「うつ」と向きあって
〜その1「うつ」と診断されるまで〜

「紹介状を書きますからこの病院に行ってください。」
それが私の「うつ状態」とのおつきあいのはじまりだった。

はじめは体がだるくて風邪かと思った。
そのころの私の状態は、こんな感じだった。

熱がないのに、体が重く、力が入らないし起きる気力もでない。
眠っていても意識が冴えていて、夢と現実の境がわからない。
眠れずに頭の中をぐらぐらいろんな考えが渦巻く。
目が覚めると、寝汗で気持ちが悪い。
人の何気ない言葉に思いの外、傷つくことが多い。
何もかもが面倒。片づけや食事作りがものすごく苦痛。

内科のかかりつけのお医者さんにそう話すと、すぐに紹介状を書いてくれて、
心療内科のお医者さんに行くように指示された。
言われるまますぐにその病院に行くと、
小部屋に通され、「この質問用紙に答えてくださいね」と
6ページほどの冊子を渡された。

考えるのもつらかったけど、とにかく全部に解答して渡したその結果を見て
お医者さんがこういった。

「あなたは今、休養が必要です。仕事を休んだ方がいいでしょう。
今はまだ、薬で治せる状態ですから、
とにかくあまり考えず、薬を飲んで休みましょう。」

その言葉を聞いた時、ドキドキしたのと同時に、ものすごくほっとした。

「私は病気なんだ・・・
怠けたいとか、さぼりたいとかの不真面目さとはちがうんだ。
休んでも・・・・・いいんだ・・・。」

自分で言うのも何だが、私はものすごくまじめに素直に生きてきた。
「休む」と言うことは、「さぼる」と同義に感じるほどに
罪悪感を持っていた。

人の言うことはみな素直に受け止め、直せることは直し、変えられることは変え、
自分のことはできるだけ人に迷惑かけないように自分で解決してきたし、
いくつものつらいことも、何とか乗り越えてきたつもりだった。

とにかく「生きる」ことに対して、いつも糸をピンと張りつめたような
そんな緊張感を持って今までやってきた。

そのストレスのせいか私はよく病気をした。
風邪をひくのはしょっちゅうで(昔からのどが弱かった)熱もよく出したし、
それを我慢して仕事に行っていたためにこじらせて気管支炎にもなった。

音楽を仕事にしているのに、中耳炎になって耳がよく聞こえない時もあったし、
扁桃腺を腫らして声が出ないで黒板に筆記で授業をしたこともあった。
腱鞘炎にもなって半年もピアノが弾けないこともあった。

そして、そんな生活の中で、時々からだが思うように動かずに、
頭がふらふらしてベッドから起きあがれなくなることがたまにあった。

そんなときは、一週間くらいはベッドでただ寝ていた。
熱もなく、痛みもないのにただふらふらする。
横になっている分には、何も変化はないのだが、ただ起きあがれない。

まるで糸の切れたたこのように空中をぐるぐるさまよっている感じ。
けれども一週間くらい休んでいればとりあえずは元気になった。

その状態になった時は、休むことがとても申し訳なかった。
寝ていれば元気なのに、運転も家事も仕事もできないでぐったりしているだけ。
そんな自分が情けなかったし、人に迷惑かけてるうえに
仕事をさぼっているみたいでものすごい罪悪感があった。

「あなたは病気です、休みなさい。」

その一言は、そんな私にものすごい安堵感をくれた。
私は、怠けてるんじゃなかったんだ、これは病気なんだ、休んでもいいんだ。

胸にわきおこるいいようのない真っ暗な不安感も、
体に力が入らずに何もやる気になれないこのけだるさも、
薬を飲んで休めば、きっと元気に元通りになれるんだ・・・・。

そう思った時、涙が出るほど嬉しかった。

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