桃栗三年柿八年、田んぼの稲は?<'09.9.28掲載>

<<2009.09.28 N-gene掲載記事>>

実りの秋です。

先日、近くにある青果市場から「巨峰」と書かれた箱を山ほど積んだトラックが出てくるのを見ました。そういえば、この前通りかかった畑でも、野菜を箱詰めしてはトラックに積み込んでいる様子を見かけました。

秋は、豊かな実りをもたらしてくれる季節です。そして、その実りは、あちらこちらの田んぼにも………。

 

ナノグラフィカの高井綾子さんが、松代にある小川さんのうちの田んぼのお手伝いをする模様を5月&7月と訪れてレポートした記事「皆神山の麓の田んぼで…」の続報です。

そうなのです、高井さんがお手伝いしていた田んぼでも、先日ついに稲刈りが行われたのです。その情報を得て、さっそくおじゃましてきました。

「シルバーウイーク」って、誰がいつから言いはじめたのか知りませんが、その秋の連休後半の9月22日。天気は、薄曇り。松代にバイクで向かいましたが、風を切るのでもう長袖+ウインドブレーカーでも寒いくらいです。

連休の後半と言うことで、松代の町中は結構な渋滞。しかし、田んぼのあるあたりはほとんど人通りも車通りもなく、静かなもの。

小川さんの田んぼに着くと、すでにもう稲刈りは始まっていました。 そういえば。昔はこの時期、「農繁休業(稲刈り休み)」っていうのがあったっけなぁ。周りに農家が多かったので友だちはみんな稲刈りのお手伝いにかり出されて日焼けしてた……記憶が。

そう、農業はごく当たり前の生活の一場面で。生活にあわせて学校もお休みになって。そうしてもろもろの農作業が一段落つくときに、一年の労働の慰労も兼ねて地域をあげて「運動会」を家族で楽しむ……という流れがありました。

そうそう、稲刈りの時期に忘れてはいけないお方と久しぶりにご対面しました。

そうなのです、イナゴくんです。このイナゴくん、稲を食い荒らす害虫とされていて、でもその一方で山の地方のタンパク源としては貴重なもので。中学生のころには、農繁休みの宿題で「イナゴを茶碗2杯分持ってくること」が課題に出たりしていたのです。生徒会で全校分を集めて業者に売って、貴重な生徒会の予算源にもなっていたのでした。(私の学校だけかなぁ)

いつの間にか田んぼからイナゴが減って(農薬の影響?)農繁休業もなくなり、今はもうそんな課題が出せなくなっちゃっているんでしょうね。この日も、出会ったイナゴくんはこの写真の3匹……じゃない、2匹と1ペアだけでした。

さて、そうこうしているうちに、高井さんと7〜8名の集団が車でやってきました。簡単に打合せをしたかと思うと、あっという間に手際よくはぜかけの作業に取り組みはじめました。

手慣れているのもそのはずです。このメンバー、毎年ここに田んぼ作りの手伝いにやってきている人たちです。皆さん、すでにもう3年とか5年とか、田植えと稲刈りをここに来てやっている方々で、遅れてきたのはここに来る前に別の田んぼでの作業をしていたからです。

いわば、そんな「先輩諸氏」の間に入って、高井さんも笑顔で作業をしていました。そんな高井さんの仕事姿。一年目とはいえ様になっているような……。

黄色い稲がまだ残っている部分と、すでに刈り取られてはぜかけしている部分。すでに稲刈りが終わって切り株だけが整列して残る田んぼ。

「秋の色」の織りなす模様は美しい……秋の田んぼを見るといつもそう思います。
先ほどまでは数名での作業でなかなか進まなかったはぜかけも、あっという間にすすみました。

そういえば、この田んぼでは「バインダー」で稲を刈ってはぜかけをしていますが。周りを見渡すとなぜかはぜかけが見あたらない田んぼが。

「最近はねぇ、機械で稲刈りから脱穀まで一気に全部、やっちゃう所も多いからねぇ。」

すみません、私、よく知りませんでした。「コンバイン」という機械は知っていたけど、はぜかけしないで脱穀まで一気に!?

「あの、日に干さなくても大丈夫なんでしょうか?」「うん、やっぱりね、味は違うみたいね。ちゃんとはぜかけで日に当たったお米は長期保存しても味が落ちないけど、コンバインで脱穀しちゃったお米は一年たつと味が落ちるらしいわよ。」

おひさまの力は、偉大です。そして、それをちゃんと「はぜかけ」という形で美味しい米作りに生かしてきた日本の農家も偉大です。

それにしても、今年はちょっと青い稲が気になるなぁ。出来はどうだったんだろう?と高井さんに聞くと。

「そうねぇ、どうも今年の実りは今ひとつみたい。稲も軽いようだしね。夏の雨が影響したみたい。」

冷夏だった今年、たしかに実りが心配です。

そうして、一年間、田植えからずっと見守ってきた田んぼ。この先も、脱穀〜新米賞味会(?)〜しめ縄作り、と続いていくのですが、田んぼ自体との関わりはこれで一段落です。

「でもね、実はあまり顔出せなかったんだ。それに、言葉が通じないんだよ。」「通じない?」「うん、みんなの会話が『そろそろあれだから』とか『もういい時期だろう?』とか、主語がないんだよね。でもちゃんとみんなわかってて通じちゃうの。 この会話がわからないとちゃんと田んぼの作業に入れないし。また、来年はもうちょっと会話に加われるように、田んぼにも顔出せるようにしたいなぁ。」「……ということは、来年もやるの?」「そうね、3年くらいはちゃんとやらないとやったって言えるようにはならないよ、きっと。」

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「桃栗三年柿八年」という言葉があります。種をまき、芽吹いてから実りの時期を迎えるまでにはそのくらいかかる。何か事に当たってそれが実るには時間がかかる、すぐには実りを手に入れられない……そういう意味のこの言葉。

高井さんにとっては、今年は「種をまいて芽吹いた」年だったんですね。

こうして田んぼの一年が終わっていきますが、高井さんにとっての田んぼとの関わりはここがスタート。来年、再来年とやっていくことによって「稲作り」における高井さんの「実り」に近づいていくのでしょう。

「桃栗三年柿八年」のあとには、「柚は九年で花盛り梅はすいとて十三年。」とかいろいろな言葉がくっついてくるようですが。

桃栗三年柿八年。高井さんの田んぼはあと何年?高井さんの挑戦は、まだまだこの先も続いていくようです。

そんなわけで。この記事もまだまだ続く……。(かな?)

(写真・文 駒村みどり)

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