「うつ」と向きあって
〜その2「うつ」の状態 Lv.1〜
とりあえず、休みを取って、しばらく病院に通った。
自分の状態をお医者さんに話し、薬を調節してもらった。
病院には、自分で運転して行かれる状態ではなく、
毎回主人に付き添ってもらった。
「うつ」と診断が出てから、一気にいろいろな症状が出てきた。
たぶん、これが私のうつの第1段階なのだろうと思う。
起きあがるとふらふらして立っていられない(時に倒れたりも) |
外に出られず、周りに人がいるといいようのない不安に襲われる |
人と話ができない、したくない(家族でさえも) |
何かしていないとどうしようもない不安感が襲ってくる |
食事がつらい、もちろん作ることもできないし食べられない |
休むことで人に迷惑かけているという罪悪感に襲われる |
仕事に行かれないのに、行かなくてはと考えるとすくんでしまう |
わけもなく、涙が出て止まらない |
じぶんの状態が自分で良くわからないが、とにかく不安で胸がつぶれそうになる。
何かしていないといてもたってもいられないのだが、仕事も読書もできない。
人と関わるのがとてもいやで、みんなが自分のことをいろいろ言っている気がして怖い。
人と会うと、自分の状態を説明しなくちゃならないし、
それに、人前では元気な仮面をかぶるくせがついているから、
それができない今は、人に心配かけたくない。
今まで一番何でも話していた自分の母にさえ、
心配かけたくなくて電話にも出られなかった。
いつも子供の前では元気な母親としてふるまうのが私の信念だったけど、
それもできない今は、子供にもかかわるのが怖くなった。
そんな私ができることは、ただ毎日パソコンのゲームに没頭することだけだった。
「ぷよぷよ」というゲームがある。
勝ち負けなど関係なく、毎日毎日その画面を見て過ごした。
ただ動くぷよぷよを見て、回したり、落としたり、くっつけたり・・・。
その時は頭が空っぽになって何も考えずにすんだ。
不安感も感じないですんだ。
今、あのころのことを思い出してみても、何も思い浮かばない。
ただゲームの画面を見ていた自分しか思い出せない。
食事は、していたんだろうか。
夜はちゃんと眠っていたのだろうか。
その他諸々の、すべてのことが記憶にない。
子供達は、まだ小さくて甘えたい盛りだったろうに、
母にも声をかけられずにどんな思いだったんだろうかと思う。
私が本当にありがたかったと思うのは、
そんな状態の私を抱えながら二人の子供の面倒を見てくれて、
いっさいをやってくれていた主人がいてくれたことだ。
もし、主人が理解のない人だったら、
私の気持ちはどこへ行っていたのだろうと思うとぞっとする。
元気になった今ふりかえってみて
家庭・職場・病院・友人とそのすべての環境で
理解してもらえたことへの感謝はいっそう大きくふくらんでいる。
それはこのあとの折に触れて書いていくつもりだけど
うつや心の病気に悩む人にとってまわりの理解が
何よりも大切な「お薬」になるということは絶対なのだと思う。
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