被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その3)【’11年5月掲載】

連日連夜流れる被災地からの目を覆わんばかりの映像。テレビやラジオ、どのチャンネルをまわしてもなすすべもなく流されていく家々や人びとの涙と叫び。そして絶え間なく続く大きな余震の恐怖。停電のため混乱した大都会。

「○○で人が助けを求めています!」

Twitterのタイムラインはそんな救助要請や家族を捜す悲痛な声で満たされ、一方で「何とかして!」「何ができる?」と支援をしたくてもどうして良いかわからずにとまどう声も。

3月11日。

「その日」を境にのどかな日々が一変した。次第に被害の大きさが明らかになるにつれて人々の心にできた大きな傷口からの痛みがそれぞれの人たちの心を重くしていった。やがてこんな呼びかけまでなされる事に。

「ニュース映像を見続ける人にも衝撃によるストレスが影響を及ぼします!テレビを見続けずにスイッチを切って下さい!」

そう。映像が苦しかったらテレビを消せばいい。ラジオを聴きたくなければラジオのスイッチをひねればいい。けれど……

毎日地震のニュースを見ていると具合が悪くなる、ニュースを見るのをやめたという大人がいる。何回も同じCMが流れて抗議をしたという人もいる。子供たちは、このような景色だけを毎日見ている。これが現実なんだと思ったら胸が苦しくなった。

(以下太字は笑顔プロジェクト横川玲子さんの「救援物資運搬・炊き出し」の記述より。)

そこに「現実」として目の前のがれきの山が広がったままの被災地の人びとは毎日その「事実」を突きつけられている。その事実の中に大切なものの命を奪われたものもいる。被災地の人びとは悲劇のスイッチを消すこともかなわないのだ。

そんな被災地に笑顔プロジェクトチームの代表メンバーは飛び込んでいった。

27日0時 天気は雨、すごく寒い。 総勢24名、7台の車が長野を出発する。 これから向かう先も雨が降り、寒いのであろうか。
私は支援物資を載せた車に乗った。支援物資・支援金を提供した人、仕分けや積み込みをした人の 「本当は一緒に行きたいけど、行かれない。どうか届けて欲しい!!」 温かく優しい気持ちがたくさん詰まった車に乗り込んだ。

(中略) 福島近くから高速道路がガタガタと道が悪くなり、車酔いとこれからどんな光景が目に飛び込んでくるのか。 そして、初めてのボランティアで迷惑をかけないか。 不安で胃が痛くなった。

3月11日の被害を受けた人と、そうでない自分たち。その実際もわからないし、何ができるのか、果たして自分たちが力になれるのかもわからない。大きな不安を抱えつつ、メンバーで支え合いながらここまで来た。それでもやっぱり胸が痛くなる。

現地に着いて女川第一中学校で物資を配る。
「クッキーをもらえる」という言葉に想像以上に大きな喜びを見せる子どもたち。

            (被災地に届けた手作りの「笑顔クッキー」)
女の子の3人が私のところに来て、
「私ね、クッキー大好きなの。本当に嬉しい、ありがとう。」
「久しぶりのおやつです。」
「おやつの中でクッキーが一番好き。」
クッキーでこんなに喜んでくれるのかって思った。もっと、あれが欲しかった、これが欲しかったって言われるかと思ったこの子たちの給食はパンと牛乳だけ。

「もっと」という言葉は、どの子からも聞くことがなかった。自分の与えられたものとそれを持ってきてくれた想いに、心から感謝する子どもたち。「もっとわがままになってもいいのに!」と思うけれど……子どもたちの喜ぶ姿に逆に胸がつまりあふれそうになる涙を抑えて笑顔を作るメンバー。

そうかと思えば生きるための「現実」もまた迫ってくる。
炊き出し用の別の会場で、うどんを作りデザート用のゼリーを配りはじめたときのこと。

仕切りのないところでゼリーを配り始めると列を作らず、四方から延びる手。一個ずつ配る私を差し置いて、すべてを持っていこうとする。
それが本能だ。 自分の身を守るための行動だ。 生きていくための手段だ。そう思ったけど、 遠くでこちらを見ている方の姿を見つけ、このままではいけないと思いっきり声を振り絞って 「少しでも多くの人に行き渡るようにご協力ください。」 その言葉で、元に戻してくれる人もいた。

多くを望む気持ちもわかる。生きていこうとする本能と、人としての助け合いと……どちらの立場もわかる。……本音と建て前と云々言っていたら「生きる」ということの前に力尽きるかもしれない。だけど……。

炊き出しをしている私たちを手伝ってくれた、おばさま二人と出会った。「自分たちは、家も仕事も失った。早く仕事をしたい」 そして「あなたたちは、いいわね。帰ったら仕事があるんでしょ?」

帰ったら「もとどおりの日常」が待っている自分たち。一方の目の前にいる人たちは「天災」という敵に傷つけられ突き落とされても、その怒りや悲しみをぶつける場もない。言葉を失う。返す言葉もない。あるのは「普段通りの日常」に感謝する気持ちと、この人たちに精一杯できる事を……の気持ち。

次の避難所に向かう。湊小学校体育館。
体育館の周りには、墓地があった。目に入ってきた光景は……。

墓石の上に車が・・・ 近づくと仏像も倒れ首が取れているものもあった。大人の私でも、恐ろしいものがあった。この墓地の向かいに体育館への入り口があった。

体育館に避難している人びとは、この「恐ろしい」光景を毎日目にして生活しているのだ……。

「欲しいもの」との問いに答える子どもたちの口から出るのは……フラフープ、投げ輪。読み飽きてしまったので違う絵本。……それから、おやつ。

子どもたちの望む物は、つい1ヶ月前までは当たり前のように身のまわりにあったもの。けれど避難所生活ではそれらの物すら手に入らず、まして多くの人が避難しているので体育館といえども走り回ると「走るな!」と注意の声が飛ぶ。
(欲しいというおもちゃが、大きく身体を動かさずに遊べるものだというのもそういう状況を理解して、の事なのだろうか?)

それでも、その状況の中で、「今」を素直にしっかり受けとめて子どもたちは生きている。忘れられない、忘れちゃいけない。

「また、来ます」……目の当たりにした震災の傷跡を受けとめたメンバーの答えが、これだった。

(その4に続く)

*今回の記事に引用させていただきました福島さんの写真と記述の全文は、笑顔プロジェクトHPの「活動報告」の救援物資運搬・炊き出し (2011,4,27) に記載されています。

現地に行ったメンバーの生の声と現地の事実が綴られています。是非全文お読み下さい。

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