月に一度、第4金曜日の夜に行われているイベントがある。

「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。

2時間ほどのその時間の中には、凝縮された言葉たちが集う。
あつい言葉。
やさしい言葉。
さびしい言葉。
きびしい言葉。
たのしい言葉。

どの言葉も、ステージの一本のマイクから会場内に生き生きと飛び出していく。
言葉を発する者あり、それを受け止める者あり、受け止めてまた発するものあり。

命を持った言葉を、どんな形でどんな想いで受け止めるのも、それぞれ次第。
参加費は無料。いつ来ても、いつ帰っても自由。
受け止め方も、発し方も……すべてが、この空間では……自由。

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「オープンマイク」というものの起こりを調べていくうちに、つきあたった言葉がありました。それが「スポークンワード」です。

スポークンワードとはどういうものかというと……
『ラップやポエトリーリーディング(詩の朗読)など、喋り言葉によって表現するようなパフォーマンスの総称。またはそのような芸術のこと。政治的なテーマや社会的なテーマが題材にされることも多く、音楽との融合も多く見られる。』

スポークンワードは1930年代~40年代にかけて、黒人解放運動の中で行われた街頭演説が起源とも言われる。
*1950年代のビートニク文化の中で、ポエトリーリーディングの手法が発達。
*1980年代以降のヒップホップ文化の中で、ラップの手法が発達。
*現在では、喋り言葉を総括的に扱う芸術ジャンルとしての“スポークンワード”が確立しつつある。

「表現」のひとつの形として成立してきた「スポークンワード」。私たちに馴染みのラップもそのひとつの形。確かに、言葉がリズムに乗ってはずむラップを聞くと、自然と体全体で言葉を受け止めてしまうのです。言葉の持つ力が、リズムとイントネーションなどのさまざまな要素と絡んで最大限に発揮されているような気がします。

そして、近年、日本でもスポークンワードを呼び物としたイベントが行われるようになって、そのひとつの形が「オープンマイク」でした。
日本では1997年頃から東京のカフェやクラブで「飛び入り参加OK」という誰がマイクを使ってもかまわないイベントとして盛んに行われ、そこからリーディング・ブームに火がついたようです。

この「オープンマイク」を今、長野県で毎月行っているのが、以前の記事「言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)」でも取材させていただいたGOKU氏です。

GOKU氏とオープンマイクとの出会いは、2003年のネオンホールで行われたオープンマイクに主催者の方に誘われたのが最初だそうです。

GOKU氏は、朗読(詩だけではなく「言葉」はなんでも朗読するそうです)をライフワークにしている詩人さんです。お仕事のかたわら、詩作し、それを朗読し、また最近ではご自身が声の場で出会った詩人たちの詩を集めた詩集「読みたい詩人」を自費出版もしました。

そのGOKU氏が、以前のオープンマイクが終わることになって、新しい「声と言葉の場」を作ろうと思ってネオンホールの小川さん、農家で詩人の植草四郎さんに声をかけて始めたのが、現在毎月行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」です。

「声を出す場であると同時に、言葉と戯れる場にもしたくて、毎回、言葉を使った 企画を考えるようにしています。」

GOKU氏のこの思いの元に行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。
わたしも、ふとしたきっかけで12月と2月の2回の企画に参加してみたのです。
マイクを前に、どんな人がどんなパフォーマンスをするのか、とても興味があったからでした。

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正直なことを言うと、この長野県で「オープンマイク」が成立するのか実は半信半疑だった。

数年前までずっと音楽の教員をやっていたわたしにとって、この長野県ではどの学校に行っても子供たちが大人に近づけば近づくほど「人前でのパフォーマンス」を避けるようになり、さらに、それは大人である教員や親御さんたちにその傾向はもっと強い……そういう認識があったから。

そんな想いを持ちながらネオンホールに行った。
クリスマスが過ぎ、年の瀬のあわただしい夜、会場にはすでに、数名のお客さんがいた。ドリンクを注文して席に着くと、しばらくたってGOKU氏がステージで開会宣言。

オープンマイクの「ルール説明」。

~マイクの前に立った人は、持ち時間5分で何をやってもよい。
~5分でまだ途中の時は、その先4分59秒まで延長が可能。
~聞くだけでもいいし、途中でやりたくなったら飛び入り大歓迎。

そして、「今日ここでやる人?」とのGOKU氏の問いに手を挙げた人は、4名。

一人、二人とまずは常連らしき人がステージでパフォーマンスを繰り広げる。
最初は詩の朗読、次の人も詩。そしてそのあと、この日のバックの文字を書いた人が一年の「感謝」を込めて書いた文字について話す。そうかと思えば、次の人は思いつくままに話をする。……そこまでで、4人だったのだが………

4人では終わらなかった。

GOKU氏は、ステージの1人1人が終わるたびに心こもった講評を贈る。それぞれの人の持ち味を最大限引き出す講評は、とても温かい。
そして、そのGOKU氏の講評の言葉のぬくもりが、会場の「自分もやろうかな」という想いにつながって………
結局、最終的には11名がステージに立った(!)。

実は、私も……最初はそのつもりがなかったのだが、MCのGOKU氏と、ステージに立つ人々の雰囲気と勢いに乗っかるように「やります!」と手を挙げてしまった。

即興劇あり、語りあり、朗読あり。
12月のオープンマイクは、こうして2時間以上の間にたくさんの人の言葉と想いを放つ濃密な時間となった。

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この12月のオープンマイクの印象がかなり強烈だったので、改めて取材という形で2月のオープンマイクにも顔を出してみました。

この日のステージでは、開幕のGOKU氏のあいさつおよび詩の朗読から始まるのは12月と同じだったのですが、ステージの幕開け……突然赤い鼻の「変な日本語を話す外人」さんが登場。

この「変な外人」さんは、GOKU氏のパートナーとしてこの「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」を最初から支えてきた詩人の植草四郎氏です。

オープニングのステージ15分を任された植草氏、ひと月前の1月のオープンマイクのゲームで優勝し、15分の特別テージ出演権をGETしたのです。

植草氏とGOKU氏の出会いは詩のボクシングだったそうです。

「なぜ、植草氏とやろうと思ったのですか?」との問いにGOKU氏はこう答えました。

「彼の言葉が好きだったからでしょうね。
 言葉って人柄だから
 言葉が好き=発してる人が好き
 みたいなこともあります。」

言葉を通じてつながった二人。
わたしは2月のオープンマイクに行って、GOKU氏のMCと植草氏のステージを見てなぜこのオープンマイクでたくさんの人が気負い無くステージに立つのか、何となく感じたことがありました。

主催者側であるお二人が、何よりも一番このステージやこの企画を楽しんでいるんじゃないか……とそう思ったのです。

「そうですね、自分もあの場がとても好きですよ。そして、あの場は人の非難なんかはもちろんNGだけど、それ以外は何でもありなんですよ。」
「だからね、GOKUさんも自分も、なんのこだわりもなくあそこにいるんです。
このタイトルの『ななしのぜろ』の『0』はそういう意味もありますね。
そして、0の環は大きくもなり小さくもなり、いろんな世界をそこに含んでいるんですよ。」

(植草氏談)

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押しつけも、なんにもない。どんな世界でもそのままを受け止める。
ステージに立つ人のカラーを大切にし、上手い下手にもこだわらない。

その人の発する言葉とそこにある想いをしっかり受けとめる人がそこにいる。
それが、この『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』というオープンマイクのあり方。
そして、そのあり方を愛する人々が、毎月ここに集ってくる。

2月のこのステージでもまた、様々な言葉が会場に放たれた。

詩の朗読をする人。日常語りをする人。
携帯電話のメールのやりとりを読み上げる人。
難病研究の署名のお願いをする人。
ピアノの演奏。
(ちなみに、この日ピアノを演奏したブルースピアニスト、コイケさんのステージについても、このあと取材しましたので記事を掲載しました。→記事
『聴き屋』をこれから権堂でやりますから来てください、という宣伝。

それぞれの人の放つ言葉は、先にGOKU氏が植草氏を語るときに表現したように、そのままその人の人柄を表している。

温かい言葉。
力強い言葉。
朴訥な言葉。
やさしい言葉。

一本のマイクを通じてそれらが会場の人々とステージの人とをつないでいく。

そして、この日のGOKU氏のステージ。
突然、ステージでクロールを始めるGOKU氏。

この日、小さな紙の上に書きとめられたたくさんの短い言葉たちが、一枚一枚と会場にちりばめられていった。GOKU氏の声と動きと、リズムの中で生き生きときらめきながら。

「人前で朗読するという経験は、2003年の3月に松本市で開催された「詩のボクシング」という朗読の大会でした。まず、自分で言葉を考えることが楽しかったし、それを声にすることが楽しかったですね。ただ、当時の僕は、詩という言葉に、「詩=メッセージを伝えるもの」という頭があって、いま読み返すとお説教のような詩で、つまらないんですよ(笑)。いまは、詩は言葉遊び。くらいの気持ちで、湧いてきたときに作っています。自分のことというよりも、言葉で感じてる世界を表す感覚ですね。 」

この詩のボクシングの全国大会で準優勝という経歴を持つ実力派のGOKU氏は、言葉と関わるようになったきっかけをそう話す。

その語りにあるように、彼の言葉は押しつけがましくない。
『0』という名を持つこのイベントのように、ただどんどんと湧き上がってひろがっていく。

言葉は、意味を持つものとしてではなく、命を持つものとして、彼の口から発せられていく。

「いまって、会話にしてもニュースにしても、 世知辛いですよね。言葉ってもっと優しかったはずだと思うんです。そもそもは、コミュニケーションのツールであって、人と繋がるための道具なわけですからね。でも現代ってそれが忘れられているような気がします。

 世界が言葉によって、否定されていく。
 人が言葉によって千切れていく。
 絆を断ち切るために用いられる言葉。

 そういうマイナスの使われ方が多いような気がします。
 たぶん言葉は泣いてるんじゃないかな。
 だから、言葉っていいね。
ってことを伝えられる場になればいいんじゃないかな。 」

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人と人がつながるためにあったはずの「言葉」。
それは、時として人を傷つけてしまう凶器になることもある。

けれども、本来つながるためにあるその言葉にどんな命をのせて発するのか、どんな想いを込めて発するのか……、それを発する側の人間も、受け止める側の人間も、もっと気負わず自然に出来るようになったなら………。

人と人との間には、こんなにやわらかくやさしい空間がひろがっていくのだなぁ。

2回の『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』を取材し、イベントが終わって会場を去る人々の穏やかな表情や、会場のしっとりとした空気を感じて、そんなことを思った。

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■名もなきオープンマイク0(ぜろ) Vol.30
  ~産獣・酸汁・参○ 声はどこに辿り着くのか~
  
  と き:4月23日(金)午後8時スタート
  ところ:ネオンホール(長野市)
  料 金:無料 ※1ドリンク以上のオーダーをお願いします。
  持ち時間:5分 (延長は最大4分59秒まで。合計9分59秒以内)
  自作詩、演劇、歌、おしゃべり、早口言葉。絵本。紙芝居。
  なんでもかんでも。沈黙もOK。
  15分のゲストライブ×2本(4月は、即興劇とゲストの朗読)
  過去のレポート等は公式ブログで。

(文・写真 駒村みどり)

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