今 祈り、今 叫び、今 生きる。〜傘に、ラ。(その4)<’10年7月掲載>

「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」
(なかがわよしの 書き下ろし掌編小説より抜粋)

7月3日 19時開演  「傘に、ラ。」Vol.17   今に生まれて今に死ぬ
出演:outside yoshino/タテタカコ   共演:なかがわよしの

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「なぜ、この二人かって?
だって、この二人って『今を燃焼』しているじゃないですか。」

ステージをじっと見つめて音に合わせて身体が揺れるなかがわ氏。
その表情は目の前のステージからダイレクトにガンガン飛んでくる音の固まりを受けとめて、生き生きと輝いていた。

なかがわよしの氏が『今』をテーマに企画・開催して17回目を数える『傘に、ラ。』追いかけて4回目の今回の取材はネオンホールで二人のゲストを迎えてのライブ。

「今に生まれて今に死ぬ」というタイトルを冠し、outside yohinoとタテタカコを迎えた「傘に、ラ。」としては珍しい有料イベント。

そこでなかがわ氏は表には一切登場しなかった。

「なかがわさんはステージ出ないんですか?」「いや、そんなおそれおおいじゃないですか。でも、自分はちゃんと小説を配って、それから気持ちの上では共演していますよ、ちゃんと。」

最初は、その意味がわからなかった。
けれども、ライブのステージが進むにつれて、わたしはなかがわ氏のその想いがわかってきたような気持ちになった。
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最初のMCが、ギターの強烈な和音にかき消される。
outside yoshinoのステージのオープニングはなんともつかみきれない語りから突然たたきつけられたようにはじまった。

outside yoshino
メンバー:俺   影響を受けた音楽:今まで聴いて来た全ての音楽と雑踏の騒音
音楽スタイル:エレキギターと声   レーベル:吉野製作所
レーベル種別:アマチュア 

myspace.com/bedsideyoshinoより)

outside yoshinoのプロフィールを捜してみても、ようやくこれを見つけることが出来ただけ。「そんなことは、どうでもいい」という声がきこえてきそうだ。

たたきつけるようなギターの音と、outside yoshinoの叫びに似た歌声が客席に降り注ぐ。まるで機関銃の一斉射撃を受けるような衝撃。最初はただ「かっこいい」と思った。だけど、聞いているうちに、「かっこいい」から次第に離れていく不思議な感覚に陥っていった。

はじめてギターを手にした15才の不安定な少年時代。隣の家の犬をライバル(?)にしてひたすらギターを弾き続けた時の歌。聞いているうちにyoshinoのギターに反応して必死でほえる犬がそこに見えたような気になった。自分に挑んでくる得体の知れないものに対してただひたすらにほえ返す犬の姿は、何かをつかもうと必死になって、自分の中にあるぐしゃぐしゃなものと闘う15才のyoshinoの姿にも重なってくる。

次々に流れる言葉たちの中で、わたしの心に突き刺さった歌詞。

「弱いものから順に死んでいくのが当然なんだってよ………
冗談じゃねぇぞバカ野郎 殺されてたまるか。
言いなりになって捨てられるために生きてきたんじゃないはずさ……」

(「ファイトバック現代」より)

家に戻って、ライブの写真をPCに取り込んで見た。写真は「時」の中に流れていくoutside yoshinoのその瞬間……「今」を切りだしていた。

その表情は、突き放したような鋭さを持つ歌詞から感じる強さではなく、時には泣き出しそうな、時には祈るような……そんな種類のものだった。

「『傘に、ラ。』のテーマである『今』って、吉野さんにとって何ですか?」

ライブのあとで、“吉野氏”に戻ったときに聞いたこの問いに、返ってきた答え。

「え?『今』以外にいったい何があるの?」

その答えはあまりに強烈な直球だったので、わたしは受けとめた瞬間しびれて次の言葉が継げなかった。こんなに潔い「今」の表現って初めてだ。

「僕の音楽はね、ブルースなんだよ。」

この一言を聞いたときに、outside yoshinoの音楽を聴いているうちに単なる「かっこいい」から離れていった自分の中の不可解な感覚が見えた気がした。

あったかいのだ。彼のギターの音は。限りなく優しく、その鋭い歌詞を包み込んでいたのだ。激しくギターをかき鳴らすoutside yoshinoとギターは一体になって、祈りや叫びにも似た歌声を包み込み、それが受けとめるこちら側に「届けられる」感じ。

それは、「すごいアーティスト」が発する音楽を受けとめる、という感じではなくて一人の人間が「今」を必死で「生きている」その感覚の中に一緒に浸かっている感じ。

必死で何かに向かってあがいて、その中で泣きたくなったり、叫びたくなったり、そんな風に人間が生きている。ステージのoutside yoshinoも、受けとめるわたしも。

その言葉に出来ないものが、outside yoshinoの音を通して自分の中にある感覚を呼び起こしたのだろう……。聴きながら、やっぱり、今、必死で生きている自分もまた切なくて泣きたくなるような、そんな感じで胸がぎゅーっとなっていった。

最初、「かっこいい~」と思ってただその音の力に圧倒されていたわたしが感じた不可解な感覚は、これだったんだ。

そして、これが……outside yoshinoの「今」の形。

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「こんばんは、タテタカコです。」

いつもタテタカコのMCはピアノの前に座ってこんな風に礼儀正しい挨拶からはじまる。縁あって、タテタカコのライブは何回か聞いてきていたので、そんな「いつも通り」のオープニングをごく自然に受けとめて、いつものように流れるピアノの音に耳をかたむけた。

だけど、そこに続く時間は、いつの間にか「いつものように」ではなくなっていた。

タテタカコ
ハードコア・パンクからアヴァンポップまで、あらゆる表現分野を内包し得る新種(あるいは、珍種)のシンガー&ソングライター。
ピアノと歌だけを携えて、剥き出しの表現者魂に導かれるまま独立独歩で歌って歩く。

タテタカコHP—プロフィールより抜粋)

「いつものよう」ではないこの感覚は、じわじわとゆっくりやってきた。
何回も聞いた歌、馴染みの旋律。なのに、なんだかちょっと違う。

さっきのoutside yoshinoのステージで感じたのとはまた違う「不思議な」感覚。
またしても聴きながら不可解な状態に陥ってしまった。

「タテさんにとって『今』って何ですか?なかがわさんから、このテーマでの話を受けて、どんな感じがありましたか?」と問うと、タテさんはこう答えた。

「そうですね……なかがわさんからこのお話をいただいたときに、吉野さんとできるって思って、今日までこの時に向かってず~っと来た、ってそんな感じです。」

そういえば。ライブの途中のMCで、タテタカコはこう言っていた。
「新しいアルバムを出したんですが、今回はいろんな人とやりました。なんだかものすごく、そうしたいって感じたので。」

今まで、自らのピアノと歌だけで構成してきたステージやCDだけど、今回は違った。「人とやりたい」という想いがぐっと生まれてきた。この「傘に、ラ。」でもoutside yoshinoとやるんだ、まずその想いがタテタカコをこの「今」に導いてきたようだ。

「今は、こういうことがだんだん楽しくなってきているんです。」

昨年、タテタカコは友人の石橋英子と曲作りをし、ステージを共に構成した。それから「音楽を知らない」カンボジアのたくさんの子供たちに「音」を届けに行き、たくさんの子供たちと出会ってきた。

「それは、とても大きな影響があったと思います。それまでわたしは人と話すことがとても怖かったんだけれど、人と一緒にって事が怖くなくなってきた。そうしたら、だんだんライブとか話をすることとか、楽しいな、って思うようになってきたんです。」

わたしは自分の中に生まれた「いつもと違う」タテタカコへの感覚がどこから来たのかがわかった気がした。

「楽しくなってきた」……これだ。

今までわたしは、タテタカコのステージはいつもある「緊張感」を持って聞いていた。天から降り注ぐものをタテタカコが受けとめ、それを伝えるのを神妙に聞く……そんな感じ。

だけど、この日のステージではそうではなかったのだ。

たとえば、植物は「光合成」と「呼吸」をして生きている。
呼吸で排出したものを再び光合成のために身体に取り入れ、そこで作り出した物をエネルギーに生きて成長し、排出したものをまた呼吸で身体に取り入れる。そのくり返しで植物は自然の光や水を材料に自給自足で生きている。

この日のタテタカコはまるで植物のようにその音を生み出し、吐きだし、また取り込み……を、自然の流れのままでやっている感じ。outside yoshinoの音は、光や水といった光合成や呼吸のための材料やエネルギー。そして生まれたタテタカコの音は、受けとめた観客の感覚と混じって再びタテタカコの中に取り込まれ、ひとつになってまた音として吐き出されていく。

それは「今」この時、この場だからこそ生まれてくる音。タテタカコの中にある「楽しくなってきた」という感覚がそれをさらに膨らまして、拡げていく。会場も、共演者も、一緒になって呼吸し光合成をして、ステージが進んでいく。

それは、タテタカコが「祈りの肖像」という曲を歌ったときにぶわっと伝わってきた。

花よ誇れ その身を燃やせ 人よ歌え その声届くまで
雨よ踊れ 乾き満たし 流れ続け 続け 続け
人よ歌え 生まれ変わる歌を 歌を
       (「祈りの肖像」より)

以前のように「天から降り注ぐ」感じではない。大地に根をはったタテタカコが大地から吸い上げたものや、生きるための自然な営みから生まれたものを広い空間にぱぁっと放ち、聞いている自分もそれを自然に身体に取り込む感じ。


今までライブで感じたような「緊張感」はまったく必要なくなっていた。

「今日のステージ、なんだかすごく拡がった感じがしたんです。」 そうステージ後のタテさんに語りかけると、「そうですか、もしそうだとしたら、それはきっと一緒にやってくださったyoshinoさんと、今日来てくれたお客さんからもらったもののせいだと想います。」いつものはにかんだような笑顔と共に、そんな答えが返ってきた。

「今」を生き、「今」を楽しむタテタカコが中心になって「今」が渦と拡がりまわりを包み込む。

……これが、タテタカコの「今」のあり方。

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「傘に、ラ。」の企画者でもあり、ずっと「今」をテーマにこのイベントを持ってきたなかがわ氏が、なぜ今回このステージには立たなかったか。

この日、この二人を招いたステージを作りあげたこと、これ自体がすでになかがわよしのの「今」の表現の形だったんだ。

つまり「なかがわよしの」は自らステージに立たなくてもこの二人とちゃんと「共演」していたわけで、その想いを受けてここに来た二人の音楽から「今」がものすごく濃い密度で発信されていたということなんだ。

「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」

最初に引用したこの一文は、なかがわ氏がこの日、配った小説の一節。
二人の「音楽」から生まれる力と、なかがわよしのの「小説」から伝わる想い。

「今に生まれて今に死ぬ」……今、この時を生きている。私たちは生きている。
過去も未来もどうでもいい。今、ちゃんと生きているんだから。こうして何かを感じて熱くなってここに共にいるんだから。

なかがわよしの、outside yoshino、タテタカコ。と、この日ネオンホールの空間を共にした人たちが生み出した「今」はこうして思い切り燃え上がり、その幕を閉じた。

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今後の「傘に、ラ。」 (注:記事掲載当時’10.7月の情報です。)

10年7月25日(日)
「傘に、ラ。vol.19 ~カラーコーディネイト講習会やります。~」
@ナノグラフィカ 時間;13~15時 講師;一色はな

10年8月22日(日)
「傘に、ラ。 vol.20 ~果樹園で朗読会。~」
@丸長果樹園 出演;植草四郎、井原羽八夏、なかがわよしの
詳細後日発表

10年12月4日(土)
「傘に、ラ。 vol.23 ~なかがわよしの告別式  たとえば僕が死んだら~」
@ネオンホール 詳細後日発表
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写真・文 駒村みどり

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