こころ

言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)<’10.2月掲載>

♪パパッパ、パ、パ、パ………(ジャマジャマ)
パパッパ、パ、ジャ、マ………(ジャマジャマジャマジャ)

会場が暗くなったとたんに始まったのは、「お母さんと一緒」でおなじみの「パジャマでおじゃま」のテーマソング。

その音に合わせてステージにでてきたなかがわよしの氏が、突然服を脱ぎ始めた。

………え???
なんだ、なんだ?

シャッターを切る手を思わず止めて、その先何が起こるのかとなかがわ氏の裸体……(結構筋肉質なんですね、写真とっておけば良かったと後悔。)に見入ってしまった。

上着を脱ぎ、おもむろにズボンも脱ぎ始め、ついにパンツだけになったなかがわ氏は、今度は逆に作業着らしき服を着こみ始めた。

そうして、「パ、ジャまたね♪」の音楽の終わりに合わせて(ちょっと間に合わなかったけど)ステージ衣装(?)に着替え終わった。

と、その瞬間に、なかがわ氏の声が静寂を突き破る。

「はだかのぼくを、見て欲しいと思ったから
すべてを脱いで、はだかになりました!」

それは、小さな爆発のように。吹き飛んだ言葉の破片が、体に突き刺さる。
痛い。
だけどそれは、苦痛の痛みではない。
心の奥に縮こまっているかくれんぼしている「自分」の手を引っ張られている痛み。
決して、不快な痛みではない。

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このN-geneで「なかがわよしのの400字」の連載を続けているなかがわよしの氏が主催する、「傘に、ラ」のレポート第2弾です。

第1弾の記事にも書きましたが、「今」という言葉をテーマにして、月に1~2回企画されるイベントです。

前回のレポートでは、この「傘に、ラ」のゲストとして共に「今」を語る企画に参加させていただいたのですが、今回は完全にイベントを観客の1人として受け止める立場で参戦しました。

第2弾で取材したのは、
2010年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」

ゲストにお二人の「詩の朗読パフォーマンス」をされている、GOKU氏、猫道氏を迎えて3人による「詩の朗読会」でした。

なかがわ氏と、GOKU氏、猫道氏とのそれぞれの出会いのきっかけになったのが「詩のボクシング」。

詩のボクシング(しのボクシング)は、ボクシングのリングに見立てた舞台の上で二人の朗読者が自作の詩などを朗読し、どちらの表現がより観客の心に届いたか、その表現力を競うイベント。キャッチコピーは「声と言葉のスポーツ」、「声と言葉の格闘技」。一般参加の大会は、これまでに35都道府県で開催されている。全国大会も年に1度開催される。(wikipediaより)

言葉や声を、生きた力を持つものとし、それを各人の表現によって人に伝える力を競うもの。

最初、これを聞いたときに、「ボクシング」と言うイメージと「詩」というイメージがなかなか結びつきませんでした。

私のイメージで行くと「詩」というのは「詩作にふける文学少女」が秋のセンチメンタルな枯れ葉舞う風景の中で静かに穏やかに読むもの………だったからです。

ところが。

そんなイメージでいたわたしは、のっけからカウンターパンチをくらってしまったわけです。

言葉が、こんな「力」を持って迫ってくるなんて、思いもしていなかったんです。
詩が、こんなに熱いものだなんて、イメージしたこともなかったんです。

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突然、ステージのなかがわ氏は脇に去ったかと思うと「卓上ガスコンロ」を手に再登場。

そして、おもむろに着火……が、なぜか火がつかない。

「着かない!!」
「こんな時に限って、着かない!!」

そういうアクシデントもまた、なかがわ氏の即興詩に読み込まれる題材になる。

「過去」は要らない。時と共に過ぎ去ってしまう「過去」は要らない。
そんなものは、燃やしてしまえ。
(そのためのガスコンロだったけど……火が着かなかった。)

「未来」を見るのは遠すぎる。
だから。だから、「今」なんだ。

彼の中に、脈々と流れ続けるテーマが強烈にうたいあげられる。
「今」という言葉が、彼の中で熟成されて、そうして熱い熱を帯びながら会場に放たれる。

やがて、そのなかがわ氏から発せられた「熱」は、さらに溶岩の固まりとなって次のGOKU氏に受け継がれた。

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GOKU氏。

東信在住の自作詩の詩人。
彼となかがわ氏の出会いは、「オープンマイク」というイベントによるものでした。

OPEN MIC(オープンマイク)と はアメリカやイギリスで一般的な、当日飛び入り参加形式の自由なパフォーマンスステージです。その名の通り、誰にでもオープンなマイクということで、参加自由のイベントです。弾き語り、バンド、詩、マジック、ラップ、コント、ただマイクの前でしゃべるだけ、などどんなパフォーマンスでもOKというものです。

東京などでは結構行われている「オープンマイク」。その長野版を自主的に行っているのがGOKU氏です。(いずれ、このN-gene記事としても取り扱いたいと思っています。)その、彼の主催するオープンマイクに、なかがわ氏が参加したことで二人のつながりが始まりました。

GOKU氏は、先に書いた詩のボクシングの2005年の全国大会では準優勝したという実力者でもあります。

なかがわ氏も、GOKU氏も、お互いに「友だちじゃない」といいます。
多分……友だちというだけじゃもったいない、表現における「ライバル」とか「敵」とかいう類の高め合う仲なのでしょう。

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GOKU氏は自作の詩人。

自らが紡ぎ出した言葉を乗せた詩を、体中使ってステージいっぱいに叫ぶかと思うと次の瞬間に泣き出しそうにささやく。

その緩急ある言葉の放ち方によって、思いが乗った重たい言葉が聞くものの胸にどかんとぶつかってくる。

犬の詩を読んだ。
野良犬の死を詠み込んだ詩を読んだ。

………………………・

~「ノラ犬のカラダ」より一部抜粋~

僕の記憶から、ノラ犬の死体は寂しそうに立ち去り、
僕の記憶には、畑を斜めに歩くノラ犬が棲みつきました。

「土に還りたい」
「空を飛びたい」
「静かに暮らしたい」
それら全ては僕が求めているものなのに
それらをひとつも求めていないであろうノラ犬は
その全てを叶えて
僕の記憶に棲みつきました。

………………………・

野良犬は、今、死によって放置され鎖の束縛から自由になった。
見ている自分は、その自由が欲しいのに、それが手元になく。
野良犬は、その自由を欲してはいなかったかもしれないのに、自由の元にある。

今、欲しいものは手には入らず、必要としていない者にそれが与えられる………。

ずきっと来る。

自作詩人のGOKU氏はまた、最近自費出版で詩集を出した。
この詩集にあるのは、すべて彼の詩ではない。
詩人である自分が「読みたい」と思った詩を集めて綴った小さな詩集。
そのひとつを、今度は切々と読み上げる。

入り口においてあったその詩集は、あっという間に多くの人の手元に旅立っていった。

なかがわ氏に触発されたのか。
GOKU氏も脱ぎ始める。

お色直し後のGOKU氏は、おもむろにスケッチブックを取り出して観客の前に拡げる。「宇宙ガール」というタイトルの詩を朗々と読み、次第に観客を巻き込む。

「ありんこの声で!」「ロケットのスピードで!」「地球の声で!」
彼の指示にしたがって、観客もいろいろな声をイメージしながら共に言葉を発する。

やがて高まった熱が、GOKU氏の中で爆発。
ステージ上を「小宇宙」という言葉を発しながら飛び跳ねる。
飛び散る汗が見えるほどの爆発ぶりだ。

「なかがわさんのパンツ一丁にはかなわないけど。」

そういいながら、3度目のお色直し。

そして、持ち時間の30分の間……
いったいいくつの言葉を発したのだろう?

そのきらめきの余韻をステージにまき散らして、GOKU氏のステージ終了。

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猫道氏。

彼は、「猫道一家」の座頭なのだそうです。

今までは、この「猫道一家」というクルーでお芝居を発表していたそうですが、2008年にお芝居をやめてポエトリーリーディングに転向し、2009年より自ら主催するスポークンワードのイベントを渋谷 道玄坂のBAR SAZANAMIで毎月開催しているそうです。

先にも書いたように、「詩のボクシング」に参戦、そこでなかがわ氏と出会い、どうやらお互いにいいライバル、刺激を与え合う関係がそこで生まれたようです。

かつて、芝居の音響・演出・脚本などを手がけていただけあって、彼のステージの上にはいろいろな道具も並んでいました。
何が出てくるのか???それを見ているだけで期待感が高まりました。


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登場と共に、そこはたちまち、歌舞伎の舞台になった。
大声で名乗りをあげ、見得を切る。

……かと思うと、次の瞬間にはいつの間にか「ラップ」になって言葉がぽんぽんとポップコーンのように飛び跳ねる。

ぐいぐいと、観客をステージの上の「言葉」に引き寄せていく。
その瞬間に、舞台はもう猫道氏の世界。

飛び跳ねる言葉。
飛び跳ねる音。
飛び跳ねる、猫道氏。

それをとらえようと必死にステージに吸い寄せられる観客たち。
その緊張感が高まる中で、次にホールの空間に投げつけられた言葉にはっとする。

………………………・

「素顔」より ~一部抜粋~

一皮剥けたら元には戻せないのは、
あの塩釜の海岸で散々日に焼けた20年前のナツヤスミに戻れないのと同じことで、
変わらないのは蚊取り線香の匂いばかりです。

(中略)

人間椅子になって隠れたりしたい。
タイガーマスクになって悪者をやっつけたりしたい。
途中で我慢できなくなって、タマネギみたく皮を剥いて、
涙目の素顔をさらしたい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
みんな涙目になって皮を剥いたらいい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
「髪の毛切った?」って言われるのは
みんなうれしいと思うから。

………………………・

一皮むけたら、戻れない。
あの夏に戻れないのと同じように。

「素顔」というタイトルのこの詩が、なかがわ氏のかかげるテーマである「今」にだぶった。

そして、それは、今の自分の想いにもどかんと乗っかってきて……胸に堪えた。
胸の奥にたまっていた何かが、堰を切ってあふれ出そうになってあわててこらえた。

緩急織り交ぜたステージ上で。
期待通りに、猫道氏もお色直し。

猫道氏3態。

3枚目、一番右の写真で彼が手にしているのは。
「ネオンホール特製マイク」なんだそうな。

この特製マイクを握って、彼はこうつぶやいた。

「溶け始める時間を、たべる。
おいしいは、のこる。」

3人の熱いステージは、こうして幕を閉じた。
会場のネオンホールの空間に、その空気の中に、いつまでもその熱が漂って。
しばらくの間、冷めることはなかった。

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なかがわ氏の持っているテーマは、「今」なのだけれども。
その「今」の中にはまた、様々な人間模様が織りなされている。

この3人の「今」の中には、「今」に至るまでの「過去」があり、その「過去」を踏み台にした「今」があり、その「今」を積み重ねていくのが「未来」。

この3人の織り交ぜた「今」は、彼らがステージから熱と共に撃ちまくった言葉のマシンガンの目にも止まらぬ弾となって、それに射抜かれた人々の中に何かを残す。
そしてその人たちの中にある「過去」をほじくり返しながらそれぞれの「今」を実感させ、そして「未来」を思うきっかけをくれる。

言葉の持つ力は、なんてすごいのだろう。
そして、それを放つ人の力が加わると、何という破壊力を持つのだろう。

言葉が発せられるのはほんの一瞬なのに、命を得た言葉が、どんな力を持って人に迫るのか。

この2時間強の時間の間に、それを目の前にたたきつけられた気分になった。

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ちなみに、ネオンホールの階段ギャラリーでは、28日までなかがわ氏の展示も行われています。↓

なかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、このあとも続きます。

10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~たかが芝居だ!~」
現代口語劇「餃子の なかみ」赤尾英二、司宏美、田中けいこ
アングラ劇「たかが芝居だ。」(脚本・演出・出演/なかがわよしの)、

10年3月7日(日)「傘に、ラ。 vol.9~たっちゃんと ゆかいな なかまたち~」
客人:田沢明善

10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.10~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」
ゲストライブ
オサカミツオSLOWLIE、なかがわよしの、bubblesweet ほか(50音順)

10年3月21日(日)「傘に、ラ。 vol.11 ~つぶやいて、なんになる~」
@twitter

10年7月3日(土)「傘に、ラ。~今に生まれて今に死ぬ~」
出演:outside yoshino  タテタカコ

(写真、文:駒村みどり)

カタカナの「ラ」が、傘をかぶったら?……「傘に、ラ」の試み(その1)<’09.12月掲載>

~そして、それでも、こうしてわたしたちは生きている。~

12月6日、日曜日。
師走の最初の日曜日の逢魔が時。

長野市善光寺の門前町にある「ナノグラフィカ」で、あるイベントが開催された。

「傘に、ラ。 vol.4 ~怪シイ会ニ誘ワレテ気分ハ憂鬱~」

時間になると、突然朗々とした声が会場に響きはじめた。
その声は、「彼」というひとりの人間のある時の生きざまをとうとうと語り続けた。

「彼」はうつになり、「彼」は仕事を投げ出して失踪し、「彼」は苦悩する。

だけれども……「彼」は生きている。今でも、生きている。

「彼」は、それを語る「ぼく」であり、それを語っているのはこのイベントを企画している「なかがわよしの」氏である。

このN-geneにも「なかがわよしのの400字」というタイトルで、短い日常の一コマを描いた文面で、読んだ者に何とも言えないいろいろな気持ちを呼び覚ます、そういう連載を続けている彼だ。

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わたしの元に、一通のメッセージが届いたのは、10月の末のこと。
「出演のご相談」というタイトルで届いたそのメッセージには、こう書いてあった。

ええと、
最近、即興朗読のイベントを
はじめました。
自分は即興で
ポエトリーリーディングをやります。
ただ、ひとりでは物足りなくて
「この人と面白いことがしたい!」
と思う人といっしょにイベントが
できたらなーと
考えています。

自分もうつ病経験者で
今も通院しているし、
薬も飲んでいます。
ただやはりまわりの反応が怖くて
おおっぴらには告白できないでいます。
偏見をなくしたい、というよりも
うつでも生きていけるさってことを
コマちゃんと伝えられたらと思います。

ちょうど、この10月、わたしは自分の住んでいる地域の主催する講演会で、うつについての講演を頼まれていた。自らのうつの体験を元に、うつについて知ってもらうことで「人ってみんな一生懸命に生きてるんだよ」ってことを伝えたい、それをテーマに講演を組み立てていたわたしは、この「うつでも生きていけるさ、ってことを・・・」の一文にとてもひかれた。

やります。

すぐにそう返事を返しつつ、ひとつなかがわさんに質問した。
「傘に、ラ」って一体どういう意味ですか?……と。

その返事として帰ってきたのが、これだった。

傘にラ
というのは
「今」という意味です。
「今」の
上の部分が「傘」で
下の部分が「ラ」です。

「今」………そうか、「今」かぁ。

わたし自身、心にいつも持っているテーマが「今を大切に生きる」ということ。なので、なかがわさんが「今」というテーマを持ってやっているこのイベントに声をかけてもらえたのが嬉しく、とても楽しみになった。

11月の末、当日を前にした打合せの時は、それぞれのうつの体験を語りながら、来てくれた人に何を持ち帰ってもらおうか、という話で討論し、気がついたら3時間近くも話し込んでしまっていた。

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なかがわさんの「詩の朗読」では、彼の自らのうつに対したときの赤裸々な思いを、その「彼」を横で見つめている「ぼく」という人物がとうとうと語る。

時に重く、時に軽妙に、流れ出すその言葉の力。
それはまた、わたし自身のうつの体験とも重なって、心にどかんとぶつかってきた。

詩の朗読からそのまま、わたしとのトークセッションにはいる。

「スマイルコーディネーターって、なんですか?」

それは、わたしの肩書きとして名刺にも書いてあることば。わたしが2度のうつ体験から立ち上がったときに、心に浮かび上がった自分の方向を示すことば。

それが何かと問うなかがわさんの言葉につられて、わたしも自然に自らのうつの体験を語りはじめた。

それはもう、数分じゃ語れない。
「スマイルコーディネーター」という肩書きで自らの道を歩こうと決めるまでには、2回のうつの体験と、そこに至るまでの仕事での学びと、苦しみと……から始まっていることだから、結局25年という間の自分の教職生活をかいつまんで話すことになる。

できるだけ簡潔に、必要な部分だけ……そう思いつつも、「だから、スマイルコーディネーターなんですよ」っていうところに行き着くまでには30分以上もかかってしまった。

けれども、そこに至るまでに、自分の体験となかがわさんの体験とをお互いに語りあい、絡ませながら進んでいて、多分、その場にいる人たちには「うつってこういうことなんだ」ということが伝わったんじゃないのかな、と思っている。

そして、2人で決めた、この日来た人に知って欲しかった想い、

「うつ病だっていって、特別扱いする必要も、特別視する必要もない。
うつという病気にかかった『人間』がそこにいるという事実があるだけ。
みんな同じ人間で、その人がうつだとか、今朝の寝起きが悪くてつらいんだとか、ものすごく良いことがあってうきうきしているとか、そういう『状態』がそこにあるだけ。みんな、『生きている』ってことでは同じなんだ。」

……と、その部分に流れを持って行かれたのかどうかは、実はわたしもなかがわさんも、結構テンパっていたりしたのでちょっとわからない。

でも、なかがわさんのこの『傘に、ラ。』企画全体に流れる柱であり、わたし自身も自らの柱として持っている共通のテーマ、「『今』を必死で『生きている』」ということ、それは1時間半という間のお互いの話の中、自分たちの経験を通した想いの中に織り込んで、できるだけ伝えたつもりだ。

そんなこのイベントに参加していたひとりの方に、どんな感じだったのかをこっそりお聞きしてみた。

・・・・・・
まるで、「昨日ね~こんなことがあったのよ~」というように、軽妙に語られてはいましたが、それはまさしく体験した者しか語ることのできない、辛く、苦しい、体験談でした。でもお二人とも、沢山の笑顔と、ユーモアで、その辛い過去を明るく話してくださっていたのが、印象的でした。

二人とも、真面目で、ユーモアがあり、能力が高く、でもだからこそ、鬱病になったのではないかな?と何度も思いました。

「あぁ、鬱病って、よいひと がなる病気なんだ。」って。

でも、お二人とも、内服や、環境を変えることで、それを完全に克服し、その上で、自分たちのようにならないために、自分たちが体験した辛さの中にいる人たちに、どう接したらいいのかを語ってくださっていました。

中川さんの
「鬱になってよかった、なんて絶対に思えない」
と言う言葉。
スマイル・コーディネータ、コマちゃん自身の笑顔が、
いまでも忘れられません。

・・・・・・・・・……
このイベントが終わった後、わたしはこの記事を書こうと思っていたので、なかがわさんにちょっとだけ取材をした。その時に、改めて「なんでこの企画をしていこうと思ったのですか?」という質問をしたのだが、その時の答えは、この先にまだ続くなかがわさんの他のイベントの記事で書かせてもらうことにして、もう一つ、翌日になかがわさんから届いたメールの一節を、ここに転載させてもらおうと思う。

うつ病への理解とか
うつの人を助けたいとか
自分にはそういう使命感もないのですが、
昨日のトークセッションで
思い出したことがあります。

傘にラを始めた根本の根本には
自分が病気になって
迷惑や心配を掛けた人たちに
「僕はそれでも生きてます」
ということを伝えたい
という気持ちがありました。

それは大切なことなのに
忘れてました。
思い出すことができたのは
昨日のイベントのおかげです。
一緒におはなししてくれて
ありがとうございました。

なんかうまく言えんですが
とにかく、ありがとうありがとうありがとう。
ってことです。

人それぞれに、必死で生きて「今」がある。
それぞれの「今」が出会い、絡み合って新しい「明日」が生まれていく。

なかがわさんとのイベントを通して、お互いの「今」を持ち寄ることで、「明日」への可能性がより大きく広がるんだ、ということを感じさせてもらった。

わたしからも、ありがとうありがとうありがとう。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

なかがわさんの「傘に、ラ。」のイベントは、この後も続きます。
このイベントを、数回かけて追っていってみようと思っています。

今後の予定は、以下の通り。
10年1月10日(日)「傘に、ラ。 vol.5 ~本当に好きな人は手に入らなかった~」
10年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」
10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.7 ~たかが芝居だ!~」
10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」

(詳細は、なかがわよしのの400字のページの左枠のなかをご覧ください)

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写真協力:なかがわさんのお友達 文:駒村みどり

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