カウンセラーとして歩みたい

この年になってやっと、自分のめざす所が決まった気がします。
「カウンセリングの技法を身につけたい」それが私のひとつの目標になりました。
「今までずっと感じてきた苦しみを、他の人たちを手助けするために役立てることができるんだ」その思いが今の私を支えています。


いろいろな病気になって思ったことは、「病気になりにくい健康な人」には
どんなにがんばっても病気のつらさはわかってもらえない、ということでした。
でも、それはある程度は仕方のないことなんですよね。

外から見てわかるけがや病気は、「痛そうだな」「つらそうだな」とはまだ思ってくれても
心身症でだるくて動けない人を見た時に、「つらそうだな」と思うよりも先に、
「なんてやる気がないんだ」「わがままなんだ」と思う方が多いんだというのがつらいけど現実です。

私は昔から、心理テストだの、血液型や生まれ月による性格診断には興味がありました。
たくさんの生徒とふれあっていく中で、「名前」も結構影響があるんだな、とも思っていました。
人を見て、人の動きを見て、どんなときにどんな行動をしたりどんな反応をしたり、
そんな観察をする癖のせいか、人を見る目はある程度、確かだという自信があります。
(もちろん、それによって「あなたはこういう人間」という決めつけはしませんが。)

最初は、今はやりの「性格判断」や「心理テスト」あたりを楽しむくらいのニュアンスで。
そうやって人間ウオッチングしていると、何かしらのパターンが自然と見えてくる気がします。

「うつ」や「心身症」、それによる「不登校」への理解は、まだまだ深いとは言えません。
学校の先生達でさえ、わからないことはたくさんあるんです。
でも、経験しなくちゃわからない心の病気のことについてわかってもらうのも大変です。

自分の悩んだこと、苦しんだこと、つらかったこと、
それらはみんな同じ悩みを持つ人との共有できる事柄です。
うつを越えてきた人間として、周りの人にそれを理解してもらうように
はたらきかける仕事がしたいとわたしは思ったのです。

だけど、いくら人の気持ちがわかっても、悩みや苦しみを解決していく
手段や技法や知識がないとだめだということも感じました。
だから、カウンセリングの勉強を始めたのです。

しかし、今、「カウンセラー」として学校で働けるのは、「心理療法士」でなくてはならないのです。
そこで私が出会ったのが、「日本教育カウンセラー協会」というカウンセリングの研究会でした。

「学校の先生じゃなくてはできない生徒のためにできるカウンセリングの技術を磨くこと」
その主張するところでした。

職場や病院や、学校などのカウンセリングルームのカウンセラーのところに
自分から、または人に連れられてカウンセリングを受けに行く人はまだいいのです。
学校にも社会にも、それさえもできずにどうしたらよいかわからず
小さく殻にこもっている人がたくさんいるんです。

私の目指しているのは、いわばこちらからそういう人を見つけて声がけのできる
「出張(押し売り)カウンセラー」(笑)なのかもしれません。

誰かに声をかけて欲しいのに、それが上手にできないから
なおさら縮こまっちゃっている人は山ほどいるんです。
あなたのお隣の人も、そうかもしれませんよ?

私?私だってそうなんです。
だからこそ、そういう同じ気持ちでいる人を見つけることが得意なのかもしれませんね。

今、私は「中級教育カウンセラー」の資格を得ています。
さらに勉強を積んで、上級を目指し、
同じ苦しみを知っているものだからこそできるカウンセリング
身につけていきたいと思っています。

さいごに、ここまで読んでくださったあなた・・・
きっと今までに私と同じように苦しいことがあった方じゃないかと思います。

そんなあなたは、人の気持ちをかんじとる
アンテナの感度が人一倍いい人だと思います。

それはつらさのもとでもあったかもしれないけど、
同時にあなたのとてもすばらしい財産でもあると思います。

ぜひ人の心とふれあうお仕事でその財産を生かしてください。

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