2「イメージ」は自ら学ぶ気持ちを育てる。
(1)「なぜ?→【イメージ】→そうか、わかった!
小学校に入学して、最初に教科書をもらいます。子ども達が最高ににこにこワクワクする瞬間です。
その教科書を開くと、一年生はまだ「ひらがなが読める」という状態ではないのが前提なので、言葉を書いていないのは当然なのですが、絵や写真の多さには驚きます。絵本でさえももう少し、文字が書いてあるのに……。
なぜ、絵や写真が多いのかと言ったらこれは「イメージを助けるため」なのです。
当然ながら、学校にはいろいろな経験値を持つ子供たちが集まってきています。だから、その「共通理解」を計るためには同じものを見てその経験値の差を補う説明をする必要性が出てくるのです。
そのための「絵」や「写真」。だから、同じ絵を見て、同じ資料の写真を見て、子供たちはそこから自らのイメージと「知識」とを重ね合わせる学びをはじめるのです。
低学年の教科書においてはこの「イメージ」を助ける教材が教科書に多用されています。しかし学年が上がるほどに、この「イメージ補助」の部分が削られていってしまうのです。算数の教科書でも、「言葉による説明」が増えてきて、「絵による解説」がどんどん減っていきます。それは「イメージする力がそこまで出来上がっている」という前提に基づいているからなのでしょう。
では、実際はどうかというと、低学年から「イメージ」と「教材」とを結びつける指導について「なぜそうなるのか」という「なぜ」の部分はじっくり指導している時間はなかなかありません。どちらかというと「この現象はこうなる」という、「なぜ」の部分を省かれたところの指導に時間をかけることになってしまいます。
(これについては、文科省の学習指導要領の記述も大いに関係することと思われますので、どこかで記述したいと思います。)
エジソンは「なぜ」を多発する子供だったから学校からはみ出した、という逸話を持つのですが、それは実はエジソンに限ったことではないのです。「なぜ」の部分は物事にとって一番重要な「真実」なのですが、指導の上では省略されてしまい、「これはこうなる」の部分をくり返しで覚え、「なぜ」は最初の導入の時に軽く触れる程度で終わりなので、そのあとは「これはこうなる」という法則や原則や公式をただ形のみ繰り返すだけになってしまうのです。
たとえば、子供たちがよくつまずく「速度の計算」。
速さは距離÷時間。テストで求められるのはこの計算式で、これを正しく覚え、正しく計算し、正しく活用できればOKなのです。
けれども、つまずく子供たちはこの「意味」が理解できないから頭に入らないのです。「なぜそうなるのか」の部分がちゃんと理解できない、「速さ」という言葉の意味自体もわからない。そこをちゃんと理解させることが出来たのだったら、様々な応用問題にも対応できるはずなのですが……。
(2につづく)