被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」(その4)【’11年5月掲載】
4月27日の訪問は日帰りという強硬日程で、現地での混乱や慌ただしさや困難があった。しかし、実はそこに至るまでの地元の準備段階でも、かなり大きな壁をたくさん乗り越えなくてはならなかったのだ。
「4月27日にうどん1000食を被災地の子どもたちに届けよう!」
笑顔プロジェクトの支援目標が決まった。では次に、支援に向かう先は?
先発隊のメンバーがすでに行ってその情況を目の当たりにしている宮城県へ。でもその先はまったくわからない。どこも大変だろうが、同じようにちゃんと支援が届いているのかと言ったらたぶんそれはないだろう。「学校」で一番支援が届いていないところに行こう。
そう考えて地元のボランティアセンターに問い合わせる。しかし、「学校は後回し、避難所が先」というボランティアセンターは「学校」への分配機能がなかった。その現状を全く把握もしていないので取り次ぎどころか紹介さえもしてくれない。社会福祉協議会や役所、公的機関もおなじ。どこも全く当てにはならなかった。
それなら、とみんなでいろいろな伝手を頼って「地元の人」を探した。地元水産業の平塚さんという方にやっとつながりをつけることができた。その方を通じて「支援が必要な学校」ということでようやくたどり着いたのが「女川第一中学校」だった。
一方うどん1000食を実際に「炊き出しに行く」ために必要な物……現地調達は無理だからすべてをこちらから持って行くことになる。
「ガス」。火をおこし、お湯を沸かし、うどんを茹でるのに必要。
1000食分というと相当なガスが必要になる。けれど、個人で運べるガスの量はたった8キログラム。小グループのキャンプだったらいいけれど、1000食はとても作れない。さらに大量のガスを運ぶにも扱うにも、「危険物取り扱い」の資格を持ったものがいないとダメだ。(実際に、ボランティアで行った人による「ガス事故」や「ボヤ騒ぎ」も報道されていないが多発しているようで地元でも神経をとがらせているそうだ。)
………どうしたらいいのだろう?みんなで必死に考える。
初っ端からの躓きに困惑しながらこちらもメンバーそれぞれの伝手をたどり、Web上でも必死で手立てを探っていたら中野の「北信ガス」という会社が協力を申し出てくれた。ガスの取り扱いの資格を持った人材と運搬車両を貸してくれることになった。
「水」。うどんのつゆなどで必要になるのは600キログラムの水。20リットル入りのポリタンクが30個必要になる。
「地元の給水車を借りられれば……」
そう思って小布施町に掛け合ってみた。だが、給水車は緊急時のもので、たとえ普段使ってはいなくても「もしも」のために地元から離すことが出来ない事になっているとのこと。隣の須坂市でも同じ答えだった。確かに時期が時期だから、地元だっていつ必要になるかわからない。またもやみんなであちこちに投げかけ、問い合わせる。
給水車を貸せない代わりに、とポリタンクを沢山貸してくれた自治体。そしてタンクを持っている……という個人の方の好意。最終的には北信ガスさんが大型の水用タンクを貸してくれることになり、ついに水600キログラムもなんとか持参可能になった。
行き先が決まり、支援物資も整って、材料もそろい、出発までにあと3日……。
そこまで来てアクシデントがまた起きた。
「排水は持ち帰って下さい。」との連絡が入る。
現場の混乱状況や処理雑務の多さを考えれば仕方がないこととはいえ、「排水タンクは充分だから排水の方は持ち帰らなくてもいい」という打合せだったはず。
持って行く水のタンクに排水を入れるわけにはいかず、あわてて処理の仕方を考える。またもやあちこちに投げかけて、直前に慌ただしいながらもようやくドラム缶を用意することができた。
そうして迎えた4月27日。夜中の0時の小雨降り注ぐ寒さの中、総勢24名、車7台のチームが出発。
(写真は公式ページ「笑顔の活動報告」 より転載)
結局現地でも、「避難所以外での調理行為禁止」とか「炊き出しは一品ではなく一食のメニューにしなくてはダメ」だとかいう様々な困難に突き当たって右往左往した。
けれど現地での支援活動に向けて、メンバーや沢山の協力者とそれらの多くの困難や積み上がったがれきの山を一回乗り越えてみて今、林さんはこう語る。
「支援物資を持ってきてくれる人や、車を見送ってくれた人たちはみんな『ありがとう』って言ってくれたのです。」
「何かしたい。自分たちも行って手伝いたい……。」
きっと辛い思いをして居るであろう被災者の方々への思いがあっても何もできない憤りの中にいた人びとが、「支援物資供出」で協力でき、その想いのこもった荷物の載った車を見送って実際に想いが届く状況を見ることが出来た。小さくても自分も力になれた。それが「ありがとう」に込められた想い。
一方で実際に支援活動を行う林さんたちメンバー自身も、最初はまったく何もないところからこんなに沢山の人たちの協力を得、その思いを受けとめて支援活動に向かうことができた。自分たちだけではできなかった。「ありがとう」と心から思う。
被災地ではいつまで続くかわからない深い悲しみや寒さや飢えや不自由さと今も毎日闘っている人びと……支援物資を届け、炊き出しのうどんを食べた人から、「ありがとう」の声を受け取ることができた。
「笑顔でそれぞれの想いや行為に心から『ありがとう』を口にする。みんながね、お互いに『ありがとう』なんですよ。ありがとうでつながっている。」
心からのありがとうという言葉に乗って、笑顔は確実に支援地につながった。
そして支援地でもらったありがとうが、笑顔と共に地元に戻ってきてさらに大きな「ありがとう」と笑顔につながっていく。
災害のあと、「何かをしたい」「何ができる?」と突き上げられる想いのままに、人びとは公的機関の支援物資集めに協力したり、義援金に募金したりした。私も募金箱と見ると手持ちのお金を募金した。
そこにあるのは、人として本当にシンプルな人を想う気持ち。けれど、そのシンプルな気持ちが実際にちゃんとした形で届いているのかどうかはまったくわからないままだ。
実際、自分が今入れたお金は、いったいどこの誰に、いつ役に立ったのだろうか?今現在、寒さや飢えや悲しみで苦しんでいる人たちのために「今すぐ」役に立ちたいのに、何もできない。せめて、と募金してみても、そのお金は「今すぐ」どころか、ちゃんと役に立ったのかどうかすらもわからない。
著名人がチャリティーで大金を寄付し、コンサートを行うニュースが流れる。なのに力のない自分には何もできない。実際に行くことができたら、と焦る。でも、実情はそう簡単にはいかない。……やっぱりもやもやした焦りが残ったままだ。
けれど、この「笑顔プロジェクト」に関われた人たちは自分の想いがちゃんと届き、被災地で受け取った笑顔と「ありがとう」が返ってくることが実感ができた。だからこその心からの「ありがとう」なのだ。人が人を想う気持ちがしっかりつながったときに生まれる、「ありがとう」なのだ。
「笑顔のデリバリー」である笑顔プロジェクトは、こうして沢山の人たちにダイレクトにありがとうをつなげ、笑顔を届けている。ただひたすらに、今辛い状況にある被災地の人びとのために何かがしたい、というその想いの積み重ねに動かされて。
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今月16日。今回縁のできた宮城に、再びメンバーは向かうことになっている。前回の困難を教訓に、今度は公的機関は通さずに行く。お寺や集会所といった私的な場所に避難している人びとに、ダイレクトに笑顔を届けに行く。
こういう「私的避難所」には、避難している人びとがいても毎日の食事も支援物資も届けてもらえない。だから、公的避難所まで取りに行くしかない。
けれど、毎日毎食、避難生活で疲弊した身体で、お年寄りにその生活が可能だろうか?その答えは誰でもすぐにわかるだろう。把握しきれないほど沢山ある、そんな私的な避難所に今度は笑顔を届けに行くのだ。
それから、訪問する学校では「筆あそび出張教室」も予定している。最初はライブをしようかと提案したが、ライブのできる場所の確保が無理だった。「筆遊びをやって下さい!」……学校からそう提案された。筆一本で表現できる自分の気持ち。きっと子ども達の豊かな感性ですばらしい作品が沢山生まれ、避難所生活にも笑顔が広がるに違いない。
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平行して5月29日にむけて「あるイベントの企画」が進行中だ。それによってもっと沢山の人たちに「自分にもできる事」を感じてもらうために……。みんなにありがとうと笑顔の輪が広がるように……。
(その5に続く)
写真・文 駒村みどり
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