地域おこし

権堂村に、咲き乱れるは笠の花。<'09.9.30掲載>

え?……なんで、権堂で「国定忠治」なのよ!?

国定忠治といったら、「赤城の山も今宵限り」というセリフで有名な江戸時代の侠客です。赤城の山と言ったら、今の群馬県のど真ん中にある山です。

………???????

という疑問は、あとに置いておいて。
N-ex7「国定忠治まつり」が9月26日、権堂秋葉神社前の特設ステージを中心に繰り広げられました。

当日は快晴。土曜日の昼下がりの権堂イトーヨーカ堂前の広場には、いろいろな出店が並んでにぎやかです。そして、その真ん中に設置されていたのが「特設ステージ」。


ステージの上では開会式の準備が進んでいて、何人かの「国定忠治」が開会式の打合せをしていました。それを見て、権堂の人通りが少しずつステージ前に集結しはじめます。

やがて、どこからか笛や太鼓のにぎやかな音が。

ちんどんを先頭に、その後を……

おお!たくさんの忠治たちがやってきました。

突如現れたコスプレ軍団(笑)に、道行く人はビックリ。坊やも目を白黒。
50名強の国定忠治たちがステージ前に集結。お祭りの開会です。

開会宣言として、この日の舞台で国定忠治役を務める劇団13月のエレファントの斉藤正彦さんがみごとな口上を述べ、みんなで仁義を切るポーズ。

これだけの国定忠治がいっせいにやると、かなりの迫力で圧倒されます。

たくさんの人が足を止めて、この圧倒的な光景に見入っていました。

開会式が終了すると、一同は再び列をなして権堂のモールを練り歩き、さらに長野駅まで大行進。

植木商店の二宮金次郎さんの前を通り過ぎる一行。中には、踊り出す忠治まで出現。
長野駅前で再び口上を述べたあと、権堂に戻って一行は解散したそうな。

一方、ステージの方では、このあとパフォーマンスが続きました。
夕闇が迫りはじめたころも、ステージ前の観客の数は減りません。

快楽亭狂志さんの落語のステージ。
皆さん話に引き込まれ、とてもなごやかな表情です。

あっ………こんな所にも、忠治が………。

続いて、13月のエレファントの舞台「国定忠治」に。

もう辺りはかなり暗く、ステージを照らすライトがまぶしく光ります。

野外のせいか、ややセリフが聞き取れない部分が残念だったのですが、そんな状態でもお客さんはみんな乗り出すように舞台に見入っていました。

しかし……こんなアレンジもあるんですねぇ。なぜに、人形!?

小さなお客さんも見守る中、名台詞「赤城の山も……」の場面。

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実は権堂には「国定忠治」のお墓が存在しているのだそうです (正確には、分骨されたもの)。 大学時代に、友だちと徘徊……じゃなかった、さんざん通った権堂。買い物に、飲み会に、しょっちゅう訪れている権堂。

なのに……今までまったく知りませんでした。
地元のことなのに、知らないことが結構ある。なんだかもったいないことだと思いながら、その一方でこういうことを知るきっかけになったこのイベントに感謝です。

「赤城の山も………」という有名なセリフは、この国定忠治を題材に描かれた劇の中にでてきます。そして、実はなんと、長野の権堂もこの劇の中に登場しているのです。忠治は、生活苦のためやむなく娘を身売りさせた権堂村の百姓を助けるのです。

そんな忠治の逸話を持った権堂は、以前は忠治にちなんだまつりや催し物をしょっちゅう行っていたそうです。今回の50名の忠治たちのための衣装は、以前同じような催し物を行った昭和40年代のものなのだそうです。

国定忠治は天保の大飢饉で飢餓にあった民百姓を救済した、という話から始まって、権堂にまつわる話にもあるようにケンカが強くて負け知らず、人情に厚く人望深く、従う子分は200以上とも言われた大親分。それ故に、人々にとっては神にも等しい伝説の人。

時代の流れの中で、何度となく訪れる人々の苦しい時代。こういう人物を求める想いは人々の中に常にあり、忠治が「講談」や「劇」の中でずっと生き続けてきているのもわかるような気がします。

祭りの後の権堂。ぐるっと見回しました。

さっきまでいたお客さんたちはあっという間に姿を消し、土曜日の夜の人通りは、かつての権堂からしたらやっぱりさびしいものがあります。

会場の後ろにあたる場所にも、駐車場になった空間。
店と店との間にぽっかりと空いたその空間から、月がのぞいていました。

忠治が見上げた月と、今の月とは同じ「月」ですが、かつて善光寺の精進落としの花街としてにぎわった権堂と、シャッターが目立つ駐車場で穴だらけになった今の権堂。

今の権堂を国定忠治が見たら、一肌脱いでくれるかなぁ………。

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(写真、文:駒村みどり)

桃栗三年柿八年、田んぼの稲は?<'09.9.28掲載>

<<2009.09.28 N-gene掲載記事>>

実りの秋です。

先日、近くにある青果市場から「巨峰」と書かれた箱を山ほど積んだトラックが出てくるのを見ました。そういえば、この前通りかかった畑でも、野菜を箱詰めしてはトラックに積み込んでいる様子を見かけました。

秋は、豊かな実りをもたらしてくれる季節です。そして、その実りは、あちらこちらの田んぼにも………。

 

ナノグラフィカの高井綾子さんが、松代にある小川さんのうちの田んぼのお手伝いをする模様を5月&7月と訪れてレポートした記事「皆神山の麓の田んぼで…」の続報です。

そうなのです、高井さんがお手伝いしていた田んぼでも、先日ついに稲刈りが行われたのです。その情報を得て、さっそくおじゃましてきました。

「シルバーウイーク」って、誰がいつから言いはじめたのか知りませんが、その秋の連休後半の9月22日。天気は、薄曇り。松代にバイクで向かいましたが、風を切るのでもう長袖+ウインドブレーカーでも寒いくらいです。

連休の後半と言うことで、松代の町中は結構な渋滞。しかし、田んぼのあるあたりはほとんど人通りも車通りもなく、静かなもの。

小川さんの田んぼに着くと、すでにもう稲刈りは始まっていました。 そういえば。昔はこの時期、「農繁休業(稲刈り休み)」っていうのがあったっけなぁ。周りに農家が多かったので友だちはみんな稲刈りのお手伝いにかり出されて日焼けしてた……記憶が。

そう、農業はごく当たり前の生活の一場面で。生活にあわせて学校もお休みになって。そうしてもろもろの農作業が一段落つくときに、一年の労働の慰労も兼ねて地域をあげて「運動会」を家族で楽しむ……という流れがありました。

そうそう、稲刈りの時期に忘れてはいけないお方と久しぶりにご対面しました。

そうなのです、イナゴくんです。このイナゴくん、稲を食い荒らす害虫とされていて、でもその一方で山の地方のタンパク源としては貴重なもので。中学生のころには、農繁休みの宿題で「イナゴを茶碗2杯分持ってくること」が課題に出たりしていたのです。生徒会で全校分を集めて業者に売って、貴重な生徒会の予算源にもなっていたのでした。(私の学校だけかなぁ)

いつの間にか田んぼからイナゴが減って(農薬の影響?)農繁休業もなくなり、今はもうそんな課題が出せなくなっちゃっているんでしょうね。この日も、出会ったイナゴくんはこの写真の3匹……じゃない、2匹と1ペアだけでした。

さて、そうこうしているうちに、高井さんと7〜8名の集団が車でやってきました。簡単に打合せをしたかと思うと、あっという間に手際よくはぜかけの作業に取り組みはじめました。

手慣れているのもそのはずです。このメンバー、毎年ここに田んぼ作りの手伝いにやってきている人たちです。皆さん、すでにもう3年とか5年とか、田植えと稲刈りをここに来てやっている方々で、遅れてきたのはここに来る前に別の田んぼでの作業をしていたからです。

いわば、そんな「先輩諸氏」の間に入って、高井さんも笑顔で作業をしていました。そんな高井さんの仕事姿。一年目とはいえ様になっているような……。

黄色い稲がまだ残っている部分と、すでに刈り取られてはぜかけしている部分。すでに稲刈りが終わって切り株だけが整列して残る田んぼ。

「秋の色」の織りなす模様は美しい……秋の田んぼを見るといつもそう思います。
先ほどまでは数名での作業でなかなか進まなかったはぜかけも、あっという間にすすみました。

そういえば、この田んぼでは「バインダー」で稲を刈ってはぜかけをしていますが。周りを見渡すとなぜかはぜかけが見あたらない田んぼが。

「最近はねぇ、機械で稲刈りから脱穀まで一気に全部、やっちゃう所も多いからねぇ。」

すみません、私、よく知りませんでした。「コンバイン」という機械は知っていたけど、はぜかけしないで脱穀まで一気に!?

「あの、日に干さなくても大丈夫なんでしょうか?」「うん、やっぱりね、味は違うみたいね。ちゃんとはぜかけで日に当たったお米は長期保存しても味が落ちないけど、コンバインで脱穀しちゃったお米は一年たつと味が落ちるらしいわよ。」

おひさまの力は、偉大です。そして、それをちゃんと「はぜかけ」という形で美味しい米作りに生かしてきた日本の農家も偉大です。

それにしても、今年はちょっと青い稲が気になるなぁ。出来はどうだったんだろう?と高井さんに聞くと。

「そうねぇ、どうも今年の実りは今ひとつみたい。稲も軽いようだしね。夏の雨が影響したみたい。」

冷夏だった今年、たしかに実りが心配です。

そうして、一年間、田植えからずっと見守ってきた田んぼ。この先も、脱穀〜新米賞味会(?)〜しめ縄作り、と続いていくのですが、田んぼ自体との関わりはこれで一段落です。

「でもね、実はあまり顔出せなかったんだ。それに、言葉が通じないんだよ。」「通じない?」「うん、みんなの会話が『そろそろあれだから』とか『もういい時期だろう?』とか、主語がないんだよね。でもちゃんとみんなわかってて通じちゃうの。 この会話がわからないとちゃんと田んぼの作業に入れないし。また、来年はもうちょっと会話に加われるように、田んぼにも顔出せるようにしたいなぁ。」「……ということは、来年もやるの?」「そうね、3年くらいはちゃんとやらないとやったって言えるようにはならないよ、きっと。」

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「桃栗三年柿八年」という言葉があります。種をまき、芽吹いてから実りの時期を迎えるまでにはそのくらいかかる。何か事に当たってそれが実るには時間がかかる、すぐには実りを手に入れられない……そういう意味のこの言葉。

高井さんにとっては、今年は「種をまいて芽吹いた」年だったんですね。

こうして田んぼの一年が終わっていきますが、高井さんにとっての田んぼとの関わりはここがスタート。来年、再来年とやっていくことによって「稲作り」における高井さんの「実り」に近づいていくのでしょう。

「桃栗三年柿八年」のあとには、「柚は九年で花盛り梅はすいとて十三年。」とかいろいろな言葉がくっついてくるようですが。

桃栗三年柿八年。高井さんの田んぼはあと何年?高井さんの挑戦は、まだまだこの先も続いていくようです。

そんなわけで。この記事もまだまだ続く……。(かな?)

(写真・文 駒村みどり)

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