「日本で最も美しい村」が直面する現実〜大鹿村の今とこれから【’11年6月掲載記事】

細い山道のかたわらに、おい菜のおかみさんから聞いた「クリンソウ」の看板。わずかな空き地に車を停めて、坂道を下っていくと……そこはまるでおとぎの国の世界だった。

木立に囲まれたその向こうには大池の静かな水面。そして、手前にはピンクのじゅうたんを敷き詰めたようにクリンソウの花畑。

夢中になって写真を撮って、時間がおしているので次へ向かおうと立ち上がった時、木立の向こうに何か白いものの影。ぱっと見あげると、そこには……白鷺の群れ。

何物にも染まらない純白の大きな鳥が、それも5~6羽飛び交っている。長野県では田園地帯の田んぼや川辺に1羽で佇んでいる光景は見かけることがある。けれど、こんなにたくさんの野生の鷺を見るのは初めて。まるで舞を舞うようにくるくると……最初は池の水面ギリギリを飛び回り、次第に高度を上げて空高く小さくなっていき、やがて青空に吸い込まれるように消えていった。

それはまるで、ひととき夢の中か物語の中に飛び込んだかのようで、しばらく私はそこを動くことができなかった。

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「ああ、大池のクリンソウ、見てきたんですか。
実は、あの花、かつてはあの池のまわりにびっしりと咲いていたのですが、持ちかえる人が出てしまって、だいぶ減ってしまったんです。ですから今は、吹いて飛ぶような種を採取し、それを11月にまいて保護活動をしているのです。」

そう教えてくれたのはこの大鹿村の旅館、赤石荘のご主人の多田 聡さん。この言葉にかなりの衝撃を感じました。さっき見てきたあの夢のような世界が、実は大鹿村の人びとの手によって守られているものであって、もっというと守らなくてはならない状況がそこにある……つまり、あの美しい光景を自分だけのために破壊する人がいるのだ……というその事実。

タイトルに揚げた「日本で最も美しい村」。これはNPO法人「日本で最も美しい村」連合に参加している村々のことです。この活動の概要はHPでこう説明されています。

近年、日本では市町村合併が進み、小さくても素晴らしい地域資源を持つ村の存続や美しい景観の保護などが難しくなっています。私たちは、フランスの素朴な美しい村を厳選し紹介する「フランスで最も美しい村」活動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山村の景観・文化を守る活動をはじめました。名前を「日本で最も美しい村」連合と言います。

「失ったら二度と取り戻せない景観・文化を守る活動」。つまり、この活動に参加している村々は、「日本で最も美しい自分たちの村を誇りに思い、大切に守り、そして後世にその美しさを引き継いでいく決意表明をした」村々、ということになります。

多田さんのクリンソウの花の保護活動の話を聞いて想い出しました。青いケシの記事に登場した中村さんも、実は中村農園のHPを見るとその美しさを守る苦労をされているのです。

※花を摘んだり地面から抜いて持ち去る方がいますが、ご自宅へ持ち帰ってもすぐに枯れてしまいます。最低限のマナーを守り楽しい時間をお過ごし下さい。

太字で2行のこの文章に、中村さんはどんな想いを込められていたのでしょうか。かなりの困難の末にあそこまで丹精し、見に来る人びとのためにと心を砕いてきたのに、心ない人のためにその心と貴重な花が失われてしまうのです……。

クリンソウも、青いケシも。どちらも訪れる人たちの目を楽しませてくれます。それは「大鹿村」という場所にあるからこそ美しいのです。そこにいる人びとが心を込めて慈しんできたからこそ、美しいのです……。

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さて、多田さんと、先ほど中村さんのところで話題になった「大鹿村騒動記」の映画の話になりました。中村さんは、歌舞伎役者として出演されるそうですけど、多田さんも出たんですか?とお聞きすると……

「あ、出ましたけど、本当に一瞬ですよ~。ぼくの出番は村のリニアモーターの賛否についての討論会の場面でしたよ。ぼくの後ろから松たかこさんがお茶を渡してくれるんですけど、振り返りたくても振り向くわけに行かなくてねぇ……。」

いやぁ、それは大変でしたね!といった後で、「リニア」という言葉に引っかかりました。現在、国やJRを中心に東京と大阪を結ぶリニア新幹線の計画が進められています。そして、そのルートとして大鹿村をトンネルで縦断することがほぼ決まっている……らしいのですが。

「いや、じつは、村の者のほとんどがちゃんと説明受けていなくて。どうやらこの赤石荘のすぐそばを走るらしいんですが……まったく情報が入ってこないで、僕らも新聞の記事でようやくいろいろと解るといった有様なんです。」

その言葉にふたたび私は衝撃を受けました。リニアのルートについては大鹿村を通るということで、村を見守る山のどてっぱらに風穴を開けるという行為について、何とかならないものなのだろうか?と思っていた私は、もう少し詳しくその話をお聞きしてみました。

……なぜ、誰にも説明がないままにルートが決まってしまっているのですか?

「実は、トンネルが通るあたりの一帯は個人の土地なんですね。それもリニア賛成派の議員さんの。その人がその土地を売るといえば、誰も文句は言えません。誰に説明がなくてもそれで話が進んでしまうんですよ。」

確かに、その土地の持ち主が売るといったら、文句は言えないでしょう。けれど、売った土地にトンネルが開いて毎日そこを新幹線が通る。ずっとトンネルなら振動があっても騒音はそんなにないでしょうが、予定地は山と山の間に川が通る谷あいの場所。トンネルから一旦外に出てふたたびトンネルに入ることになるため、その騒音は谷に響いて村に襲いかかることは容易に予想されます。

それは、たった1人だけの問題ではありません。村全体に関わって来ることのはず。なのに、それについて村全体には何も知らされず、知らない間にルートが決まっているのです……そんなことが行われているなんて……。

「………たぶん、トンネルが通ったら、トンネルの影響を受ける釜沢地区の人びとは村を出て行ってしまうでしょうね。」

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釜沢地区と聞いて、私は2年前に見た光景を想い出していました。文化庁の支援プログラムの一環で大鹿歌舞伎について取りあげた時、赤石岳を間近で見たくて大鹿村の中心部からさらに4~50分のところにある釜沢地区に早朝、車を走らせたことがあるのです。

(これはその2年前の3月に撮った写真です。リニアのトンネルは、この右側の山を貫通するのです。)

まだ午前中の早い時間にそこに行ったにもかかわらず、そして、かなり山の奥深くの場所に踏みいったにもかかわらず、なにやら遠くの方から工事の音らしきものが聞こえてきていました。そのあたりではダンプカーやショベルカーが何台か作業をしていたのです。

「ああ、それは、ちょうどその頃に試験掘削が行われていたんでそれでしょう。実は、あの時の騒音がもとですでに一軒、大鹿から出て行ってしまったご家族があるんです。」

山に囲まれ、町から隔離されたかのようなこの村。村の面積的には長野県で三番目に大きいけれど、そのうちの98%が山林で、人が住んでいるのは残りのたった2%。それも山のあちこちに小さな家の固まりがぽつぽつと点在しているこの村には、会社や企業はありません。

かつては林業が主幹産業であったけれど、もはやそれでは生計が成り立たず、職を求める者は村を出るしかありません。残っている人びとは農業を中心にほぼ自給自足に近い生活をしながら、周りの人々と助け合って静かに暮らしているのです。

「日本で最も美しい村」の活動に加盟し、その豊かな自然や静けさ、遙か昔から受け継がれてきた大鹿歌舞伎の伝統を守りながら静かに生きてきた村に、大きな機械が何台も乱入して山肌を削る。想像するとそれはかなり痛々しいこと。

村の人びとに情報がなにも入らないままにこういうことが起きていて、映画にも描かれたように、「リニアが通る」ということに対して危惧の声があったにもかかわらず、それは音もなく静かに進められています。それでは一体なぜ、そんな理不尽が認められているのでしょう?

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大鹿村は、「限界集落」です。限界集落というのは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって社会的共同生活の維持が困難になった集落のこと。

「実際、ぼくと同じ年代のものはほとんどいません。子育て世代が村にあるかどうか。」

豊かな自然を守って、大鹿の生活を支えているのはほとんどが高齢の方。先のクリンソウの保護活動に当たっているのは、ケシを育てている中村さんや、おい菜のおかみさんや、OBの協力を得て活動する大鹿村の「商工会青年部」。

村の40才までが所属する青年部の部員は今、多田さんたった1人です。そして多田さんが40を迎える2年後には、 “無期限休止状態”になるのです。

「そうですね、工事が始まったら……村には仕事ができて、人が入ってくる、という『メリット』もあって、それに対しては……反対派も何も言えないんです。」

実際工事が始まったら。この山奥の村にも「仕事」ができる。そしてその仕事をするために工事の期間は人が増える。少なくとも「肉体労働」をする年齢層の人びとが村に入ってきて、しばらくの間そこで生活をする。食事を取り、宿を必要とし、それは村をある期間、活気づかせることになる。

つまり「限界集落」として子育て世代や働き手世代が少ないこの大鹿村が一時期であれ活気づくのは、確かなことに違いありません。

リニアの工事はある一定期間で終了し、やがて山を貫いて新幹線が走ります。村に残るものは、リニアの振動と騒音だけ。駅ができるのは山をくだった遥か遠くの飯田市街地。東京と大阪を1時間で結ぶことをうたい文句にしているリニアが1日にいったい何本飯田に停まるのでしょう?飯田という「田舎」に停まる利点はほとんど無い。さらにそこから客足がこの大鹿村に向かうこと自体、まったく考えられないことになります。

大鹿村を訪れる人びとは、その村の美しい自然と静寂に惹かれてやって来ています。工事で人が増えたとしても、工事が終わったあと、大きな穴があいて騒音と振動がやって来る大鹿村を、以前の常連さんが同じように訪れてくれるでしょうか?

それに対して、説明がないため村全体の意志統一や意志確認もできず、討論の場も与えられず訳のわからないままに、水面下でリニアの計画だけが着々と進行している。

それが今、大鹿村の直面している大きな問題なのです。……そしてそれはある意味、原発問題にも共通するところがあるのかもしれないと、ふと思ったのでした。

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赤石荘には、目の前に大鹿村の山々が迫る露天風呂があります。日帰り入浴が可能です。気持ちよさそうなその温泉に入る時間は残念ながら無かったので、そのまま多田さんにお礼をいうと赤石荘をあとにしました。

「あちこち工事中で大変で……生活するのには本当に困ります。」

赤石荘に着いた時、多田さんの奥さんがつぶやいていましたが、村の中心から赤石荘につながる道も、実は今「通行止め」です。青いケシを見に行く時にもあちこち通行止めだったのですが、大鹿村は古より崩落との闘いを繰り広げていました。

そういう崩落の危険性のある細い山道をようやく拡げ、飯田や宮田村からのルートが確保されました。けれど、私が帰りにそちらのルートを行こうとしたら、そこもまた工事中や崩落修理で通行止め。

大鹿村に至る道は困難を極めます。それが都市部から切り離された美しい自然や、伝統ある文化が守られている大きな理由でしょう。でもそれがゆえに都会の利便性からもまた切り離され、だから若い人手が流れ出ていくことになる。

理想と、生きる事による現実と。
たぶんこの問題は、今までもこれからも、日本のあちこちで途絶えることなく討論し続けられていくことなのでしょう。その「正解」は……繰り返される過去の歴史を見返すことでしか見つけられないのではないでしょうか。

1つだけ私にできることは、この問題を「対岸の火事」、「知らない土地の関係無い出来事」と思わず、自然と闘い、その豊かさ・美しさに心を砕いて守る人びとが、しかしそれゆえに生きるため、村の存続のための闘いも続ける宿命にある人びとがいる、ということを心に留めて行くこと。

美しい自然は、決してただでは得られません。豊かな自然は、一度破壊されたら元には戻りません。なくなった村に人が戻ることも容易ではありません。美しい自然はそれを愛する人たちの思いの上に守られてきたことを……そして都会の利便性はこうして失われたものの上に成り立っていることを……私たちは決して、忘れてはならない……そんな思いを胸に抱きながら、新緑の大鹿村をあとにしました。

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大鹿村HP http://www.vill.ooshika.nagano.jp/
日本で最も美しい村 HP http://www.utsukushii-mura.jp/
赤石荘 HP http://www.akaishisou.com/

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