邪魔にならないようにさっと交通整理をはじめる生徒はプロデューサーの渋木くん。

「へぇ?こんな部屋、学校にあったんだ。」

別のクラスの生徒がオイルタンク室を見てつぶやいた。学校の廊下の突き当たりにある普段はまったく気にもとめない小部屋。それが、麻和プロダクションの子供たちに見いだされ、演出によってなんだか興味深い雰囲気を醸し出している。はしご階段の上からのぞく2人のヘルメット姿を見ると、なんだか不思議な気分になる。誰がここを「舞台」として見いだしたのだろう。

「撮影終わり、片付けて次の時間だよ。」先生の声に「もうちょっと……」との声を飲み込んで整然と片付けをし、教室に戻る。教室ではまだ別グループが作業中。

彼らが黙々と作っているのは「ネギ」。が、これは映画の小道具ではない。毎年やっている「長野県ふるさとCM大賞」にむけての準備だ。彼らは昨年、松本代表として予選を突破して県民ホールのステージに立った。
「去年は入賞が出来なかったから、今年は賞をとりたい。」

チーフの松本さんはネギ作りの手を休めずにそう語る。映画と平行してそちらの撮影も進んでいる。丁寧に作られたネギが今年のCM大賞での入賞につながるといいね。

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「最初に子供たちを持ったとき、はさみも糊もちゃんと使えなくて驚きました。」

今の子供たちは、自らそうして何かを「生み出す」機会が少ない。小さい頃に泥をこねてどろだんごをつくる。そういう経験さえもないので粘土で団子やひもをこねることも出来ない。ぞうきんも絞れない。マッチで火をつけることはおろか、ガスコンロも今はスイッチひとつだから理科室でマッチを擦ってガスの栓を「開いて」火をつけることも困難だ。

学校で図工や美術の時間が減り、家庭科も減り、理科も実験している時間がなく教科書を読むことで終わることも増えた。机に向かい、本を見る時間がいくら増えてもこれらの「体験」による学びは決して得られない。今の子供たちはそうして「頭で考える」世界にいることが多い。自らの力で生み出し、見いだし、工夫する機会はほとんど無いからそういうことが出来ないのは当然だ。

その子供たちが今、こうしてネギを作り記録をとり、自分たちのイメージで創り上げた「新しい世界」を生み出すために地道な努力を積み重ねている。その膨大な時間の中で自分に出来ることも、出来ないこともあることを感じ、出来ないことは出来るために努力し、一人の力で足りないところはみんなで考え補い合って様々な力をつけ、昨年一年の成果の中でさらに「次のステージ」をめざしている。

「はさみ使えるように」と先生に「宿題」を出されなくても、子供たちは自らのめざすもののために山ほどのネギをきれいに作り上げる力をつけた。その子供たちの姿を見て、親たちも心から活動を支援している。

「学びの姿」……本来のその姿は、ここにあるのではないだろうか。

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「去年やってよかったこと?そうだなぁ……『最後までやり通した』ってことかなぁ。」

昨年の映画で少年探偵DANを演じた清水くんに去年のことを聞いたらこんな返事が返ってきた。

そういえば、映画の中のセリフに『きみになら出来る』という言葉が出てきた。これは、麻和教諭が日頃から口にする言葉だそうだ。はじまれば、終わりがある。どんなに大変なことでも、はじめればきっと終わるときが来る。

その終わりをどんなふうに迎えるのかはそれぞれ違うだろう。けれど『きみになら出来る』という可能性を腹の底に据えた先生とそれを受けとめた生徒たち、そして見守る人々がやり終えた時に生み出したひとつの「成果」。

それは確実に何かを変えていく。新しい何かを生み出していく。
そしてそこに至る力は、「次の未来へ」向かう地盤となってどんどん拡がっていく。

麻和プロダクションpresents「スターダイバー」。
2月27日の上映会むけて、今、撮影は進んでいる。きっと今年度の観客にも彼らの創り上げるものが発する大きなエネルギーが伝わるに違いない。

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写真・文 駒村みどり

(付記)
今年の映画製作の模様は一年間を通してテレビ松本によって何回かにまとめられて放送されるようです。

この映画製作に当たっては、12月1日公開の超大作「SPACEBATTLESHIP ヤマト」の監督で松本市出身の山崎貴監督の応援をいただいています。今、ヤマト製作で大変多忙を極めているにもかかわらず、メールでアドバイスをくださっています。

昨年度の「少年探偵DAN」においては、多くの青春映画の監督をされた河崎義祐監督にもご指導をいただいています。

また、今回の映画の主人公、達家さんは「キンダーフィルムフェスティバル」の審査員としてこの夏、東京で活躍をしてきたそうです。

N-gene掲載当時にいただいたコメントもこちらに転載します。

コメント
ご報告です。
頑張って作ったネギのCMが、長野県知事賞を受賞しました。
みなさまの応援に感謝いたします。
(ほごしゃ①)
投稿者: M・Y | 2010年12月07日 10:22
>M・Yさま
県知事賞、おめでとうございます!
子どもたちはきっと、大喜びだったことでしょうね。
HPでCMを見させていただきましたが、すばらしい出来ですよね。わたしも、自分のHPでもご紹介させていただきました。
→http://chobi.net/~komacafe/blog/archives/category/3-0/3-3/3-3-1
ほんとうにおめでとうございます。
今ごろは、映画の最後の仕上げで忙しいことでしょうが、2月の上映会を楽しみにしています。
お知らせありがとうございました。
投稿者: 駒村みどり | 2011年01月17日 22:40

「今日これ使うグループは?」

美術教室の黒板の前で先生が手にしたのはデッキブラシ。受け取った女生徒はそれを嬉しそうに持って席に着く。大掃除の時間ではない、れっきとした美術の授業時間。

さらにビニールシート、梱包の保護材のプチプチ……次々に登場するモノはおよそ美術教室には縁がなさそうな素材ばかり。それらを手にした中学生たちは先生の指示を聞くとぱっとそれぞれの作業場所へと散っていった。

先生の名は、中平千尋。この美術教室で展開されているのは「さくらびアートプロジェクト」。「学校を美術館にしよう」をスローガンにかかげたこのアートプロジェクトの流れは今年で6年目を迎え、いま全国から熱く注目されつつある。

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机の上には、ウエディング情報誌。あこがれのドレスに身を包んで微笑むモデルさん。それを囲んで真剣に討論する女の子二人。写真の甘いムードと、それに向かうその表情の真剣さとは対照的だ。

そうかと思うと、その隣では同じく女の子二人組で趣ある古民家の写真集を拡げている。「教室に古民家の町並みを作りたい」というのがこの二人の想い。

古民家とアニメとのコラボを考える……何とも絶妙な取り合わせ。どんな町並みが出来るのだろう?信州大学の工学部の学生がそのイメージ実現の支援をする。
パソコンを開いて、ノートに書き込んで、実際に作って……各グループは自分たちのイメージを外部から来ている支援者と共にどんどん拡げている。

ベランダでなにやら写真を一生懸命に撮っているチーム。ここも女の子二人組。
「何撮っているの?」と聞くと「空の写真です。」との答え。

二人は海のない長野県に海を作っちゃおう、というグループ。小さいときに家の人と行った海。いいなぁ、あれ、教室に作れないかなぁ……そう思った二人が教室に海を再現するのにチャレンジ。空の写真は、その海の背景に使うのでとにかく青い空をいっぱいいいとこ撮りするのだそうだ。

「どんな海が出来るのかなぁ、楽しみだね。」と声をかけると恥ずかしそうに「はい!」と笑顔で答えてくれた。………良い表情だなぁ。

別教室では電動ドライバーの音。やや危なっかしい手つきだけど真剣に木の枠組みを作っている。長いねじなのでまっすぐに入っていかない。やり直し。今度はまっすぐしっかりとねじが食い込んでいく。

「教室の真ん中に、クジラのしっぽがどーんとあったらいいなと思って。」と水口くん。図書館で見たクジラ。これを作りたい。教室を深~い海の底にして………。その想いに共感した清野くんと組んだ男子二人組を応援するのは昨年に引き続き今年も支援者として参加の彫刻家の神林学氏。(神林学氏の作品は、ワイヤーワークなどで躍動感と生命力があると定評がある。小布施境内アートにも参加。 )

二人のイメージをもとになんと3メートルもあるクジラの実物大のしっぽが教室に登場するらしい。ダイナミックだ。聞いただけでワクワクする。

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「絵を描くなんてかったるい」「なんか創るのめんどくさい。」

学校の美術の授業でよく聞かれる生徒の声だ。何かを作ること、何かを表現すること、それはとにかく時間がかかる。自分の想いを表現するのには必死で考え、工夫することも必要だ。なんでもあって便利な世の中になって「考える」「工夫する」「自分で作り出す」必要もなくなってきた今、そういう機会は生活の場からは激減している。

子供のころから外で泥だらけになって遊ぶことやそういう場所も減り、汚いからと泥から遠ざけられ、土をこねる機会もない。泥遊びできる水たまりさえ排水溝の整備などで見あたらなくなった。

いい高校へ、いい大学へ。そのためにはいい成績を……。そういう「テストの点重視」の社会の流れの中、学校での限られた授業時間も次第に「受験教科」にかたむけられるようになってきて、結果、受験に関係ない美術、音楽、家庭科などはもう20年くらいも前から次第に削減される傾向にあった。

それは「ゆとり教育」がきちんと浸透しない中途半端な形で「失敗」と言われてからなおのこと加速化した。そして……もしかしたら数年後には「美術の時間」は学校から消えるかもしれない、という危機的な状態にある今。

「このままでいいのだろうか?これではまずい。」

その危機感をそのままにしておけずに自ら「危険」の鐘を鳴らし始めたのがこの授業を組んでいる中平千尋教諭だ。

彼は、長野県に美術教育を育て、確立させようと孤軍奮闘をはじめる。その試みのひとつが「Nアートプロジェクト」。“学校を美術館にしてしまおう”という大胆なスローガンをかかげ、独自の美術教育を展開し、さらに外部に向かって次々と発信をし続けているのだ。

中平千尋教諭履歴(NアートプロジェクトHPより抜粋)

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東京都内のデザイン会社勤務を経て、長野県内の養護学校や中学校を歴任。
2001年から千曲市立戸倉上山田中学校に勤務。2003年より学校を美術館に変身させる「戸倉上山田びじゅつ中学校(略称:とがびアートプロジェクト)」を始める。その後、2007年長野市立櫻ヶ岡中学校に転勤、2007年からは「ながのアートプロジェクト」を立ち上げ、長野県内の美術教育だけではなく、全国の美術教育を盛り上げるため活動中。

芸術には情熱が必要だ。表現し、伝える、そのためにはかなりのパワーと熱量がないとやって行かれない。ある意味それは「先生」という職業にも通じる部分がある。生徒という人間に学びの場で対し、「育てる」点で情熱が必要だ。芸術への想いと生徒への想い。その二つが重なり合い強い想いを持って教壇に立つ。

……中平教諭はそんな「熱い」芸術教師だ。

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「今の世の中、なんでもすぐに“答え”を求める。“答え”に結びつけたがる。だけれど、答えはすぐには見つかるものじゃないし、ひとつじゃない。それぞれの答えはそれぞれ自分で見つけるものですよね。」「美術では答えはひとつじゃない。自分の答えを自分で見つける。だから今、美術教育が必要なんです。」

今の世の中、今の子供たち。その現実を見つめたときに「美術教育の育むもの」の必要性を感じた中平教諭は、千曲市の戸倉上山田中学校在職中に「学校を美術館にしよう」というアートプロジェクト、“とがぴアートプロジェクト”を立ち上げ、展開をはじめる。(詳細はこちらから。「とがびプロジェクトの意義と展開」ほか)

しかし、そんな中平教諭の発信はなかなか受けとめられない。まずは学校。「外に向かう」事に対してものすごい抵抗がある。それから周りの教諭たち。毎日の細かい仕事に追われる中「余計な手間」に関わってはいられない。地域の文化施設。美術館からの発信もなかなかない。

美術に関わるべきものが、発信していない。必要な場所に必要なものが届かない。そういう矛盾の中、中平教諭は警鐘を鳴らすことと発信とをやめなかった。
選挙前の各政党に、美術教育や文化に対する質問状を送った。(2党は返答が帰ってこなかったが)それを校内に掲示して自らも候補者としての主張をかかげて校内で「選挙」を行った。生徒たちからは圧倒的な支持を得た。

当時の千曲市の教育長もとがびのプロジェクトに理解を示してくれた。しかしその発信を受けとめはじめたのは、残念ながら県内からではなかった。県外の学校からの視察が来る。文科省からも視察が来た。講演の依頼もある。
そして何よりも、生徒たちの姿が物語る。

「相談室登校の生徒がいるんですが、この時間だけは教室に来るんですよ。」

さくらびのプロジェクトでの1人の生徒の姿。あるグループに入って毎時間一生懸命取り組んでいる。他の時間には教室に顔を出せないのに、その時間はグループの中心になって活動する。周りの生徒もその思いをちゃんと受けとめる。

「今、学校の先生や親たち(社会)が、車の運転にたとえるとハンドルを握るところからブレーキもアクセルもすべてやってしまう状態。生徒は手が出せない。“いい子”はそれであきらめてしまう。」「だけど、美術は自分の想いの中で“徹底的にやる”事が出来る。やりたいことを徹底的にやる、ということが学校教育の中で出来るのが、美術の時間だと思うのです。」

子供たちはもともと無鉄砲だ。小さい頃は遊びの中で、大きくなったらこういう表現活動を通して「無茶」や「めちゃくちゃ」をやる。その中で「自分はここまでできる」「これだったら大丈夫」という「基準」を見つけ出す。そうして自分探しをしながら大人になっていく。

「それが“自立”だと思うんですよね。徹底的にやることで自分勝手なところから自分を知って周りの中でともに生きる術を身につける。それをぼくは“卒業”って表現しているんです。」

今までのアートプロジェクトの中でいくつもあった「卒業」の場面。そういう場面を通して生徒たちは本当の意味で生きる力をつけていく。そして、それが本来の学校教育の中でつけるべき力。本来の学校教育がめざすべきものであるはずだ………。

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「え~、せんせい音楽の先生なのに、さんすう出来るんだ!」

中平教諭と話しながら、かつて私自身が小学校の音楽教諭をしていた頃、低学年の子供にそう言われて愕然としたことを想い出した。もう15年も前のことだ。「おんがく」や「ずこう」は「勉強」ではない、そういう意識がこんなに小さい子供の中にもあることがショックだった。

自分自身、音楽や美術で育てられた感覚が「教科学習」に役立ったことは数知れない。

現在は中学生の家庭教師をしているが5教科の指導で子供たちを見ていると、数学や理科の文章題が解けない子は文章が読めない、わからない。読解力の不足と共に、問題を読んで頭の中にイメージがわかないから図や表でその現象を表現できない。表現力の欠如が原因だ。細かいところに注意する「観察力」も影響する。

読解力を助けるイメージ力や表現力などは音楽や美術で育つ力だ。また、表現の対象をじっと見て分析することで育つ観察力も、あきらめないで問題にじっくり取り組む集中力も、音楽や美術の表現を完成させようとする中で得られる力だ。

合唱や合奏で音を合わせて曲を練り上げる。共同製作で大きな作品を創り上げる。人と「力を合わせる」事の心地よさを感じ、自分1人では出来ないことも出来る可能性を感じる。そこで育つのは社会で生きていくために大切な「コミュニケーション力」。「創作」の課程や「表現の工夫」のなかで、人と関わり、自分にない価値観とぶつかり、それを取り込んだり折り合ったりしながら生まれてくる力だ。ひとり机に向かって黙々とやる「勉強」の中からは決して育たない。

逆に、音楽や美術をやっていく上で、国語や社会・英語、時に理科や数学の力が必要になることもある。教科を越えて「知識」というものは絡んでくる。このすべてをバランス良く獲得しようというのが「ゆとり教育」で詠われた「総合学習」の狙いだ。

けれど、点数ではかる「学力」重視の傾向がこの狙いを妨げた。いろいろな力は長い期間をかけて積み上げる中でつく力であり、最終的にはそれが学力に限らず「生きるために考える力」に結びついていく。けれど結果がすぐには出ないため、結果を急ぐ点数重視の社会は「ゆとりはダメだ」という世論を早くから展開し、それが総合学習の本来あるべき姿をどんどんゆがめていってしまった。

それでは、テストの点を重視したら学力はつくのか。

教えている中学生たちは一様に答案の点数の部分を折り返して隠す。点数を隠しても×のある答案は丸見えなのに。生徒には「点数」しか見えていない。50点なら50点。自分の力は「50点」。

まったくわからなくて出来ない問題が50点分の×なのか、それとも勘違いやちょっとしたミスでの×なのか。それを見ようともしない。そこで「どうして自分が50点?」と「考える」こともない。「悔しい」という気持ちさえもわいてこない。「なぜ、どうしてこの答えがこうなるのか」それを理解しただけで、子供たちはものすごく嬉しそうに微笑むのに。

音楽や美術で「出来る」「自分で満足する」までくり返し練習し、訓練し、その中で感じる出来ないときの悔しさや出来たときの感動も、「テスト」では関係ない。そうして子供たちは「点数基準」の判定になれ、自分の中に自分で基準を持てず、目標も持てず、◯か×かの2者択一の判断基準の中で良いか悪いかで生きていくしかない。

テストが出来る子は、頭がいい子。点が取れなかったらダメな子。

だけど、この先生きていくときに、◯か×かだけじゃない選択肢は山ほどある。50点の子が50点の生き方しかできないわけじゃない。100点の子よりも輝いて生きている人はいっぱいいる。

「生きる力」の評価基準は「子供たちの姿」だ。わかったときの笑顔、成し遂げたときの輝いた顔、その表情。生きるために本当に必要な力は「テストの点」では決してはかれない。

中平教諭の鳴らす警鐘は、これを如実に伝えている。子供たちの表情を見取って評価しながら、社会の一員として、この世に生きる者として、立って歩いていくために必要なものをちゃんと見きわめて与えていかなければ………と。

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「あのですね、今の世の中ちょっとリッチな気分になりたいですよね。だから、教室中をお金でいっぱいにするんですよ。」自らのデザインしたお金を誇らしげにかかげる大日向リーダー。男の子の5人組のチームは、机に向かってひたすらにお札のデザインをしていた。

壁一面・バスタブいっぱいのお札を作って、来た人に「リッチな気持ち」になってもらいたい。自分たちの夢のほかに「来てもらうお客さん」への想いが重なっている。教室いっぱいのお札を作るには、一体何枚製作するのだろう。ちょっと考えると途方もない。けれど生徒たちには迷いがない。真剣なその姿は、声をかけるのさえもとまどうほどだ。

不思議な世界を作りだそう……という目的の隣の男子4人チームは教室中にトンネルを造ろうと話し合う。話し合いの声に耳をかたむけてみる。

「不思議とかえ~っとかいう感じを出すには、ただトンネルあるだけじゃなくて“中をのぞく”事が出来たらいいね。」「そう、好奇心。何かあるんじゃないかなって感じ。」「どうせだったら理科室ぜ~んぶおおっちゃおうか。」「それは時間かかるねぇ、前日の準備大変だから、前日お泊まり会やるかぁ。」「合宿、合宿!」

話が弾む4人の男子と支援する信大教育学部美術科の二人の学生。学祭のノリだ。

さらに話は続く。「じゃぁ、トンネルの高さはどうしよう?」「そうだなぁ、しゃがむと腰が痛くなる人もいるから2メートル?」「いやぁ、教室だと192センチが限界だよなぁ。」

ああ、ここでも。自分たちの製作をお祭りのノリで楽しみながら、見てくれる人に思いやりを持ってトンネルの高さを考える心が育っている。自分たちだけが楽しめばいいのではない、だけど自分たちもちゃんと楽しんでいる。

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「美術の時間って、自分のやりたいことが出来る時間だから好きだった。」「作ることって楽しいし、考えることがいっぱいある。その中で人とのコミュニケーション力も育ってくる。」

この日の授業終了後、トンネルチームを支援している二人に話を聞いていたら、別のチームを支援している3人がそこに加わってきた。この5人は、信州大学教育学部の美術科の学生。善光寺門前の古い蔵を利用してギャラリーやワークショップを自主的に主催しているMINIKURAERT(ミニクラート) のメンバーだ。

「教育実習で中学生が、美術の時間をすごく嫌がる姿がショックだった。」「きっと、誉められたことないんだろうね。上手い下手、とか点数で評価されるのに慣れちゃってほんとの楽しさ感じる機会がなかったんだろうなぁ。」

自分たちは図工や美術の楽しさを知って、美術教師の資格をとる課程にいる。自分たちの生きる軸だった美術が学校の教育から消えてしまったら悲しいという。

彼らは中平教諭の持っている危機感に呼応するように今回協力者としてここに参加している。こういう世代が後に続き、次に繋ぐ活動をしている。こんな風にたくさんの協力者と、今年もさくらびアートプロジェクトは進行していく。

10月に向かって各自の夢が進行していくその中で、中平教諭の想いや生徒たちがどうなっていくのか、それはまだわからない。10月の発表を迎えたあとで、みんなの中にどんな想いが育ち、なにが生まれるのか。その表情や成果の中に中平教諭の美術指導の成果と真価が見えてくるはずだ。

今年、その10月までもうちょっとこのプロジェクトを追いかけてみようと思う。

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ながのアートプロジェクトHP

(写真・文: 駒村みどり)

「別に楽しみじゃないよ。大変だし。だけど嫌いじゃないし、無くなるときっと寂しいと思う。」
そう答えてくれたのは、6年生の男の子。
「う~ん、そう、大変。楽しいってわけじゃない。」
列の先頭で下級生の班長として並んでいた女の子もこう答える。

ここは、駒ヶ根市立中沢小学校。5月16日、朝から全校が校庭の隅に作られた立派な炭焼き窯のまわりに集まって、年間の恒例行事となっている「炭焼き」に取り組んでいた。作業中結構楽しそうに見えたので、「炭焼きの行事、楽しみだった?」と発したその問いに対しての子ども達の答えは「楽しみじゃない」だった。普通「楽しい!」という答えを期待する。だけど、どの子も取材むけに理想の答えをしてくれない。何でだろう?

その答えは、取材を進めていくうちに見つかってきた……。

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「いやぁ、来たかね。来るかどうか心配してたんだよ。」

そう言って、子ども達の炭焼きの指示を出しながらこちらに笑顔を向けてくれたのは、4月に「平成の花咲おじいさん」の記事に登場した宮下秀春さん。そこでも紹介した宮下さんの多彩な顔の一つに「炭焼き指導員」があります。朝から全校の炭焼きの指導にあたっているのです。

駒ヶ根市中沢地区は、かつてはナラの木に覆われた山あいの村でした。この中沢地区を支えていたのが養蚕と林業。その地区にある130年の歴史を持つ中沢小学校の校歌(大正5年制定)にも「かまどのけぶり豊かにて」と歌われているように特に林業で古くから炭焼きの技術が発達し、かつて炭が熱源として大いに活用されていた時代に良質の炭を産出し、地元を潤していました。

「車も炭で走っていたんだよ。木炭自動車って言ってね、炭を細かくしたものを使ったんだ。」
「だけど炭が使われなくなって、炭焼きのものがどんどんいなくなって。炭の材料になるナラの木も植林でどんどん杉の林に取って代わって、今では手に入りにくくなったよ。」

そう言いながら宮下さんが見回すまわりの山々一帯は「常緑樹」を植林され黒に近い緑色をしていました。けれど分杭峠に続く奥の方を見ると遠くの山肌には新緑のみずみずしい若葉色が……。「私にはよくわからないんですが、たぶん向こうのいろいろな緑のある方が元々のこの地区の森の様子だったんでしょうね。」と、橋枝教頭先生が教えてくださいました。 

「特色ある学校を作りたいのだけれど、炭焼きを子ども達に教えてくれませんか。」
平成3年3月、炭焼きの煙や炭焼き窯が地域から次第に姿を消す中、炭焼きを続けていた宮下さんのもとに当時の中沢小学校のPTA会長さんがやって来たそうです。その声をきっかけにして平成4年に体育館の裏手に炭焼き窯を作り、毎年子ども達が炭焼きに取り組むようになりました。

平成17年には宮下さんの指導とPTAの皆さんの作業によって新たに「これはあと、30年は使えるよ」と宮下さんの保証付きの大きく立派な炭焼き窯が誕生。そうして積み重ねてきた中沢小学校の炭焼きの歴史は、今年でなんと19年になるのです。

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「はい、重たいからね!気をつけて持ってね!」

炭焼きはまず、炭になる材料のナラの薪を窯にまんべんなく詰め込むところから始まります。
見るからにずっしりとした大きな薪。それを縦割りのグループで運びます。

中沢小学校に通うのは1年から6年までの約120名(各学年20名前後の単級)と、伊那養護学校の分教室のおともだち。その子ども達がみんな混ざった縦割り班で行動します。ですから薪運びも小さな薪は1人ずつ、大きな薪は大きな子と小さな子が組になり、お互いの力加減を工夫しながら協力しての作業。みんなが一緒になって窯に隙間なく薪を詰めていきます。

やがて、全校の協力で薪がすべて詰め込まれると、今度は入り口にみんなでレンガを運んで積み上げ、さらに土を詰め順番に木で押さえて厳重に密閉して準備が完了。今度は「火付け係」の6年生が2人、竈の方から火をつけます。火が勢いよく燃えはじめると全校からわぁっと歓声が上がり、思わず拍手をする子どももいます。

勢いよくもうもうと黒い煙が立ちこめあたりは煙で霞む中、この日の全校の生徒の仕事はここまでで、みんなは宮下さんにお礼をいって教室に戻っていきました。

けれど、宮下さんと学校の職員はまだその場に残って「ここから」の打合せ。いい炭に焼き上げるためにはここからの温度管理や観察が大切。宮下さんの指示と説明を先生方が真剣な表情で受けとめていたのが印象的でした。

「炭が焼き上がるのはいつですか?」そう宮下さんにお聞きすると、「いやぁ、いつとは言えないよ」との答え。

ここからの気温、天気、火の燃え方。そういういろいろな状態をずっと観察し続けて、最後は「今だ」という状態を見極めるのは長年の経験と感覚なのだそうです。およそこのくらい、とは予想はしても予想通りに行くとは限らない。だから、この先一週間ほどは毎日何回もここにやってきて様子を見て、「窯と相談しながら」焼き上がりを決めるとのこと。窯の入口は厳重に密閉されて中は見えません。見えない中の様子を様々な状況から予測して判断するしかないのです。

「煙が出なくなったら炭化終了だけどね、火を止めるタイミングが難しいんだよ。ここで焦ってのぞいちゃったりしてちょっかい出すといい炭ができないんだ。」

宮下さんが眼を細めながら話すその言葉を聞いて、炭焼きと人を育てることとはなんだかちょっと似ているかもしれないなぁ……と感じました。

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生徒たちの作業の合間に、長嶋校長先生が「炭の展示コーナー」を案内して下さいました。

このコーナーは児童玄関を入った正面の壁の真ん中にあります。学校に来てまず最初に目に入るところにきれいに展示された炭焼きの活動の様子と、できた炭で作られた製品。いかにこの学校で「炭焼き活動」が大切にされ、学校の中に位置付いているかが感じられます。

中沢小学校では、一年生から六年生までが全校で取り組む活動の他に、この「炭焼き」を柱に据えた学年ごとの活動もしています。出来上がった炭を使ってバーベキューをしたり、炭を販売して収益で本を購入したり。窯を使う炭焼きの他に、ドラム缶やオイル缶を使った炭焼きもします。

炭に使うナラの木は、ここ数年はここから分杭峠につながる道の途中にある「大曽倉の市有林」から切りだしたナラの木を使っています。切り出しでは毎年6年生も作業の手伝いをします。「倒れるぞ!」という呼びかけと共に大きな木がどさっと切り倒される様を、6年生は皆で見るのです。その切り倒された木が薪になって炭になる。こうして炭ができるその行程のすべてと、その炭の活用まで含めて6年生までのうちに子ども達は皆経験するのです。

「子ども達は、毎年やっているので中には煙の匂いとか加減で火の様子などを感じとる子ども達も出てきているんですよ。」

作業中の何人かの先生方の言葉にもあるように、子ども達はただ炭を柱にした活動をこなすだけではなく、宮下さんの炭焼き職人としての熟練した感覚までも受け継いできているのかもしれません。それはとても貴重なもの。マニュアルに書けるものではなく、マニュアルを読んでわかるものでもありません。長い年月経験を積まなければ生まれない貴重な技なのです。

「……ですけれど……。」

来年、20年目の節目をきっかけに、宮下さんは炭焼き指導から引退することになっているそうです。中沢の里で唯一炭焼きの技術を今につないでいる宮下さんの引退は中沢小学校にとって大きな転換でしょう。後継者のいない炭焼き窯の火をどう受け継いでいくのか……。

実は、今回の炭焼きに宮下さんの横でずっと一緒に作業をしていた方がいます。中沢地区で喫茶店を経営している岡庭さんです。宮下さんの後継者としてこの炭焼きの指導に当たることになっているとのこと。岡庭さんご自身は炭焼きの経験は無いけれど子供のころにおじいさんが炭焼きをしているのを見て育っていて、宮下さんから話があったときに「炭焼きの活動を絶やしたくない」とあとを引き受ける決意をされたそうです。

どうやら中沢の炭焼きの煙は、「30年は大丈夫」な炭焼き窯と共にまだまだ受け継がれていくことになるようです。

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「面白くはないけど、でもつまらなくはないよ。」

「別に楽しみじゃない」と答えたあとで、ふみきくんはこう言葉を続けました。彼は窯に火を入れた「火つけ係」2人のうちの1人です。
「火をつけるのは怖くない?マッチするのも大丈夫?」ときくと「1年の頃から炭でバーベキューやってたりしたから別に大丈夫。」と答えてくれました。

今は、ボタン一つ押せばすぐに火がつく時代。学校の理科や家庭科の時間、またキャンプの飯盒炊さんの時などにマッチをすれない子ども達が当たり前になってきています。けれど中沢小の子ども達は一年生から炭焼きとそれを柱にした活動をしてくる中で、ちゃんと火のつけ方も扱い方も身につけているのです。

この記事の冒頭に書いたように、「楽しみじゃない」「面白くない」という言葉を最初は意外に思った私でしたが、しかしそれはどうやら「炭焼きの否定」の意味ではなかったのです。

この学校の子ども達にとっては、炭焼きは「行事」じゃない、「日常生活」なんだ、ということ。炭と、炭焼きを柱にして人がちゃんとそこに生活を成り立たせているのです。日常と切り離された遠足や運動会のように、年に一度のお楽しみとして指折り数える行事ではなく、自分たちの生活を成り立たせる一場面。だから面白くはないけどつまらなくもなく、楽しみではないけどなくなると寂しい………。

竈から上がる煙と燃えさかる火を見守る人たちの想いや、木を切り倒す音、薪の匂い、炭の感触などとともに、それは子ども達の生活の場面として染みこんでいるのだろうとおもいました。

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「炭をもっと見直して山も元気にしなくてはね。」

一旦家に戻ってまた来るから、と別れを告げる宮下さんがつぶやいた言葉です。

長野県はかつて豊かな山と共にあり、山の幸を得て人びとは生活していました。林業で山を整え、炭を焼き、エネルギー資源として大きな需要を持っていた炭で潤っていた時代。しかし石油に頼るようになって炭は廃れ、山は荒れ、手を入れる者が減り、ナラの木の森は植林によって次第に針葉樹林に変化していきました。今は炭の材料になるナラの木を手に入れるのもなかなか思うにまかせません。

一度使わなくなった炭焼き窯は、復活させるのにはものすごく大変なのだそうです。それは炭焼きの技術も同じ。木も、山も。そして人も……みんな同じ事が言えるのではないでしょうか。

炭焼きの技術とそれを伝える者があり、それを受け継ごうとする者がいて。そこにある人の想いを感じとって受け止める子ども達がいて。そうしてこの中沢小学校の炭焼き窯はこれからも毎年こうしてもくもくと元気な煙を吐いて炭を焼き上げ続ける。

沢山の人たちに見守られながら行われる炭焼きは、同時にこの中沢地区に学ぶ子ども達の心もまた豊かに育んでいるのだ……ということを強く感じた一日でした。

駒ヶ根市立中沢小学校
〒399-4231 長野県駒ヶ根市中沢4036

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