「ことだま」が飛び交うところ〜オープンマイクatネオンホール<'10年4月掲載>

月に一度、第4金曜日の夜に行われているイベントがある。

「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。

2時間ほどのその時間の中には、凝縮された言葉たちが集う。
あつい言葉。
やさしい言葉。
さびしい言葉。
きびしい言葉。
たのしい言葉。

どの言葉も、ステージの一本のマイクから会場内に生き生きと飛び出していく。
言葉を発する者あり、それを受け止める者あり、受け止めてまた発するものあり。

命を持った言葉を、どんな形でどんな想いで受け止めるのも、それぞれ次第。
参加費は無料。いつ来ても、いつ帰っても自由。
受け止め方も、発し方も……すべてが、この空間では……自由。

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「オープンマイク」というものの起こりを調べていくうちに、つきあたった言葉がありました。それが「スポークンワード」です。

スポークンワードとはどういうものかというと……
『ラップやポエトリーリーディング(詩の朗読)など、喋り言葉によって表現するようなパフォーマンスの総称。またはそのような芸術のこと。政治的なテーマや社会的なテーマが題材にされることも多く、音楽との融合も多く見られる。』

スポークンワードは1930年代~40年代にかけて、黒人解放運動の中で行われた街頭演説が起源とも言われる。
*1950年代のビートニク文化の中で、ポエトリーリーディングの手法が発達。
*1980年代以降のヒップホップ文化の中で、ラップの手法が発達。
*現在では、喋り言葉を総括的に扱う芸術ジャンルとしての“スポークンワード”が確立しつつある。

「表現」のひとつの形として成立してきた「スポークンワード」。私たちに馴染みのラップもそのひとつの形。確かに、言葉がリズムに乗ってはずむラップを聞くと、自然と体全体で言葉を受け止めてしまうのです。言葉の持つ力が、リズムとイントネーションなどのさまざまな要素と絡んで最大限に発揮されているような気がします。

そして、近年、日本でもスポークンワードを呼び物としたイベントが行われるようになって、そのひとつの形が「オープンマイク」でした。
日本では1997年頃から東京のカフェやクラブで「飛び入り参加OK」という誰がマイクを使ってもかまわないイベントとして盛んに行われ、そこからリーディング・ブームに火がついたようです。

この「オープンマイク」を今、長野県で毎月行っているのが、以前の記事「言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)」でも取材させていただいたGOKU氏です。

GOKU氏とオープンマイクとの出会いは、2003年のネオンホールで行われたオープンマイクに主催者の方に誘われたのが最初だそうです。

GOKU氏は、朗読(詩だけではなく「言葉」はなんでも朗読するそうです)をライフワークにしている詩人さんです。お仕事のかたわら、詩作し、それを朗読し、また最近ではご自身が声の場で出会った詩人たちの詩を集めた詩集「読みたい詩人」を自費出版もしました。

そのGOKU氏が、以前のオープンマイクが終わることになって、新しい「声と言葉の場」を作ろうと思ってネオンホールの小川さん、農家で詩人の植草四郎さんに声をかけて始めたのが、現在毎月行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」です。

「声を出す場であると同時に、言葉と戯れる場にもしたくて、毎回、言葉を使った 企画を考えるようにしています。」

GOKU氏のこの思いの元に行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。
わたしも、ふとしたきっかけで12月と2月の2回の企画に参加してみたのです。
マイクを前に、どんな人がどんなパフォーマンスをするのか、とても興味があったからでした。

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正直なことを言うと、この長野県で「オープンマイク」が成立するのか実は半信半疑だった。

数年前までずっと音楽の教員をやっていたわたしにとって、この長野県ではどの学校に行っても子供たちが大人に近づけば近づくほど「人前でのパフォーマンス」を避けるようになり、さらに、それは大人である教員や親御さんたちにその傾向はもっと強い……そういう認識があったから。

そんな想いを持ちながらネオンホールに行った。
クリスマスが過ぎ、年の瀬のあわただしい夜、会場にはすでに、数名のお客さんがいた。ドリンクを注文して席に着くと、しばらくたってGOKU氏がステージで開会宣言。

オープンマイクの「ルール説明」。

~マイクの前に立った人は、持ち時間5分で何をやってもよい。
~5分でまだ途中の時は、その先4分59秒まで延長が可能。
~聞くだけでもいいし、途中でやりたくなったら飛び入り大歓迎。

そして、「今日ここでやる人?」とのGOKU氏の問いに手を挙げた人は、4名。

一人、二人とまずは常連らしき人がステージでパフォーマンスを繰り広げる。
最初は詩の朗読、次の人も詩。そしてそのあと、この日のバックの文字を書いた人が一年の「感謝」を込めて書いた文字について話す。そうかと思えば、次の人は思いつくままに話をする。……そこまでで、4人だったのだが………

4人では終わらなかった。

GOKU氏は、ステージの1人1人が終わるたびに心こもった講評を贈る。それぞれの人の持ち味を最大限引き出す講評は、とても温かい。
そして、そのGOKU氏の講評の言葉のぬくもりが、会場の「自分もやろうかな」という想いにつながって………
結局、最終的には11名がステージに立った(!)。

実は、私も……最初はそのつもりがなかったのだが、MCのGOKU氏と、ステージに立つ人々の雰囲気と勢いに乗っかるように「やります!」と手を挙げてしまった。

即興劇あり、語りあり、朗読あり。
12月のオープンマイクは、こうして2時間以上の間にたくさんの人の言葉と想いを放つ濃密な時間となった。

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この12月のオープンマイクの印象がかなり強烈だったので、改めて取材という形で2月のオープンマイクにも顔を出してみました。

この日のステージでは、開幕のGOKU氏のあいさつおよび詩の朗読から始まるのは12月と同じだったのですが、ステージの幕開け……突然赤い鼻の「変な日本語を話す外人」さんが登場。

この「変な外人」さんは、GOKU氏のパートナーとしてこの「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」を最初から支えてきた詩人の植草四郎氏です。

オープニングのステージ15分を任された植草氏、ひと月前の1月のオープンマイクのゲームで優勝し、15分の特別テージ出演権をGETしたのです。

植草氏とGOKU氏の出会いは詩のボクシングだったそうです。

「なぜ、植草氏とやろうと思ったのですか?」との問いにGOKU氏はこう答えました。

「彼の言葉が好きだったからでしょうね。
言葉って人柄だから
言葉が好き=発してる人が好き
みたいなこともあります。」

言葉を通じてつながった二人。
わたしは2月のオープンマイクに行って、GOKU氏のMCと植草氏のステージを見てなぜこのオープンマイクでたくさんの人が気負い無くステージに立つのか、何となく感じたことがありました。

主催者側であるお二人が、何よりも一番このステージやこの企画を楽しんでいるんじゃないか……とそう思ったのです。

「そうですね、自分もあの場がとても好きですよ。そして、あの場は人の非難なんかはもちろんNGだけど、それ以外は何でもありなんですよ。」
「だからね、GOKUさんも自分も、なんのこだわりもなくあそこにいるんです。
このタイトルの『ななしのぜろ』の『0』はそういう意味もありますね。
そして、0の環は大きくもなり小さくもなり、いろんな世界をそこに含んでいるんですよ。」

(植草氏談)

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押しつけも、なんにもない。どんな世界でもそのままを受け止める。
ステージに立つ人のカラーを大切にし、上手い下手にもこだわらない。

その人の発する言葉とそこにある想いをしっかり受けとめる人がそこにいる。
それが、この『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』というオープンマイクのあり方。
そして、そのあり方を愛する人々が、毎月ここに集ってくる。

2月のこのステージでもまた、様々な言葉が会場に放たれた。

詩の朗読をする人。日常語りをする人。
携帯電話のメールのやりとりを読み上げる人。
難病研究の署名のお願いをする人。
ピアノの演奏。
(ちなみに、この日ピアノを演奏したブルースピアニスト、コイケさんのステージについても、このあと取材しましたので記事を掲載しました。→記事
『聴き屋』をこれから権堂でやりますから来てください、という宣伝。

それぞれの人の放つ言葉は、先にGOKU氏が植草氏を語るときに表現したように、そのままその人の人柄を表している。

温かい言葉。
力強い言葉。
朴訥な言葉。
やさしい言葉。

一本のマイクを通じてそれらが会場の人々とステージの人とをつないでいく。

そして、この日のGOKU氏のステージ。
突然、ステージでクロールを始めるGOKU氏。

この日、小さな紙の上に書きとめられたたくさんの短い言葉たちが、一枚一枚と会場にちりばめられていった。GOKU氏の声と動きと、リズムの中で生き生きときらめきながら。

「人前で朗読するという経験は、2003年の3月に松本市で開催された「詩のボクシング」という朗読の大会でした。まず、自分で言葉を考えることが楽しかったし、それを声にすることが楽しかったですね。ただ、当時の僕は、詩という言葉に、「詩=メッセージを伝えるもの」という頭があって、いま読み返すとお説教のような詩で、つまらないんですよ(笑)。いまは、詩は言葉遊び。くらいの気持ちで、湧いてきたときに作っています。自分のことというよりも、言葉で感じてる世界を表す感覚ですね。 」

この詩のボクシングの全国大会で準優勝という経歴を持つ実力派のGOKU氏は、言葉と関わるようになったきっかけをそう話す。

その語りにあるように、彼の言葉は押しつけがましくない。
『0』という名を持つこのイベントのように、ただどんどんと湧き上がってひろがっていく。

言葉は、意味を持つものとしてではなく、命を持つものとして、彼の口から発せられていく。

「いまって、会話にしてもニュースにしても、 世知辛いですよね。言葉ってもっと優しかったはずだと思うんです。そもそもは、コミュニケーションのツールであって、人と繋がるための道具なわけですからね。でも現代ってそれが忘れられているような気がします。

世界が言葉によって、否定されていく。
人が言葉によって千切れていく。
絆を断ち切るために用いられる言葉。

 そういうマイナスの使われ方が多いような気がします。
たぶん言葉は泣いてるんじゃないかな。
だから、言葉っていいね。
ってことを伝えられる場になればいいんじゃないかな。 」

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人と人がつながるためにあったはずの「言葉」。
それは、時として人を傷つけてしまう凶器になることもある。

けれども、本来つながるためにあるその言葉にどんな命をのせて発するのか、どんな想いを込めて発するのか……、それを発する側の人間も、受け止める側の人間も、もっと気負わず自然に出来るようになったなら………。

人と人との間には、こんなにやわらかくやさしい空間がひろがっていくのだなぁ。

2回の『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』を取材し、イベントが終わって会場を去る人々の穏やかな表情や、会場のしっとりとした空気を感じて、そんなことを思った。

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■名もなきオープンマイク0(ぜろ) Vol.30
~産獣・酸汁・参○ 声はどこに辿り着くのか~

と き:4月23日(金)午後8時スタート
ところ:ネオンホール(長野市)
料 金:無料 ※1ドリンク以上のオーダーをお願いします。
持ち時間:5分 (延長は最大4分59秒まで。合計9分59秒以内)
自作詩、演劇、歌、おしゃべり、早口言葉。絵本。紙芝居。
なんでもかんでも。沈黙もOK。
15分のゲストライブ×2本(4月は、即興劇とゲストの朗読)
過去のレポート等は公式ブログで。

(文・写真 駒村みどり)

言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)<’10.2月掲載>

♪パパッパ、パ、パ、パ………(ジャマジャマ)
パパッパ、パ、ジャ、マ………(ジャマジャマジャマジャ)

会場が暗くなったとたんに始まったのは、「お母さんと一緒」でおなじみの「パジャマでおじゃま」のテーマソング。

その音に合わせてステージにでてきたなかがわよしの氏が、突然服を脱ぎ始めた。

………え???
なんだ、なんだ?

シャッターを切る手を思わず止めて、その先何が起こるのかとなかがわ氏の裸体……(結構筋肉質なんですね、写真とっておけば良かったと後悔。)に見入ってしまった。

上着を脱ぎ、おもむろにズボンも脱ぎ始め、ついにパンツだけになったなかがわ氏は、今度は逆に作業着らしき服を着こみ始めた。

そうして、「パ、ジャまたね♪」の音楽の終わりに合わせて(ちょっと間に合わなかったけど)ステージ衣装(?)に着替え終わった。

と、その瞬間に、なかがわ氏の声が静寂を突き破る。

「はだかのぼくを、見て欲しいと思ったから
すべてを脱いで、はだかになりました!」

それは、小さな爆発のように。吹き飛んだ言葉の破片が、体に突き刺さる。
痛い。
だけどそれは、苦痛の痛みではない。
心の奥に縮こまっているかくれんぼしている「自分」の手を引っ張られている痛み。
決して、不快な痛みではない。

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このN-geneで「なかがわよしのの400字」の連載を続けているなかがわよしの氏が主催する、「傘に、ラ」のレポート第2弾です。

第1弾の記事にも書きましたが、「今」という言葉をテーマにして、月に1~2回企画されるイベントです。

前回のレポートでは、この「傘に、ラ」のゲストとして共に「今」を語る企画に参加させていただいたのですが、今回は完全にイベントを観客の1人として受け止める立場で参戦しました。

第2弾で取材したのは、
2010年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」

ゲストにお二人の「詩の朗読パフォーマンス」をされている、GOKU氏、猫道氏を迎えて3人による「詩の朗読会」でした。

なかがわ氏と、GOKU氏、猫道氏とのそれぞれの出会いのきっかけになったのが「詩のボクシング」。

詩のボクシング(しのボクシング)は、ボクシングのリングに見立てた舞台の上で二人の朗読者が自作の詩などを朗読し、どちらの表現がより観客の心に届いたか、その表現力を競うイベント。キャッチコピーは「声と言葉のスポーツ」、「声と言葉の格闘技」。一般参加の大会は、これまでに35都道府県で開催されている。全国大会も年に1度開催される。(wikipediaより)

言葉や声を、生きた力を持つものとし、それを各人の表現によって人に伝える力を競うもの。

最初、これを聞いたときに、「ボクシング」と言うイメージと「詩」というイメージがなかなか結びつきませんでした。

私のイメージで行くと「詩」というのは「詩作にふける文学少女」が秋のセンチメンタルな枯れ葉舞う風景の中で静かに穏やかに読むもの………だったからです。

ところが。

そんなイメージでいたわたしは、のっけからカウンターパンチをくらってしまったわけです。

言葉が、こんな「力」を持って迫ってくるなんて、思いもしていなかったんです。
詩が、こんなに熱いものだなんて、イメージしたこともなかったんです。

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突然、ステージのなかがわ氏は脇に去ったかと思うと「卓上ガスコンロ」を手に再登場。

そして、おもむろに着火……が、なぜか火がつかない。

「着かない!!」
「こんな時に限って、着かない!!」

そういうアクシデントもまた、なかがわ氏の即興詩に読み込まれる題材になる。

「過去」は要らない。時と共に過ぎ去ってしまう「過去」は要らない。
そんなものは、燃やしてしまえ。
(そのためのガスコンロだったけど……火が着かなかった。)

「未来」を見るのは遠すぎる。
だから。だから、「今」なんだ。

彼の中に、脈々と流れ続けるテーマが強烈にうたいあげられる。
「今」という言葉が、彼の中で熟成されて、そうして熱い熱を帯びながら会場に放たれる。

やがて、そのなかがわ氏から発せられた「熱」は、さらに溶岩の固まりとなって次のGOKU氏に受け継がれた。

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GOKU氏。

東信在住の自作詩の詩人。
彼となかがわ氏の出会いは、「オープンマイク」というイベントによるものでした。

OPEN MIC(オープンマイク)と はアメリカやイギリスで一般的な、当日飛び入り参加形式の自由なパフォーマンスステージです。その名の通り、誰にでもオープンなマイクということで、参加自由のイベントです。弾き語り、バンド、詩、マジック、ラップ、コント、ただマイクの前でしゃべるだけ、などどんなパフォーマンスでもOKというものです。

東京などでは結構行われている「オープンマイク」。その長野版を自主的に行っているのがGOKU氏です。(いずれ、このN-gene記事としても取り扱いたいと思っています。)その、彼の主催するオープンマイクに、なかがわ氏が参加したことで二人のつながりが始まりました。

GOKU氏は、先に書いた詩のボクシングの2005年の全国大会では準優勝したという実力者でもあります。

なかがわ氏も、GOKU氏も、お互いに「友だちじゃない」といいます。
多分……友だちというだけじゃもったいない、表現における「ライバル」とか「敵」とかいう類の高め合う仲なのでしょう。

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GOKU氏は自作の詩人。

自らが紡ぎ出した言葉を乗せた詩を、体中使ってステージいっぱいに叫ぶかと思うと次の瞬間に泣き出しそうにささやく。

その緩急ある言葉の放ち方によって、思いが乗った重たい言葉が聞くものの胸にどかんとぶつかってくる。

犬の詩を読んだ。
野良犬の死を詠み込んだ詩を読んだ。

………………………・

~「ノラ犬のカラダ」より一部抜粋~

僕の記憶から、ノラ犬の死体は寂しそうに立ち去り、
僕の記憶には、畑を斜めに歩くノラ犬が棲みつきました。

「土に還りたい」
「空を飛びたい」
「静かに暮らしたい」
それら全ては僕が求めているものなのに
それらをひとつも求めていないであろうノラ犬は
その全てを叶えて
僕の記憶に棲みつきました。

………………………・

野良犬は、今、死によって放置され鎖の束縛から自由になった。
見ている自分は、その自由が欲しいのに、それが手元になく。
野良犬は、その自由を欲してはいなかったかもしれないのに、自由の元にある。

今、欲しいものは手には入らず、必要としていない者にそれが与えられる………。

ずきっと来る。

自作詩人のGOKU氏はまた、最近自費出版で詩集を出した。
この詩集にあるのは、すべて彼の詩ではない。
詩人である自分が「読みたい」と思った詩を集めて綴った小さな詩集。
そのひとつを、今度は切々と読み上げる。

入り口においてあったその詩集は、あっという間に多くの人の手元に旅立っていった。

なかがわ氏に触発されたのか。
GOKU氏も脱ぎ始める。

お色直し後のGOKU氏は、おもむろにスケッチブックを取り出して観客の前に拡げる。「宇宙ガール」というタイトルの詩を朗々と読み、次第に観客を巻き込む。

「ありんこの声で!」「ロケットのスピードで!」「地球の声で!」
彼の指示にしたがって、観客もいろいろな声をイメージしながら共に言葉を発する。

やがて高まった熱が、GOKU氏の中で爆発。
ステージ上を「小宇宙」という言葉を発しながら飛び跳ねる。
飛び散る汗が見えるほどの爆発ぶりだ。

「なかがわさんのパンツ一丁にはかなわないけど。」

そういいながら、3度目のお色直し。

そして、持ち時間の30分の間……
いったいいくつの言葉を発したのだろう?

そのきらめきの余韻をステージにまき散らして、GOKU氏のステージ終了。

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猫道氏。

彼は、「猫道一家」の座頭なのだそうです。

今までは、この「猫道一家」というクルーでお芝居を発表していたそうですが、2008年にお芝居をやめてポエトリーリーディングに転向し、2009年より自ら主催するスポークンワードのイベントを渋谷 道玄坂のBAR SAZANAMIで毎月開催しているそうです。

先にも書いたように、「詩のボクシング」に参戦、そこでなかがわ氏と出会い、どうやらお互いにいいライバル、刺激を与え合う関係がそこで生まれたようです。

かつて、芝居の音響・演出・脚本などを手がけていただけあって、彼のステージの上にはいろいろな道具も並んでいました。
何が出てくるのか???それを見ているだけで期待感が高まりました。


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登場と共に、そこはたちまち、歌舞伎の舞台になった。
大声で名乗りをあげ、見得を切る。

……かと思うと、次の瞬間にはいつの間にか「ラップ」になって言葉がぽんぽんとポップコーンのように飛び跳ねる。

ぐいぐいと、観客をステージの上の「言葉」に引き寄せていく。
その瞬間に、舞台はもう猫道氏の世界。

飛び跳ねる言葉。
飛び跳ねる音。
飛び跳ねる、猫道氏。

それをとらえようと必死にステージに吸い寄せられる観客たち。
その緊張感が高まる中で、次にホールの空間に投げつけられた言葉にはっとする。

………………………・

「素顔」より ~一部抜粋~

一皮剥けたら元には戻せないのは、
あの塩釜の海岸で散々日に焼けた20年前のナツヤスミに戻れないのと同じことで、
変わらないのは蚊取り線香の匂いばかりです。

(中略)

人間椅子になって隠れたりしたい。
タイガーマスクになって悪者をやっつけたりしたい。
途中で我慢できなくなって、タマネギみたく皮を剥いて、
涙目の素顔をさらしたい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
みんな涙目になって皮を剥いたらいい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
「髪の毛切った?」って言われるのは
みんなうれしいと思うから。

………………………・

一皮むけたら、戻れない。
あの夏に戻れないのと同じように。

「素顔」というタイトルのこの詩が、なかがわ氏のかかげるテーマである「今」にだぶった。

そして、それは、今の自分の想いにもどかんと乗っかってきて……胸に堪えた。
胸の奥にたまっていた何かが、堰を切ってあふれ出そうになってあわててこらえた。

緩急織り交ぜたステージ上で。
期待通りに、猫道氏もお色直し。

猫道氏3態。

3枚目、一番右の写真で彼が手にしているのは。
「ネオンホール特製マイク」なんだそうな。

この特製マイクを握って、彼はこうつぶやいた。

「溶け始める時間を、たべる。
おいしいは、のこる。」

3人の熱いステージは、こうして幕を閉じた。
会場のネオンホールの空間に、その空気の中に、いつまでもその熱が漂って。
しばらくの間、冷めることはなかった。

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なかがわ氏の持っているテーマは、「今」なのだけれども。
その「今」の中にはまた、様々な人間模様が織りなされている。

この3人の「今」の中には、「今」に至るまでの「過去」があり、その「過去」を踏み台にした「今」があり、その「今」を積み重ねていくのが「未来」。

この3人の織り交ぜた「今」は、彼らがステージから熱と共に撃ちまくった言葉のマシンガンの目にも止まらぬ弾となって、それに射抜かれた人々の中に何かを残す。
そしてその人たちの中にある「過去」をほじくり返しながらそれぞれの「今」を実感させ、そして「未来」を思うきっかけをくれる。

言葉の持つ力は、なんてすごいのだろう。
そして、それを放つ人の力が加わると、何という破壊力を持つのだろう。

言葉が発せられるのはほんの一瞬なのに、命を得た言葉が、どんな力を持って人に迫るのか。

この2時間強の時間の間に、それを目の前にたたきつけられた気分になった。

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ちなみに、ネオンホールの階段ギャラリーでは、28日までなかがわ氏の展示も行われています。↓

なかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、このあとも続きます。

10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~たかが芝居だ!~」
現代口語劇「餃子の なかみ」赤尾英二、司宏美、田中けいこ
アングラ劇「たかが芝居だ。」(脚本・演出・出演/なかがわよしの)、

10年3月7日(日)「傘に、ラ。 vol.9~たっちゃんと ゆかいな なかまたち~」
客人:田沢明善

10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.10~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」
ゲストライブ
オサカミツオSLOWLIE、なかがわよしの、bubblesweet ほか(50音順)

10年3月21日(日)「傘に、ラ。 vol.11 ~つぶやいて、なんになる~」
@twitter

10年7月3日(土)「傘に、ラ。~今に生まれて今に死ぬ~」
出演:outside yoshino  タテタカコ

(写真、文:駒村みどり)