そんなこの社会を生き抜くためにどうしたらいいのか、という方法を探すと、たとえば本屋の店頭に並ぶのは「誉め上手」とか「空気を読む」とかいう“無難な方法”ばかり。何かの事件が起こると「誰が悪かったのか」という討論に終始し、ではなぜその「悪いこと」に至ってしまったのかという根本に迫る議論はほとんど見あたらない。だから不祥事に対しての始末は「すみませんでした」と頭を下げ、責任をとって誰かがやめるだけで終結し、罪を犯したものが刑罰を受けることで納得し、悪者が消えたことで世論は次の刺激に興味が移ってしまう。
もう延々と続くこの光景。何度となく繰り返されるこの茶番に対して人々はもう慣れてしまってそれを茶番とも想わない……つまり、私たちの社会は今、それが「おかしい」とイメージする力さえ失う状態に陥ってしまっているのです。
この問題は、どこか遠くに起きたことであって自分たちのことではない、と自分たちの問題としての「イメージ」が出来ない。だから、実は自分の身近でも似たようなことが起こっているのに気が付かない。その根本にあるものは実はすべて「同じ問題」であって、それをすぐに根っこから掘り返して覆さないと、自分の周りでも「現実」になり得ることなのに……もしかしたら、今すぐにでも。
さらに、大人たち……「社会全体」がイメージする力を失ってしまったため、その影響をもろにかぶってしまったのが「子供たち」。そもそも子供たちはイメージの固まりのような存在。イメージがなくては生きて行かれない存在。その子供たちの周りからどんどんイメージが失われ、イメージすることが誤りであるかのような錯覚さえも植え付けられつつある。苦しくなる。当然子供たちは息もできなくなる。
もうひとつ。学力を支え、伸ばす一番の力が「イメージ力」。子供たちの学力低下が叫ばれて久しいけれど、子供たちのイメージ力の低下を叫ぶものは皆無に等しい。学力の低下、それはイメージ力の低下が大きな原因。今すぐに、それを取り戻す努力をはじめないと手遅れになる。いや、もうすでにかなり危機的な状況である。さらにイメージ力というのは簡単に付くものではない。だから、今すぐ、それに気が付いたものが今すぐに、始めないと手遅れになってしまう……。
このイメージ力を取り戻すこと、それ以外に子供たちの学力を取り戻し、学校を再生させ、さらに社会をよみがえらせる方法はないのです。だから、それを今すぐにはじめないと。まずこれを読んだあなたが。そしてあなたの周りの人間が。そうすることで確実に、子供たちも、学校も、社会も「明るい未来」への道に一歩を踏み出すことが出来るのです。