「うつ」と向きあって
〜その3「うつ」のもととなったストレス〜
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ずっとたまってきたストレスは、それはそれは大きい物だったが、 私が今振り返って心にため込んでいたつらかったことが何だったのか 小さい頃から、「いい子」で育ってきた。 自分の意見や理想は持っていたが、「もっと大きな力」の前には、それを飲み込んで 「人に知られずとも努力すれば、きっといつかはわかってもらえる」 思い上がり、そんなの理想論、と言われればそうかもしれないが、 「子供」のうちは、それでよかった。 多くの人たちは、自分のために生きている。 「つらい」ことは「つらいよ!」と、 けれどもそれができない私の、それをよしとしない私の、 だけど、今さら、自分は変えられない・・・。 それは、とても大きな壁だった。
これまではそれをはき出すこともできなかった。
「一人で何とかやっていこう、自分がしっかりしなくちゃ」と頑張りすぎたのだった。
思いついたものをまとめてみた。
仕事での人間関係
生徒への思いや願いがわかってもらえないこと
思い(自分の理想)をまげて指導しなくてはならない時
生徒理解における同僚間での意見の相違
自分や子供の体調不良で休みを取る時の申し訳なさ
忙しさのため、完璧な仕事ができない時のいらだち
一人の人間として認められない時の悲しさ
家庭での思い
「母親」と「教師」との板挟みに悩む時
完璧な母、完璧な妻をこなそうという思い
「自分」を保つためにしたいことを母・妻をするために捨てること
家族の和を保つために自分を押さえ込んでいること
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外の社会での思い
いつでも笑顔で、涙は見せずに努力すること
人に対して悪くいうことは絶対にしない
「やってはいけないこと」は山ほどあって、それを忠実に守ってきた。
「自分自身の思い」をおしころして「人のため」に動くことが生きがいだった。
「人にとっていいこと(いいと思われること)」をまず優先してきた。
「つらくても、笑顔でいればきっとみんな幸せになれる」
それが私の思いだった。
私はキリスト教の教会で生まれ、その教えが身にしみこんでいた。
人のために、人の笑顔のために何かをすることは、喜びでもあった。
「良い子ねぇ、よくできたねぇ」と認めてもらえた。
だけど、社会に出たらそうじゃないときもある。通用しない時もある。
それがわかってしまったのが良いのか悪いのかはわからない。
自分が生きるのに精一杯で、人の気持ちまでゆっくり考えていられない。
「苦しい」ときは「苦しいよ!」と、
声や態度に出していかないと、わかってもらえないんだ・・・。
ストレスはすべてそこから発していたように思う。
そしたら「わたし」はどこに行って、どうすればいいのだろう。