震災・被災地支援

被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その5)【’11年5月掲載】

(注:本記事は、H23年5月11日に発表されたものの再掲です)

*本日5月11日で、震災から丸二ヶ月がたちます。改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしつつ、今なお避難生活にある人びとに一刻も早く安心した生活が戻りますことを重ねて心からお祈りしたいと思います。
なお、これだけの日々を経た今も、被災地からは大量の支援物資の要請が笑顔プロジェクトの方にも届いているそうです。この記事の一番最後に詳細を書きますので、可能な方はお力を貸していただければと思います。

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「自粛」と「不謹慎」という二つの言葉。

何かしたい、何かをしよう……と人々の心が被災地や自分たちの状況に集中した3月11日から日がたち、それぞれの受けとめや感覚や行動の差が次第に明らかになるにつれてこの2つの言葉が世の中に蔓延し、人びとの動きは停滞しはじめた。

「自粛」と「不謹慎」による自主規制の動きには、「こんなことやったら被災地には迷惑」とか「被災地の人が悲しんでいるのに自分たちが笑っちゃダメ」とかいう想い、さらに何もできない焦りから生まれた目立つ人に対してのあこがれやできない自分を卑下する、もしくは理由付けしようという想いが垣間見える気がする。

そうでなくても災害によって「日常」が停滞しているところにさらに自主規制がかかった世の中。でも、果たして「これから」のためにはそれでいいのだろうか?

「だからね、お金を動かさなくては。まず、昔から商業地だったこの小布施町でちゃんとお金を動かすことが大切なんです。」

そうして生まれたのがこの企画。「ラーメンフェスタin小布施」だ。

北信の人気ラーメン店8軒が出店、一杯500円のワンコインでラーメンが食べられる。でも、小布施でなぜ「ラーメン」??さらにラーメンのイベントだったら毎年地元テレビ局主催のものはじめすでに大きなものがいくつかある。

「ラーメンはね、小さいお子さんからお年寄りまで、みんなが笑顔で食べることのできるメニューだからですよ。」……と林さん。

「で、今回は皆さんと相談して他のラーメンフェスタと違い全部『新作ラーメン』で行こうと。お店に行ったらいつでも食べられるラーメンじゃなくて、ここでしか食べられないもの。そして赤になったら意味がないから黒字(収益)を出す。そのお金を支援活動に当てる。

みんながおいしいラーメンで笑顔になって、そのお金を使うことで被災地に笑顔が届けられて、自分の笑顔が被災地の笑顔につながる。」

 
 
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「正直ね、ラーメンとしたらほとんど収益無いですよ。」

そんな林さんの想いを受けた須坂の参加ラーメン店「旋風堂」の店長の田子さんに「500円って値段設定、正直どうなんですか?」と聞いたらこんな答えが返ってきた。

「せっかくいろんなラーメン食べられるんだからと、話し合って一杯の量は控えめで500円設定にしたけれど、それでも500円じゃとんとんぐらいかな。けどね……」

「今回の話を聞いて嬉しかったよ。だって、もし必要だったら実際現地に行って炊き出しでもなんでもする気はあったけど、行って邪魔になっても困るし1人でがんばるのは難しすぎる。せいぜい店で募金つのるしかできなかったところに今回のこの話が来た。こんな風に誰かが考えてくれてそこに乗れば自分も力になれる。『待ってましたぁ!』って感じだったよ。」

そんな田子さんは、「焼きラーメン」の新作メニューを考えている。

「これ今回のフェスタでしか絶対に作るつもり無いからね。フェスタ以外ではもう食べられない味になるよ。」

……つまりは、旋風堂の「幻の味」になるわけですね。

その幻の味が、他の7店でも全部一杯ワンコイン500円で味わえる。会場の小布施ハイウエイオアシスではこの日、ライブペインティングや太鼓の演奏などのイベントも盛りだくさん用意されている。そしてそこで1日楽しめばその笑顔は確実に笑顔プロジェクトメンバーが被災地に届けてくれるのだ。

用意されたのは3000食分のラーメン。だけどもしかしたら、足りなくなるのかもしれないなぁ……と、林さんや田子さんの笑顔を見ながらふとそう思った。

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「何かしたいけど、何もできなくてじれったかった」

旋風堂の田子さんの言葉にもあったけれど、実際そう想っている人が私の周りにもかなりいる。私も、そして私の周りの多くの人たちも、そういう思いを抱えつつ「できる事は?」と考えては募金をし、支援物資を提供してみても「届いている」「役だった」「力になれた」という実感はなく、現地では本当に足りているのか、何が必要なのか、という情報はほとんど入ってこない。

笑顔プロジェクトに係わった人たちは、笑顔のお返しをダイレクトに感じることができ、次にできる事は?と具体的に考えて動くことができる。小布施の近くにいる人や遊びに来ることが出来る人は、今回のラーメンフェスタでおいしいラーメンを食べる事で「協力できた」「力になれた」実感を得ることも出来る。

でも、それすら出来ない人は?それが出来ないと、やっぱり「何もできない自分」を恥じたり卑下したりして哀しい思いにいなくてはならないのだろうか?

……私は、そうは思わない。

では、いったい何をすればいいのだろうか?

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原発問題が起こり、電力の不足がささやかれて行われた計画停電。その時に想い出したことがある。

「こんな停電、昔はしょっちゅうあったなぁ……。」ってことを。

まだ、テレビが白黒だった時代。番組が盛り上がって「いよいよ」って時に、突然テレビが消えてしまうことがよくあった。夜、明日の宿題を必死でやっている最中にも、突然真っ暗になって何も見えなくなり、焦ることもあった。「停電」は予告もなくやって来て、いつまで続くのかもわからなかった。

けれど、誰ひとり怒らなかったしあわてなかった。家々に常備してあるろうそくをつけ、ろうそくの周りに集まって平気で食事や会話が続いていた。暗闇に揺れるろうそくの光はあたたかくて、いつもよりも隣の人を身近に感じ、暗闇はなんだか「秘密基地」を思わせてドキドキした。

夜になると暗くなるのは当然で、コンビニが生まれる前の時代、お店は19時というとみんな閉まってしまった。買い物はそれまでに済ませて人びとは家路につく。「夜は暗いのが当たり前」だった時代。

被災後の電力不足が懸念される今、「節電のため、明るさを控えています」とお詫びの貼り紙のある店に入っても、実は何も不便はない。節電状態でも充分だ。今までは「もっと目立つように、もっと買ってもらうように」という想いから必要ない電気が使われていたのだから。

それは何も、電気に限ったことではない。テレビもそうだ。どのチャンネルを見ても同じような情報しか流れてこなかった震災時。テレビを消して、新聞やラジオ、ウェブ上だけでも充分に情報を得ることが出来た。それも、テレビのように垂れ流され押しつけられる情報でなく、自分から求める事実を必要に応じて必要なだけ。

食べ物、灯油やガソリン、本……同じように振り返ってみると「無くても大丈夫なもの」がいかに多かったのかを震災後にものすごく感じる。

そうして「もっと」を望まずに無くて当然の状態で「無駄を省くこと」をみんなが行った結果、停電はかなり規模が縮小されたし、必要な物は被災地に届きやすくなった。

人びとが「もっと」を望まずあるものに感謝して大切に使う……それだけでちゃんと世の中の流れが自然になり、さらにそこには「ありがとう」と笑顔が生まれている。

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今回、笑顔プロジェクトのメンバーが支援活動で、子ども達がさぞや「もっと」を言うのかと思ったら、それどころかクッキー1枚、本一冊という「今ここにあるもの」をものすごく喜んだ姿を報告している。

たぶんその子達は、あきらめたわけでも我慢しているわけでもないと私は思う。そのクッキー1枚、本一冊を届けようとここまでやって来てくれた人たちの「想い」の温かさを感じ、「物があること」に対しての心からの感謝と喜びで満たされたからなのではないだろうか。だからその「ありがとう」が伝わると、届けた方も嬉しくなって「ありがとう」と笑顔になる。

家族がいること、仕事があること、食べるものがあること……生きていること。
当たり前だと思っていたそれらのことを振り返ったときに「あること」に対しての感謝と喜びの気持ちがわき、そして「ありがとう」と口に出すことで人びとが笑顔になる。

「わたしには何ができる?」そう思ったら、そんな風に感謝を持って「ありがとう」を口にしてみたらどうだろう。もし、それで自分も、それを聞いた人も「笑顔」になったら。それがあなたにできる、あなたにしかできない何よりも大きな事なのではないだろうか。あなたの想いが大きいほど、あなたの笑顔が人にもたらす笑顔も大きく拡がるはず。

それが拡がっていくことで、自分だけでなく周りの人々、そして地域の人たち、被災地の人びと、日本の人たち……さらには世界みんなの幸せへとつながっていくのではないのだろうか。

どんな小さな事でもみんなで積み重ねていけば……それは絶対にできるはずだ。

大げさな物言いかもしれない。
けれど、こうして「笑顔をつなげ、被災地に笑顔を」というところから始まり、被災地の人びとの必死で生きる姿に背中を押された人びとの小さな力がしだいにまとまり確実な力として被災地に届けようとしている、長野県小布施町の小さなお寺中心に拡がりつつある「笑顔プロジェクト」の試みから、そんな事を強く感じた。

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取材後、夕闇に埋もれつつある本堂を背に別れを告げ「本当は私も、行って力になりたかったんですけれど……」と小さくつぶやいた私に、林さんは満面の笑顔と共にこう言った。

「こうして取材に来て、いろいろなことを聞いてその事実を「伝えて」くれる人も必要です。被災地の皆さんの「この事実を記憶から消してしまわないで!」という叫びを届けるためにも……。」

その言葉と林さんの笑顔に、私は「ありがとうございます」と笑顔で返し、家路についた。

〔写真・文 駒村みどり)

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これまでの笑顔プロジェクトの詳しい情報や、これからの活動予定などはこちらから。
「日本笑顔プロジェクト」HP
Facebookページ「日本笑顔プロジェクト」

被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その4)【’11年5月掲載】

4月27日の訪問は日帰りという強硬日程で、現地での混乱や慌ただしさや困難があった。しかし、実はそこに至るまでの地元の準備段階でも、かなり大きな壁をたくさん乗り越えなくてはならなかったのだ。

「4月27日にうどん1000食を被災地の子どもたちに届けよう!」

笑顔プロジェクトの支援目標が決まった。では次に、支援に向かう先は?

先発隊のメンバーがすでに行ってその情況を目の当たりにしている宮城県へ。でもその先はまったくわからない。どこも大変だろうが、同じようにちゃんと支援が届いているのかと言ったらたぶんそれはないだろう。「学校」で一番支援が届いていないところに行こう。

そう考えて地元のボランティアセンターに問い合わせる。しかし、「学校は後回し、避難所が先」というボランティアセンターは「学校」への分配機能がなかった。その現状を全く把握もしていないので取り次ぎどころか紹介さえもしてくれない。社会福祉協議会や役所、公的機関もおなじ。どこも全く当てにはならなかった。

それなら、とみんなでいろいろな伝手を頼って「地元の人」を探した。地元水産業の平塚さんという方にやっとつながりをつけることができた。その方を通じて「支援が必要な学校」ということでようやくたどり着いたのが「女川第一中学校」だった。

一方うどん1000食を実際に「炊き出しに行く」ために必要な物……現地調達は無理だからすべてをこちらから持って行くことになる。

「ガス」。火をおこし、お湯を沸かし、うどんを茹でるのに必要。
1000食分というと相当なガスが必要になる。けれど、個人で運べるガスの量はたった8キログラム。小グループのキャンプだったらいいけれど、1000食はとても作れない。さらに大量のガスを運ぶにも扱うにも、「危険物取り扱い」の資格を持ったものがいないとダメだ。(実際に、ボランティアで行った人による「ガス事故」や「ボヤ騒ぎ」も報道されていないが多発しているようで地元でも神経をとがらせているそうだ。)

………どうしたらいいのだろう?みんなで必死に考える。

初っ端からの躓きに困惑しながらこちらもメンバーそれぞれの伝手をたどり、Web上でも必死で手立てを探っていたら中野の「北信ガス」という会社が協力を申し出てくれた。ガスの取り扱いの資格を持った人材と運搬車両を貸してくれることになった。

「水」。うどんのつゆなどで必要になるのは600キログラムの水。20リットル入りのポリタンクが30個必要になる。

「地元の給水車を借りられれば……」

そう思って小布施町に掛け合ってみた。だが、給水車は緊急時のもので、たとえ普段使ってはいなくても「もしも」のために地元から離すことが出来ない事になっているとのこと。隣の須坂市でも同じ答えだった。確かに時期が時期だから、地元だっていつ必要になるかわからない。またもやみんなであちこちに投げかけ、問い合わせる。

給水車を貸せない代わりに、とポリタンクを沢山貸してくれた自治体。そしてタンクを持っている……という個人の方の好意。最終的には北信ガスさんが大型の水用タンクを貸してくれることになり、ついに水600キログラムもなんとか持参可能になった。

行き先が決まり、支援物資も整って、材料もそろい、出発までにあと3日……。
そこまで来てアクシデントがまた起きた。

「排水は持ち帰って下さい。」との連絡が入る。

現場の混乱状況や処理雑務の多さを考えれば仕方がないこととはいえ、「排水タンクは充分だから排水の方は持ち帰らなくてもいい」という打合せだったはず。

持って行く水のタンクに排水を入れるわけにはいかず、あわてて処理の仕方を考える。またもやあちこちに投げかけて、直前に慌ただしいながらもようやくドラム缶を用意することができた。

そうして迎えた4月27日。夜中の0時の小雨降り注ぐ寒さの中、総勢24名、車7台のチームが出発。

           (写真は公式ページ「笑顔の活動報告」 より転載)

結局現地でも、「避難所以外での調理行為禁止」とか「炊き出しは一品ではなく一食のメニューにしなくてはダメ」だとかいう様々な困難に突き当たって右往左往した。

けれど現地での支援活動に向けて、メンバーや沢山の協力者とそれらの多くの困難や積み上がったがれきの山を一回乗り越えてみて今、林さんはこう語る。

「支援物資を持ってきてくれる人や、車を見送ってくれた人たちはみんな『ありがとう』って言ってくれたのです。」

「何かしたい。自分たちも行って手伝いたい……。」
きっと辛い思いをして居るであろう被災者の方々への思いがあっても何もできない憤りの中にいた人びとが、「支援物資供出」で協力でき、その想いのこもった荷物の載った車を見送って実際に想いが届く状況を見ることが出来た。小さくても自分も力になれた。それが「ありがとう」に込められた想い。

一方で実際に支援活動を行う林さんたちメンバー自身も、最初はまったく何もないところからこんなに沢山の人たちの協力を得、その思いを受けとめて支援活動に向かうことができた。自分たちだけではできなかった。「ありがとう」と心から思う。

被災地ではいつまで続くかわからない深い悲しみや寒さや飢えや不自由さと今も毎日闘っている人びと……支援物資を届け、炊き出しのうどんを食べた人から、「ありがとう」の声を受け取ることができた。

「笑顔でそれぞれの想いや行為に心から『ありがとう』を口にする。みんながね、お互いに『ありがとう』なんですよ。ありがとうでつながっている。」

心からのありがとうという言葉に乗って、笑顔は確実に支援地につながった。
そして支援地でもらったありがとうが、笑顔と共に地元に戻ってきてさらに大きな「ありがとう」と笑顔につながっていく。

災害のあと、「何かをしたい」「何ができる?」と突き上げられる想いのままに、人びとは公的機関の支援物資集めに協力したり、義援金に募金したりした。私も募金箱と見ると手持ちのお金を募金した。

そこにあるのは、人として本当にシンプルな人を想う気持ち。けれど、そのシンプルな気持ちが実際にちゃんとした形で届いているのかどうかはまったくわからないままだ。

実際、自分が今入れたお金は、いったいどこの誰に、いつ役に立ったのだろうか?今現在、寒さや飢えや悲しみで苦しんでいる人たちのために「今すぐ」役に立ちたいのに、何もできない。せめて、と募金してみても、そのお金は「今すぐ」どころか、ちゃんと役に立ったのかどうかすらもわからない。

著名人がチャリティーで大金を寄付し、コンサートを行うニュースが流れる。なのに力のない自分には何もできない。実際に行くことができたら、と焦る。でも、実情はそう簡単にはいかない。……やっぱりもやもやした焦りが残ったままだ。

けれど、この「笑顔プロジェクト」に関われた人たちは自分の想いがちゃんと届き、被災地で受け取った笑顔と「ありがとう」が返ってくることが実感ができた。だからこその心からの「ありがとう」なのだ。人が人を想う気持ちがしっかりつながったときに生まれる、「ありがとう」なのだ。

「笑顔のデリバリー」である笑顔プロジェクトは、こうして沢山の人たちにダイレクトにありがとうをつなげ、笑顔を届けている。ただひたすらに、今辛い状況にある被災地の人びとのために何かがしたい、というその想いの積み重ねに動かされて。

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今月16日。今回縁のできた宮城に、再びメンバーは向かうことになっている。前回の困難を教訓に、今度は公的機関は通さずに行く。お寺や集会所といった私的な場所に避難している人びとに、ダイレクトに笑顔を届けに行く。

こういう「私的避難所」には、避難している人びとがいても毎日の食事も支援物資も届けてもらえない。だから、公的避難所まで取りに行くしかない。

けれど、毎日毎食、避難生活で疲弊した身体で、お年寄りにその生活が可能だろうか?その答えは誰でもすぐにわかるだろう。把握しきれないほど沢山ある、そんな私的な避難所に今度は笑顔を届けに行くのだ。

それから、訪問する学校では「筆あそび出張教室」も予定している。最初はライブをしようかと提案したが、ライブのできる場所の確保が無理だった。「筆遊びをやって下さい!」……学校からそう提案された。筆一本で表現できる自分の気持ち。きっと子ども達の豊かな感性ですばらしい作品が沢山生まれ、避難所生活にも笑顔が広がるに違いない。

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平行して5月29日にむけて「あるイベントの企画」が進行中だ。それによってもっと沢山の人たちに「自分にもできる事」を感じてもらうために……。みんなにありがとうと笑顔の輪が広がるように……。

 (その5に続く)

写真・文 駒村みどり

「日本笑顔プロジェクト」HP
Facebookページ「日本笑顔プロジェクト」

被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その3)【’11年5月掲載】

連日連夜流れる被災地からの目を覆わんばかりの映像。テレビやラジオ、どのチャンネルをまわしてもなすすべもなく流されていく家々や人びとの涙と叫び。そして絶え間なく続く大きな余震の恐怖。停電のため混乱した大都会。

「○○で人が助けを求めています!」

Twitterのタイムラインはそんな救助要請や家族を捜す悲痛な声で満たされ、一方で「何とかして!」「何ができる?」と支援をしたくてもどうして良いかわからずにとまどう声も。

3月11日。

「その日」を境にのどかな日々が一変した。次第に被害の大きさが明らかになるにつれて人々の心にできた大きな傷口からの痛みがそれぞれの人たちの心を重くしていった。やがてこんな呼びかけまでなされる事に。

「ニュース映像を見続ける人にも衝撃によるストレスが影響を及ぼします!テレビを見続けずにスイッチを切って下さい!」

そう。映像が苦しかったらテレビを消せばいい。ラジオを聴きたくなければラジオのスイッチをひねればいい。けれど……

毎日地震のニュースを見ていると具合が悪くなる、ニュースを見るのをやめたという大人がいる。何回も同じCMが流れて抗議をしたという人もいる。子供たちは、このような景色だけを毎日見ている。これが現実なんだと思ったら胸が苦しくなった。

(以下太字は笑顔プロジェクト横川玲子さんの「救援物資運搬・炊き出し」の記述より。)

そこに「現実」として目の前のがれきの山が広がったままの被災地の人びとは毎日その「事実」を突きつけられている。その事実の中に大切なものの命を奪われたものもいる。被災地の人びとは悲劇のスイッチを消すこともかなわないのだ。

そんな被災地に笑顔プロジェクトチームの代表メンバーは飛び込んでいった。

27日0時 天気は雨、すごく寒い。 総勢24名、7台の車が長野を出発する。 これから向かう先も雨が降り、寒いのであろうか。
私は支援物資を載せた車に乗った。支援物資・支援金を提供した人、仕分けや積み込みをした人の 「本当は一緒に行きたいけど、行かれない。どうか届けて欲しい!!」 温かく優しい気持ちがたくさん詰まった車に乗り込んだ。

(中略) 福島近くから高速道路がガタガタと道が悪くなり、車酔いとこれからどんな光景が目に飛び込んでくるのか。 そして、初めてのボランティアで迷惑をかけないか。 不安で胃が痛くなった。

3月11日の被害を受けた人と、そうでない自分たち。その実際もわからないし、何ができるのか、果たして自分たちが力になれるのかもわからない。大きな不安を抱えつつ、メンバーで支え合いながらここまで来た。それでもやっぱり胸が痛くなる。

現地に着いて女川第一中学校で物資を配る。
「クッキーをもらえる」という言葉に想像以上に大きな喜びを見せる子どもたち。

            (被災地に届けた手作りの「笑顔クッキー」)
女の子の3人が私のところに来て、
「私ね、クッキー大好きなの。本当に嬉しい、ありがとう。」
「久しぶりのおやつです。」
「おやつの中でクッキーが一番好き。」
クッキーでこんなに喜んでくれるのかって思った。もっと、あれが欲しかった、これが欲しかったって言われるかと思ったこの子たちの給食はパンと牛乳だけ。

「もっと」という言葉は、どの子からも聞くことがなかった。自分の与えられたものとそれを持ってきてくれた想いに、心から感謝する子どもたち。「もっとわがままになってもいいのに!」と思うけれど……子どもたちの喜ぶ姿に逆に胸がつまりあふれそうになる涙を抑えて笑顔を作るメンバー。

そうかと思えば生きるための「現実」もまた迫ってくる。
炊き出し用の別の会場で、うどんを作りデザート用のゼリーを配りはじめたときのこと。

仕切りのないところでゼリーを配り始めると列を作らず、四方から延びる手。一個ずつ配る私を差し置いて、すべてを持っていこうとする。
それが本能だ。 自分の身を守るための行動だ。 生きていくための手段だ。そう思ったけど、 遠くでこちらを見ている方の姿を見つけ、このままではいけないと思いっきり声を振り絞って 「少しでも多くの人に行き渡るようにご協力ください。」 その言葉で、元に戻してくれる人もいた。

多くを望む気持ちもわかる。生きていこうとする本能と、人としての助け合いと……どちらの立場もわかる。……本音と建て前と云々言っていたら「生きる」ということの前に力尽きるかもしれない。だけど……。

炊き出しをしている私たちを手伝ってくれた、おばさま二人と出会った。「自分たちは、家も仕事も失った。早く仕事をしたい」 そして「あなたたちは、いいわね。帰ったら仕事があるんでしょ?」

帰ったら「もとどおりの日常」が待っている自分たち。一方の目の前にいる人たちは「天災」という敵に傷つけられ突き落とされても、その怒りや悲しみをぶつける場もない。言葉を失う。返す言葉もない。あるのは「普段通りの日常」に感謝する気持ちと、この人たちに精一杯できる事を……の気持ち。

次の避難所に向かう。湊小学校体育館。
体育館の周りには、墓地があった。目に入ってきた光景は……。

墓石の上に車が・・・ 近づくと仏像も倒れ首が取れているものもあった。大人の私でも、恐ろしいものがあった。この墓地の向かいに体育館への入り口があった。

体育館に避難している人びとは、この「恐ろしい」光景を毎日目にして生活しているのだ……。

「欲しいもの」との問いに答える子どもたちの口から出るのは……フラフープ、投げ輪。読み飽きてしまったので違う絵本。……それから、おやつ。

子どもたちの望む物は、つい1ヶ月前までは当たり前のように身のまわりにあったもの。けれど避難所生活ではそれらの物すら手に入らず、まして多くの人が避難しているので体育館といえども走り回ると「走るな!」と注意の声が飛ぶ。
(欲しいというおもちゃが、大きく身体を動かさずに遊べるものだというのもそういう状況を理解して、の事なのだろうか?)

それでも、その状況の中で、「今」を素直にしっかり受けとめて子どもたちは生きている。忘れられない、忘れちゃいけない。

「また、来ます」……目の当たりにした震災の傷跡を受けとめたメンバーの答えが、これだった。

(その4に続く)

*今回の記事に引用させていただきました福島さんの写真と記述の全文は、笑顔プロジェクトHPの「活動報告」の救援物資運搬・炊き出し (2011,4,27) に記載されています。

現地に行ったメンバーの生の声と現地の事実が綴られています。是非全文お読み下さい。

被災地に笑顔を届けよう〜がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その2)【’11年5月掲載】

「地震や津波の事だけだったらまだなんとか自分を保てたのに、原発の恐怖が加わったら自分がどうにかなってしまいそうでどうにもならなかった。」

震災後、小布施町の数人の集まりで小さなお子さんを持つお母さんが、あまりのショックでご主人にしっかりとハグしてもらわないと立ち直れなかったと語った。その声を受けとめた林さんは衝撃を受けた。

「物事の受け止め方にはこんなに人によって差がある。男性と女性でもこんなに認識の仕方が違う。こういう状況ではダメージを受けるのは被災した人たちだけではないのだ。」

被災者への支援は急務だ。しかし、支援する立場にある側も人に支えてもらわなくては苦しくなるほどダメージを受けている。その「支援側のケア」も必要だ……。支援者も元気にならねば、と強く感じた林さんが自分にできる事を考えた時に思い浮かんだことが「字を書くこと」だった。

林さんは浄光寺で「筆遊び教室」を開催している。その文字による表現を学びたいと常にキャンセル待ちが出ているほど林さんが書く文字には伝える「力」があり、それを求める人は多い。

書こうと思った文字は「笑顔」。

笑顔でみんなが元気になるように。何よりも自分がまず「笑顔」になれるように。……そうして書いた「笑顔」の文字がどんどんとその力をいろいろな人たちに繋げていった。

この文字に共感した人が人を呼び、3月19日「日本笑顔プロジェクト」が立ち上がり、浄光寺のHPに公式ページが開設された。同時にFacebookにプロジェクトのページが作られた。でも笑顔プロジェクトのアカウントを取得、Web上で投げられた小さな小石はその波紋をどんどん拡げていった。

東北とほぼ時を同じくして起きた長野県栄村の被災地。今年度で「閉校」が決まっていた栄村東部小学校では卒業式と閉校式が中止になった。林さんは3月24日、代わりに行われた「卒業証書を渡す会」にプロジェクトメンバー3名と参加し、この「笑顔」の文字を1人1人に手渡した。

    (写真は公式ブログ「笑顔の活動報告」”栄村へ笑顔を“より転載)

この子どもたちをはじめ、「笑顔」の文字を掲げた人たちのフォトアルバムが公式ページに掲載されている。


文字を持った人々の心からの笑顔。その数は現時点(平成23年5月現在)で405点に達している。

現状の厳しさは、被災地も支援者も形こそ違え決して双方楽観の出来ない状況にある。けれど、この文字を持って微笑む人の笑顔は見るものの心に「希望」の光を含んで鮮やかな輝きとなって伝わってくる。

「400人を超えたし、そろそろいいかな」

元々は「支援者側のメンタルダウン対処」としてこのプロジェクトを立ち上げた林さんはそう思った。けれど、動き出した笑顔のパワーはこれでとどまることはなかったのだ。

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ある時、メンバーの1人が「東北に行きたい」と実際に現地に飛んだ。

宮城県に行ったそのメンバーが戻ってきて語った「宮城の事実」はあまりにも報道やそこから想像されるものとはかけ離れていた。現地は「そろそろいいかな」で終わりにできる状態ではなかった。いや、被災地の悲劇は終息するどころか「まだまだこれから」なのだ……。

「現地に行こう!自分たちでそれを受けとめてこよう!そして現地に笑顔を直接届けよう!」

「現実」を目の当たりにした「笑顔プロジェクト」はこうして新たな展開を迎えた。

その3に続く)

文・駒村みどり 写真提供・笑顔プロジェクト 写真加工・駒村みどり

被災地に笑顔を届けよう〜がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その1) 【’11年5月掲載】

宮城県牡鹿郡女川町、女川第一中学校。
ここでは今、二つの小学校と一つの中学校の生徒400人あまりが集まって勉強している。

昼の「給食」は毎日牛乳一本とパン1個だけ。
(成長期の子どもたちが………だ。)

物資は「避難所」には届くが、「学校」は後回し。炊き出しや支援物資を届けたいとボランティアセンターに問い合わせてみても関連の機関に問い合わせても、どこも取り次いではくれなかった。

せめて、積んでいった230個のりんごを食べてもらいたい……と申し出たら「ごめんなさい、受け取れない」と言われた。

生徒が400人。りんごはその半分の数。
丸ごと1個はわたらないから半分に切って配ればいい……ずっと野菜もくだものも食べていない育ち盛りの子どもたちに食べさせたい……そういう思いからの申し出だったのに、なぜ?

答えは、「りんごを切ることができないから」……だった。

今、「調理行為」が許されているのは「公的に認可された避難所」でのみなのだ。それ以外の場所では、調理……当然炊き出しも含まれる……は、一切認められていない。消毒ができず食中毒の恐れがあるためなのだ。

りんごを切るのには包丁を使う。使った包丁を洗って消毒できる充分な設備がない。だから、りんご1個を半分に切り分ける行為さえも認められない。…..結局、生徒たちにりんごを配ることはかなわなかった。同様に、学校でやろうと考えていた「うどん1000食分の炊き出し」もかなわなかった。

「子どもたちに笑顔を」「子どもたちに食べさせたい」

そういう想いがいくらあっても、その想いが届くにはかなりの困難がある。
それが、報道では「物資もボランティアも足りている」と言われているはずの被災地の現実……。

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3月11日。

東北地方を震源とした群発地震は予想もできない大津波を引き起こし、そして想像もできないほどの多くの命を奪っていった。

その影響の大きさは2ヶ月たとうとする今でも……いや、ここから先なおのことその爪痕をあらわにしてきているが、その一方であの時点でみんなの気持ちが「被災地」に向き、「何かできることは?」という一つにまとまった気持ちは次第に「日常」の中に薄れつつあるのかもしれない、という感じがある。

けれど、今でもまだ被災地では捜索が続き、がれきの山は積み上がったまま。

冒頭に記述したように4月の末現在、いまだに子どもたちにも充分な栄養のある食事が行き渡っていないし入浴もままならない避難所生活の中にある人が大半だ。

(4/27女川第一中学校から見下ろす風景)

さらに、原発の恐怖。

放射能汚染(被曝)の恐怖に加えて風評被害という2次、3次、4次と続く被害、天災のみでなく人的被害までを直接被っている被災地の人びとにとって「これから」はまだまだ見えてこない。

被災地から遠く離れたここ長野県では、同時期に起こった栄村震源地となる地震による被害を受けた人びとも同じように復興の目処も立たずにいるが、それすらも「実態」「事実」はなかなか見えてこないし伝わってこない。

そんな中でも「自分たちにできる事を」と多くの人たちが想い、それぞれの場所、それぞれの立場でできる事を頑張っている人びとの支援活動もたくさんある。

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「笑顔プロジェクト」はWeb上で始まったそんな支援活動の一つ。

長野県小布施町浄光寺。
副住職の林映寿(はやしえいじゅ)さんを中心として始まったこのプロジェクト。林さんがその笑顔プロジェクトの仲間・協力者24名と4月27日訪れた被災地(宮城県石巻)の姿は、報道されているものとは全くかけ離れていました。そこで信じられない状況と現実を目の当たりにしてきたのです。

震災から間もなく2ヶ月を迎えようとする今、笑顔プロジェクトメンバーが現地の人たちから受けとめてきた「これを風化させないで、記憶から消さないで」という訴えを繋げるために、この林さんの活動を中心に見えてくる震災の事実を今日から11日まで5回に分けて記述していこうと思います。(その2に続く)

文・駒村みどり
*使用写真は林さんはじめ24名が4/27に被災地宮城県石巻市に行ったときのものです。
(石巻市での活動報告は→ こちら

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