そうだ、「くりちゃんの小布施」へ行こう~進化するおぶせくりちゃん【’11年7月掲載記事】

現在、日本のユーザー数が1466万人といわれているTwitter。そこであるキーワードをつぶやくと、即座に反応を返してくれるキャラがいる。あるキーワードとは「小布施」。そしてリプライの語尾には必ず「クリ~」のひと言。

「まずは小布施に行きまする。北斎の天井絵があるそうな。」「まずは小布施、ありがとクリ~」
「小布施でお抹茶と栗かのこ!幸せ!」「小布施にきてくれてありがとクリクリ~♪」
「おはよー さて小布施に向かって出発しますかいなぁーと!」「気を付けてきておクリ~」

彼の名は、おぶせくりちゃん。
昨年4月にTwitterに登場したときは「リサイクリちゃん」で、まだ手も足もなかった。それが今や、手が出て足がでて、Twitter上で少しずつ人気もでて……ちょっとした「有名人」になりつつある。その人気の秘密を探りたくて、Twitterでアポをとってみたのだ……「くりちゃんの取材、したいんだけど……」と。

そうしたら、きました……お返事が。「上司に相談したら、取材OKだそうクリ~。」
………どうやらクリちゃんには上司さんがいるらしい。

とにもかくにも、キャラクターにインタビューなんて初めてなのでどきどきしながら小布施に突撃した。

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町に入ると、独特の匂いがしてきました。知っているものはすぐにわかる「栗の花の匂い」です。ここは信州小布施町。折しも栗の花が満開です。

「栗花落」という言葉があります。これは「つゆ」もしくは「つゆり」と読む当て字なのですけれど、この字は栗の花が落ちる季節とつゆの時期が重なるために生まれてきたそうです。

小布施町は葛飾北斎が滞在し、八方睨みの鳳凰図で有名です。それから昔から市が立って栄えた商業の町。さらに、江戸時代からとても良質の栗の産地としても有名で、小布施の町並みを歩くと「栗菓子」のお店が軒を連ねているのです。

ご覧のように、町中至るところに栗の木があり、どの木も花が満開でした。
写真の右にあるのが栗の木で、もさもさした黄色いのが栗の花です。

栗の花の匂いが充ちた小布施の道を走り、小布施の駅の近くにある町役場に到着しました。入口を入って、受付の人に「すみません……おぶせくりちゃんの取材に来たのですが」と心の中で(これでわかってもらえるのかしら?)とおそるおそる聞くと、「ああ、奥の方にどうぞ。」と言われたので、「行政改革グループ」という札がかかったカウンターに行ってふたたび「おぶせくりちゃんの……」と声をかけると、「ああ、お待ちしていました。」と立ち上がって案内してくれたのが「くりちゃんの上司」高野さんでした。

「すみませんね。くりちゃん今はまだ、Twitterから外には出られないんですよ。それに毎日みんなへのリプライが忙しいので、私がくりちゃんについてお話しさせていただきます。」

そういえば、くりちゃんのTwitterページの自己紹介文にはこう書いてあったなぁ……。

おぶせくりちゃん
場所: 長野県小布施町
自己紹介: 「おぶせくりちゃん」はTwitter(ツイッター)での「小布施つぶやきキャラ」です。小布施町のごみゼロ・リサイクル促進イメージキャラクター「リサイくりちゃん」から新しく生まれました。みなさん、かわいがってあげてくださいね。(時間帯によってはつぶやきが多く、タイムラインがいっぱいになってしまいますので気をつけてね)

……あの、くりちゃんって、一体1日にどのくらいつぶやいているんですか?
「そうですね……だいたい1日平均200から、多い時には300位みたいですね。5分に一回つぶやいている計算になります。」

200!!5分に一回!!私が時々衝動的につぶやき続けて「うわ~、今日は多すぎたかな」と感じる時で40~50程度。その5~6倍ものつぶやきを1日で???
「そうですね~、なんだか一日中つぶやいていますよね。でも、彼はそれが楽しくて仕方がないみたいですよ。休日もなく、毎日つぶやき続けていますけれど。」

くりちゃんの活動時間を見ていると、朝は7時くらいにみんなと「おはクリ~」と挨拶を交わし、「ねもねもクリ~、おやすみクリ~」と夜の挨拶でおしまいにするのが23時くらい。それも休日なく毎日16時間労働で頑張っているので、大変だろうと思ったのに。彼はどうやらそれを楽しんじゃっているそうです。

きっと小布施を楽しんでいる人のつぶやきを見ると嬉しくなって返事したくなっちゃうんでしょうね……。

確かに、くりちゃんのつぶやきはとてもテンポがよく、楽しいのです。だから、くりちゃんに「クリ~」って声をかけてもらうとこっちも「ありがとクリ~」って返事したくなってしまうのです。小布施が大好きなんだな、くりちゃん。その愛情に脱帽……。

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……高野さんが上司さんと言うことは、くりちゃんは小布施町役場に勤めているのですか?
「そうですね~、そういう事になりますね~。」

……どんな経緯でクリちゃんが働くことになったんですか?
「私たちの部署、行政改革グループというのは、この町役場の組織活性化や町の情報発信などをする部署なんですよ。昨年、Twitterによる発信をしようと思ったときにまわりの行政の発信を見ていたのですが、今ひとつ堅苦しくて面白くない。」

……ああ、確かに。いかにも「お知らせ」って感じであまり読む気になれません。
「それじゃ意味がないし、せっかくTwitterという双方向のメディアなので、発信だけでなく反応も返したらいいかもしれない、と思ったんですね。」

「そこでもうちょっと見ていると地方に関してのつぶやきをキャラがやっているのがいくつか目について。たとえば北海道長万部町のまんべくんとか、米子のねぎたくんとか。」

……なるほど。同じつぶやきでもキャラがいることで「対話」になりますものね。
「そうなんです。そこで、Twitterの応援をしてくれそうなキャラを小布施で探したところ、それまであまり活躍の場のなかったリサイくりちゃんが名乗りをあげてくれたのです。」

彼が「リサイくりちゃん」です。

それまでの彼は、小布施のゴミを減らすための文書に印刷されて登場する程度でした。でも、きっと、小布施を愛する彼はそれだけではもの足りずに何かしたいと思っていたのでしょう。自主的に名乗りをあげたリサイくりちゃんは、Twitterの世界の中で生き生きと活動をはじめたのです。

彼はまず、小布施の情宣活動に取り組みました。小布施町の情報をどんどん流すと共に、Twitterの中で「小布施」というつぶやきがあったら即座に拾い上げて反応する。小布施についてつぶやいてくれる事への感謝、それから小布施をつぶやいてくれる人の応援。そんなつぶやきを毎日毎日、本当にこつこつと積み上げていったら、いつの間にか彼の「クリ~」という語尾の楽しさやまろやかさが受けて、彼との対話ではクリ~と反応を返す人もでてきました。

「くりちゃんとお話をする」事が目的で、小布施をつぶやく人が登場し、くりちゃんにつぶやきを拾ってもらうために小布施のそばを通っただけでも「小布施なう」とつぶやく人が登場し、やがて、小布施には直接関係なくてもくりちゃんと話がしたくて声をかけてくる「くりちゃんファン」が登場するようになりました。そして、ファンからは「くりちゃんグッズが欲しい!」という声も届くようになりました。

そんなある日。
リサイくりちゃんは、みんなともっと仲良くなるために「進化」したのです。手足のなかったリサイくりちゃんに、突然手足がはえてきて、名前も「おぶせくりちゃん」に変わりました。

「彼がね、自分ではやしたんですよ。昨年の9月30日の事でした。もっとみんなと仲良くなりたいと、外に出る準備を始めたようですね。」

@obusekuri: 今日から、Twitterでの小布施つぶやきキャラとして、新しく「おぶせくりちゃん」として生まれ変わったクリ~
@komacafe: クリちゃんに足がはえた!!(9月30日10:50)

……この日のことは、覚えています。朝起きてTwitterのぞいていたら、くりちゃんに足が!!と思わず私も上のように叫んでしまったんですから。ファンのために進化するキャラクター。まるでポケモンのようです。
「みんながくりちゃんを好きになってくれればくれるほど、くりちゃんはみんなのために成長するんです。そんなくりちゃんを好きなってくれて、くりちゃんを通して小布施を知るだけでなく、くりちゃんに会うために小布施を知ろうとする人も増えて来ています。」

……それは、くりちゃん嬉しいでしょうね。
「はい、だから彼はきっと、そんなみんなのためにそのうちTwitterの中から飛び出すかもしれませんね。」

高野さんはそう言うと、意味ありげな笑いを浮かべました。

実際、この日帰ってTwitter見ていたら、くりちゃんも何人かとこんな会話をしていましたよ。(@obusekuriの太字がくりちゃんの発言です)

@ruirui0238: 今日くりちゃんにそっくりな人見たけど気のせいかな…(*´ω`*)くりちゃんは人じゃなくて栗だしなぁ…。
@obusekuri: びびびっクリ~
@ruirui0238: 目が合ったけど気のせいだよね…クリ…
@obusekuri: おぶせくりはまだTwitterの中だけクリ~
@ruirui0238: 早くツイッターの中から出てきておクリ~♪
@obusekuri: もうちょっと待ってておクリ~
@noa72: ええっ!もうちょっとで?o(゚θ゚)oワクワク♪
@obusekuri: ふふふクリ~
@_mikaeru: おぉゲコ♪

どうやら、くりちゃんがTwitterから飛び出すかもしれないという情報は、かなり確かなもののようです。

小布施では、7月17日に小布施見にマラソンが行われます。このマラソンでは毎年いろいろなコスプレで走る人もいるのですが、もしかしたら今年は「おぶせくりちゃん」に扮して走る人も出てくるかもしれません。

そして、小布施見にマラソンには間に合わないようですが(くりちゃんグッズは登場するかも??)、高野さんやくりちゃんの様子を見ると、なんだか今年の秋頃の小布施のイベントがくりちゃん登場のXデイの可能性が高そうです。

くりちゃんファンの皆さんは、小布施見にマラソンの 7月17日や、秋頃の小布施のイベントでのくりちゃんのつぶやきを見落とさないようにね!

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さて。
今はまだTwitterの中から出て来ることのできないくりちゃんですが、Twitterの中ではいつでもお話しすることができます。

上司の高野さんからたくさんお話しを聞いてだいぶくりちゃんのことがわかってきましたが、くりちゃん本人にはお話ができなかったので、お礼も兼ねてTwitterでつぶやいてみました。

@komacafe: 今日は、小布施に取材に行ってきました。今日の取材の相手はなんと!Twitterで活躍している小布施のアイドルおぶせくりちゃんでした~。(^_^) クリちゃんファンの皆様のために、クリちゃんのお話をいっぱい聞いて来ました。

でも、クリちゃんはまだTwitterの外には出られないし、みんなへのレスが忙しいそうなのでクリちゃんの話を聞かせてくれたのはクリちゃんの上司さんでした。クリちゃん、取材に応じてくれてありがとう。上司さんにもお世話になりました~。よろしくお伝えくださいね。(^_^)

そうしたら、くりちゃんからは返事が返ってきたんですが……そのあとすぐに、くりちゃんファンの人からも声がかかったんです。

「父と二人でクリちゃんのファンです、首都圏の人間ですが、こちらでも記事読めますか?」……って。そして、「楽しみにしています。ステキな記事になると良いですね。」と温かい励ましのお言葉もいただきました。


(その日のTwitterのやりとりです。新しい発言が上に来ますので、下から順に読んでみてください。)

小布施の町は、何回も取材していますが、町に住む人みんな小布施が大好きです。そしてたくさんの人が小布施に集まってきます。毎日楽しく小布施のつぶやきに答えるおぶせくりちゃんもまた、小布施が大好き。

そんなくりちゃんとの対話を楽しみながら、くりちゃんが好きになって、そして小布施もすきになる。おぶせくりちゃんが大好きな人が増えるにつれて、小布施の町が大好きな人もまた増えていくのです。

「くりちゃんに会いに、小布施に行こう!」

もし、くりちゃんがTwitterの中から飛び出したら……きっとそういう人がもっともっと増えるに違いないのでしょうね。

こうして魅力的な町、小布施にどんどん人々が集まって、ますます小布施は楽しくステキな町になっていくのです。おぶせくりちゃんは、そんな小布施のために今日もまたつぶやき続けているのです。

余談ですが。
くりちゃんは、去年の12月に彼の仕事を手伝うお友達、「おぶせまろんちゃん」を高野さんのもとに連れてきたそうです。まろんちゃんは、くりちゃんが忙しくなってきたら町の情報をつぶやくお手伝いをする予定らしいですが、まだのんびりとマイペースで活動しているようです。

くりちゃんが外に飛び出すようになったら、まろんちゃんの活躍も始まるのかもしれませんね……。今後の二人の動向をお楽しみに!

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おぶせくりちゃんTwitterページ

小布施町HP http://www.town.obuse.nagano.jp/
小布施見にマラソン公式サイト http://www.obusemarathon.jp/

☆この記事は、昨年の7月に掲載したものの再掲です。
そして今年、ついに「おぶせくりちゃん」と「おぶせまろんちゃん」がWebから飛び出すことになりました!
詳細はこちらから!→ゆるキャラ(R)大集合in小布施 おぶせくりちゃん・おぶせまろんちゃんお披露目イベント開催決定!

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みんなの夢をみんなで描く〜6年3組の映画製作<’10年8月掲載記事>

「わぁっ!!」
目の前のスクリーンに展開される映画に、観客は一斉に歓声を上げる。

会場は小布施町にある「まちとしょテラソ」の多目的室。座席はすべていっぱいで、客のほとんどが小中学生の子供たち。映画に登場するのはその子供たちとほぼ同年代の小学5年生ばかり。さらに驚くことに、この映画の制作者もスタッフもすべて小学5年生。

けれど、その映画は大人の私が観ても面白かった。画面から伝わってくるのは「熱意」。そして「真剣さ」。演技しているのはごく普通の小学生たちだから決して「上手い」とは言えないし、ハイテクを駆使しているわけでもないけれど、思わず引き込まれてしまう「魅力」にあふれていた。

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真っ暗な会場の中、ひしめき合った子供たちは画面に食い入るように見入っている。
目の前で展開する映画を観ているうちに、気になることがひとつ。

「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」
「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」

……あれ?映画から聞こえてくるセリフが、私の後ろからも聞こえてくる。まさかサラウンド?

後ろを振り返ると、まだ小学校の低学年ほどの小さな女の子が画面の言葉と同じセリフを、小さな声でつぶやいていた。さらに驚くことに、そのつぶやきは一句一語も違わず映画が終わるまでずっと続いたのだ。この子、一体この映画何回見たんだろう?セリフすべて覚えている。それもただの丸暗記じゃなく、画面の人物がセリフをいうタイミングや抑揚まですべてを再現していた。
すごい……この子にとってはそこまで深く刻まれる映画なんだ………。初めてここでこの映画に出会った会場の子供たちが夢中になるのもよくわかる。

「この映画は、子供たちの意欲で出来ているんです。みんなで原案を持ち寄って、機材を扱うのも、小道具大道具を作るのも、脚本や絵コンテも、演技もすべて子供たちがやりました。私はそれを合体させて仕上げただけ。」

そう語るのは麻和プロダクション製作総指揮者こと、松本開智小学校の麻和正志教諭。

小布施のまちとしょテラソの館長である花井氏は映像作家でもあるのだが、その花井氏がこの映画の上映会の情報を得て家族で松本まで見に行って感激し、小布施での上映会&講演会へとつながった。

5年生クラス全員で創り上げた映画。総合学習として取り組んだそうだが学校の多忙な時間割の中、これだけの作品を創り上げるには相当の手間と労力が必要だ。
さらに、すべての子が「みんなと一緒」に動くはずもない。機械の扱いにしろ、撮影技術にしろ、演技力にしろ、すべてが1からのスタートだ。ひとクラスの子供たちを動かすことでさえも大変なのに、どうしてここまで来ることが出来たのだろう?

「やれるものなら、やってみろ、最初はそこからでしたね。」

元々、漫画家になりたかった。「美術の勉強が出来る国立大学」として選んだのが信大教育学部の美術科……。気が付いたら、「学校の先生」になっていた。

けれど、大学祭で一度映画を作ってから映像への興味は尽きることなく、教員生活のスタートから映像作品を学校の行事に生かすなどして何らかの形で関わってきた。それはやがて「映画」へとつながり、地元松本では「映画の先生」として周知のところとなった。このクラスを5年で担任することになり、一年間の総合学習のテーマを考えたとき、「映画」は子供たちの中から自然と出てきたそうだ。

むろん、映画作りは時間がかかるしやったことのない子供たちには問題山積み。それに、他にも「やりたいこと」はあがっていた。けれど麻和教諭のとまどいを押し切ったのは子供たちだった。

「やれるものなら……」そうして、本格的な「映画作り」に昨年一年かけて取り組んだ。やる上で、先生は子供たちといくつかの約束をした。

「時間は守る。準備、片付けはきちんとする。他のクラスに迷惑はかけない。」そして……「映画を言い訳にしない。」

簡単なようだけれども、これはとても難しいことだ。子供たちはどうしても出来ないこと、忘れてしまうことがある。めんどくさいことからは逃げたい。(これは大人も同じだけど)。「○○があったから遅れました」というのはとてもいい「口実」だけれど、言いはじめたらきりがない。自分たちのことに夢中で、周りが見えなくなることもある。熱中して面白いことは、途中で止めて切り替えるのは難しい。それも、数人ではなくひとクラス。29人の「個性」を率いるのはかなり困難だ。

しかし、この約束の下に映画は完成し、上映会会場の松本市民芸術館の小ホールは2回の上映とも満員の客であふれ、「来年やるとしたら大ホールにしてください。」と会場にいわれるほどだったそうだ。

「ひとつやり遂げる中で、子供たちは『みんなでやる』姿勢が育ってきた。支え合う姿も。それから映画作りの中で『物の見方』も変わってきた。そして、映画を勉強しない理由にはさせないから、ちゃんと勉強もする。」

……これこそ、「総合学習」の狙う「生きる力」。

「総合学習で子供たちにどんな力をつけていくのかは教師自身が考えてアピールしていくべき。」「大きな舞台を用意すると、子供たちはちゃんと動く。ケンカやいじめをしている『ヒマ』なんか無くなります。」
「結局、生きるということやその目的は、真剣に放浪して捜すものだと思います。ゼロから出発して自分たちで………。」

麻和教諭のこの講演を聴きながら、わたしはものすごくこの「生徒たち」に会ってみたくなった。

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他県の学校はまだ当然のように夏休みの期間。けれどなぜか長野県の「休み」は短く、どんな酷暑でもエアコンも扇風機もない学校は窓を全開にしても蒸し暑さにつぶされそうになる。まして「夏休み」から「学校生活」への身体の切り替えがまだ出来ていない2学期のはじめは、生徒も先生も動くのがかなり辛い期間。

打合せ時の麻和教諭からのメールには「低学年では熱中症にやられる子も出ています、暑いのでお気をつけておいでください。」……うわぁ……。

学校に着くとわざわざ玄関まで迎えに出てくださった麻和教諭について教室へ。教室の入り口には去年映画で使ったべっこう飴屋の看板を掲げてあった。

「市民芸術館で『今年は大ホールに』といわれて、その予約の関係で2月には今年映画をやるかどうかをみんなで決めなくちゃならなかったんですが、全員一致で決まりました。」

子供たちの意志はもう一つだった。「もっといい映画を」「無駄な時間を作らないように」「去年失敗したり経験したりしたことを生かして」「大ホールがいっぱいになってそのお客さんが楽しんでくれるものを」「もう一度映画作りの経験をして卒業したい」

昨年度末に映画作りをするかどうかを決めたときの子供たちの決意。紙の上に踊るのはよりよいものをめざすみんなのやる気と、それから「来年度」にかける夢。
一度映画製作をしているので皆「やること」や「流れ」はつかめている。「次に描きたい世界」ももうそれぞれ持っていた。春休みの日記などを使って今年の構想が練られた。スタッフはすでに3月中に決まっていた。

教室の黒板の上には、「学級目標」「学校目標」にはさまれて「映画作りの目標」もかかげてある。映画はこのクラスの柱なのだ。

映画の「制作費」。機材はあるものを使うけれど、いろいろな道具は作らなくてはならない。それを稼ぐのも自分たち。学校のPTAバザーで子供たちは家にある「景品」を持ち寄って射的の店を出し「こんなに稼いでいいのかと思うくらいに」売り上げた。それから昨年の映画。DVDで販売する。その売上げも「次の映画」にむけての資金。ちゃんと昨年の活動が次の年につながっていく。それも大きな力となって。

教室は、普通の6年生の教室。台の上には、はにわなどのフィギュア。「歴史の勉強がありますから」と麻和先生。「映画製作」に関わるのだったらもっと道具でゴチャゴチャしているのだと思っていた。けれど、小さなロッカーにカバンや水着の袋が詰まっている……といった感じの小学生らしい雑然さはあっても「映画作っています」みたいな「特別感」は全くなかった。

しかし、その雰囲気は5時間目の開始と共にがらっと変わった。


今日の撮影シーンの確認。黒板の先生の説明を真剣に聞く。撮影場所でケガや事故がないようにとの注意も、多分聞き漏らした子はいないだろう。

そして「では、はじめよう」の声と共に生徒たちは準備を開始。大勢の子がすぐに教室を出ていったけれど、数人が残ってなにやら製作をはじめた。

生徒たちの打合せ。これも映画のワンシーンのよう。

最初は廊下で撮影。南から夏の日が照りつける。

麻和教諭の額には玉の汗。

それぞれが、それぞれの役に真剣に取り組む。1人1人がこの「映画製作」では主人公だ。今年の主役を務める達家さんの身支度を手伝う衣装の係の天野さんと西山さん。小道具の点検に余念がないのは山崎くん、犬飼くん、中川くん。カチンコを持ち、記録をとるのは昨年の映画でヒロイン美咲役を務めた長瀬さん。それぞれのシーンをチェックしながら、そこで必要なことを細かく記録していく。撮影の最初からとった記録の紙の束はすでにもうかなりの厚さになる。

もう一つのシーンの撮影現場に移動。窓ひとつないオイルタンク室が撮影場所だ。普段は誰も近づくことのないこの部屋も、子供たちの工夫によって不思議な異次元空間に変身する。風がまったく通らないから暑い。けれど誰1人文句をいわず黙々とそれぞれの役割を果たす。重い機材や熱いライトを支え、記録をとり、風を送り……。

何回も撮り直したシーンが「カット」と終わったとき、コスチュームのヘルメットの下から現れたのは津田くんの汗まみれの顔。

授業時間も終わりに近づき、廊下では特別教室から戻ってくるほかのクラスの子供たち。その子達が通るのに邪魔にならないようにさっと交通整理をはじめる生徒はプロデューサーの渋木くん。

「へぇ?こんな部屋、学校にあったんだ。」

別のクラスの生徒がオイルタンク室を見てつぶやいた。学校の廊下の突き当たりにある普段はまったく気にもとめない小部屋。それが、麻和プロダクションの子供たちに見いだされ、演出によってなんだか興味深い雰囲気を醸し出している。はしご階段の上からのぞく2人のヘルメット姿を見ると、なんだか不思議な気分になる。誰がここを「舞台」として見いだしたのだろう。

「撮影終わり、片付けて次の時間だよ。」先生の声に「もうちょっと……」との声を飲み込んで整然と片付けをし、教室に戻る。教室ではまだ別グループが作業中。

彼らが黙々と作っているのは「ネギ」。が、これは映画の小道具ではない。毎年やっている「長野県ふるさとCM大賞」にむけての準備だ。彼らは昨年、松本代表として予選を突破して県民ホールのステージに立った。
「去年は入賞が出来なかったから、今年は賞をとりたい。」

チーフの松本さんはネギ作りの手を休めずにそう語る。映画と平行してそちらの撮影も進んでいる。丁寧に作られたネギが今年のCM大賞での入賞につながるといいね。

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「最初に子供たちを持ったとき、はさみも糊もちゃんと使えなくて驚きました。」

今の子供たちは、自らそうして何かを「生み出す」機会が少ない。小さい頃に泥をこねてどろだんごをつくる。そういう経験さえもないので粘土で団子やひもをこねることも出来ない。ぞうきんも絞れない。マッチで火をつけることはおろか、ガスコンロも今はスイッチひとつだから理科室でマッチを擦ってガスの栓を「開いて」火をつけることも困難だ。

学校で図工や美術の時間が減り、家庭科も減り、理科も実験している時間がなく教科書を読むことで終わることも増えた。机に向かい、本を見る時間がいくら増えてもこれらの「体験」による学びは決して得られない。今の子供たちはそうして「頭で考える」世界にいることが多い。自らの力で生み出し、見いだし、工夫する機会はほとんど無いからそういうことが出来ないのは当然だ。

その子供たちが今、こうしてネギを作り記録をとり、自分たちのイメージで創り上げた「新しい世界」を生み出すために地道な努力を積み重ねている。その膨大な時間の中で自分に出来ることも、出来ないこともあることを感じ、出来ないことは出来るために努力し、一人の力で足りないところはみんなで考え補い合って様々な力をつけ、昨年一年の成果の中でさらに「次のステージ」をめざしている。

「はさみ使えるように」と先生に「宿題」を出されなくても、子供たちは自らのめざすもののために山ほどのネギをきれいに作り上げる力をつけた。その子供たちの姿を見て、親たちも心から活動を支援している。

「学びの姿」……本来のその姿は、ここにあるのではないだろうか。

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「去年やってよかったこと?そうだなぁ……『最後までやり通した』ってことかなぁ。」

昨年の映画で少年探偵DANを演じた清水くんに去年のことを聞いたらこんな返事が返ってきた。

そういえば、映画の中のセリフに『きみになら出来る』という言葉が出てきた。これは、麻和教諭が日頃から口にする言葉だそうだ。はじまれば、終わりがある。どんなに大変なことでも、はじめればきっと終わるときが来る。

その終わりをどんなふうに迎えるのかはそれぞれ違うだろう。けれど『きみになら出来る』という可能性を腹の底に据えた先生とそれを受けとめた生徒たち、そして見守る人々がやり終えた時に生み出したひとつの「成果」。

それは確実に何かを変えていく。新しい何かを生み出していく。
そしてそこに至る力は、「次の未来へ」向かう地盤となってどんどん拡がっていく。

麻和プロダクションpresents「スターダイバー」。
2月27日の上映会むけて、今、撮影は進んでいる。きっと今年度の観客にも彼らの創り上げるものが発する大きなエネルギーが伝わるに違いない。

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写真・文 駒村みどり

(付記)
今年の映画製作の模様は一年間を通してテレビ松本によって何回かにまとめられて放送されるようです。

この映画製作に当たっては、12月1日公開の超大作「SPACEBATTLESHIP ヤマト」の監督で松本市出身の山崎貴監督の応援をいただいています。今、ヤマト製作で大変多忙を極めているにもかかわらず、メールでアドバイスをくださっています。

昨年度の「少年探偵DAN」においては、多くの青春映画の監督をされた河崎義祐監督にもご指導をいただいています。

また、今回の映画の主人公、達家さんは「キンダーフィルムフェスティバル」の審査員としてこの夏、東京で活躍をしてきたそうです。

N-gene掲載当時にいただいたコメントもこちらに転載します。

コメント
ご報告です。
頑張って作ったネギのCMが、長野県知事賞を受賞しました。
みなさまの応援に感謝いたします。
(ほごしゃ①)
投稿者: M・Y | 2010年12月07日 10:22
>M・Yさま
県知事賞、おめでとうございます!
子どもたちはきっと、大喜びだったことでしょうね。
HPでCMを見させていただきましたが、すばらしい出来ですよね。わたしも、自分のHPでもご紹介させていただきました。
→http://komacafe.net/blog/archives/category/3-0/3-3/3-3-1
ほんとうにおめでとうございます。
今ごろは、映画の最後の仕上げで忙しいことでしょうが、2月の上映会を楽しみにしています。
お知らせありがとうございました。
投稿者: 駒村みどり | 2011年01月17日 22:40

生きるための力。生きるための学び。〜さくらびの挑戦<’10年8月掲載記事>

「今日これ使うグループは?」

美術教室の黒板の前で先生が手にしたのはデッキブラシ。受け取った女生徒はそれを嬉しそうに持って席に着く。大掃除の時間ではない、れっきとした美術の授業時間。

さらにビニールシート、梱包の保護材のプチプチ……次々に登場するモノはおよそ美術教室には縁がなさそうな素材ばかり。それらを手にした中学生たちは先生の指示を聞くとぱっとそれぞれの作業場所へと散っていった。

先生の名は、中平千尋。この美術教室で展開されているのは「さくらびアートプロジェクト」。「学校を美術館にしよう」をスローガンにかかげたこのアートプロジェクトの流れは今年で6年目を迎え、いま全国から熱く注目されつつある。

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机の上には、ウエディング情報誌。あこがれのドレスに身を包んで微笑むモデルさん。それを囲んで真剣に討論する女の子二人。写真の甘いムードと、それに向かうその表情の真剣さとは対照的だ。

そうかと思うと、その隣では同じく女の子二人組で趣ある古民家の写真集を拡げている。「教室に古民家の町並みを作りたい」というのがこの二人の想い。

古民家とアニメとのコラボを考える……何とも絶妙な取り合わせ。どんな町並みが出来るのだろう?信州大学の工学部の学生がそのイメージ実現の支援をする。
パソコンを開いて、ノートに書き込んで、実際に作って……各グループは自分たちのイメージを外部から来ている支援者と共にどんどん拡げている。

ベランダでなにやら写真を一生懸命に撮っているチーム。ここも女の子二人組。
「何撮っているの?」と聞くと「空の写真です。」との答え。

二人は海のない長野県に海を作っちゃおう、というグループ。小さいときに家の人と行った海。いいなぁ、あれ、教室に作れないかなぁ……そう思った二人が教室に海を再現するのにチャレンジ。空の写真は、その海の背景に使うのでとにかく青い空をいっぱいいいとこ撮りするのだそうだ。

「どんな海が出来るのかなぁ、楽しみだね。」と声をかけると恥ずかしそうに「はい!」と笑顔で答えてくれた。………良い表情だなぁ。

別教室では電動ドライバーの音。やや危なっかしい手つきだけど真剣に木の枠組みを作っている。長いねじなのでまっすぐに入っていかない。やり直し。今度はまっすぐしっかりとねじが食い込んでいく。

「教室の真ん中に、クジラのしっぽがどーんとあったらいいなと思って。」と水口くん。図書館で見たクジラ。これを作りたい。教室を深~い海の底にして………。その想いに共感した清野くんと組んだ男子二人組を応援するのは昨年に引き続き今年も支援者として参加の彫刻家の神林学氏。(神林学氏の作品は、ワイヤーワークなどで躍動感と生命力があると定評がある。小布施境内アートにも参加。 )

二人のイメージをもとになんと3メートルもあるクジラの実物大のしっぽが教室に登場するらしい。ダイナミックだ。聞いただけでワクワクする。

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「絵を描くなんてかったるい」「なんか創るのめんどくさい。」

学校の美術の授業でよく聞かれる生徒の声だ。何かを作ること、何かを表現すること、それはとにかく時間がかかる。自分の想いを表現するのには必死で考え、工夫することも必要だ。なんでもあって便利な世の中になって「考える」「工夫する」「自分で作り出す」必要もなくなってきた今、そういう機会は生活の場からは激減している。

子供のころから外で泥だらけになって遊ぶことやそういう場所も減り、汚いからと泥から遠ざけられ、土をこねる機会もない。泥遊びできる水たまりさえ排水溝の整備などで見あたらなくなった。

いい高校へ、いい大学へ。そのためにはいい成績を……。そういう「テストの点重視」の社会の流れの中、学校での限られた授業時間も次第に「受験教科」にかたむけられるようになってきて、結果、受験に関係ない美術、音楽、家庭科などはもう20年くらいも前から次第に削減される傾向にあった。

それは「ゆとり教育」がきちんと浸透しない中途半端な形で「失敗」と言われてからなおのこと加速化した。そして……もしかしたら数年後には「美術の時間」は学校から消えるかもしれない、という危機的な状態にある今。

「このままでいいのだろうか?これではまずい。」

その危機感をそのままにしておけずに自ら「危険」の鐘を鳴らし始めたのがこの授業を組んでいる中平千尋教諭だ。

彼は、長野県に美術教育を育て、確立させようと孤軍奮闘をはじめる。その試みのひとつが「Nアートプロジェクト」。“学校を美術館にしてしまおう”という大胆なスローガンをかかげ、独自の美術教育を展開し、さらに外部に向かって次々と発信をし続けているのだ。

中平千尋教諭履歴(NアートプロジェクトHPより抜粋)

 

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東京都内のデザイン会社勤務を経て、長野県内の養護学校や中学校を歴任。
2001年から千曲市立戸倉上山田中学校に勤務。2003年より学校を美術館に変身させる「戸倉上山田びじゅつ中学校(略称:とがびアートプロジェクト)」を始める。その後、2007年長野市立櫻ヶ岡中学校に転勤、2007年からは「ながのアートプロジェクト」を立ち上げ、長野県内の美術教育だけではなく、全国の美術教育を盛り上げるため活動中。

芸術には情熱が必要だ。表現し、伝える、そのためにはかなりのパワーと熱量がないとやって行かれない。ある意味それは「先生」という職業にも通じる部分がある。生徒という人間に学びの場で対し、「育てる」点で情熱が必要だ。芸術への想いと生徒への想い。その二つが重なり合い強い想いを持って教壇に立つ。

……中平教諭はそんな「熱い」芸術教師だ。

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「今の世の中、なんでもすぐに“答え”を求める。“答え”に結びつけたがる。だけれど、答えはすぐには見つかるものじゃないし、ひとつじゃない。それぞれの答えはそれぞれ自分で見つけるものですよね。」「美術では答えはひとつじゃない。自分の答えを自分で見つける。だから今、美術教育が必要なんです。」

今の世の中、今の子供たち。その現実を見つめたときに「美術教育の育むもの」の必要性を感じた中平教諭は、千曲市の戸倉上山田中学校在職中に「学校を美術館にしよう」というアートプロジェクト、“とがぴアートプロジェクト”を立ち上げ、展開をはじめる。(詳細はこちらから。「とがびプロジェクトの意義と展開」ほか)

しかし、そんな中平教諭の発信はなかなか受けとめられない。まずは学校。「外に向かう」事に対してものすごい抵抗がある。それから周りの教諭たち。毎日の細かい仕事に追われる中「余計な手間」に関わってはいられない。地域の文化施設。美術館からの発信もなかなかない。

美術に関わるべきものが、発信していない。必要な場所に必要なものが届かない。そういう矛盾の中、中平教諭は警鐘を鳴らすことと発信とをやめなかった。
選挙前の各政党に、美術教育や文化に対する質問状を送った。(2党は返答が帰ってこなかったが)それを校内に掲示して自らも候補者としての主張をかかげて校内で「選挙」を行った。生徒たちからは圧倒的な支持を得た。

当時の千曲市の教育長もとがびのプロジェクトに理解を示してくれた。しかしその発信を受けとめはじめたのは、残念ながら県内からではなかった。県外の学校からの視察が来る。文科省からも視察が来た。講演の依頼もある。
そして何よりも、生徒たちの姿が物語る。

「相談室登校の生徒がいるんですが、この時間だけは教室に来るんですよ。」

さくらびのプロジェクトでの1人の生徒の姿。あるグループに入って毎時間一生懸命取り組んでいる。他の時間には教室に顔を出せないのに、その時間はグループの中心になって活動する。周りの生徒もその思いをちゃんと受けとめる。

「今、学校の先生や親たち(社会)が、車の運転にたとえるとハンドルを握るところからブレーキもアクセルもすべてやってしまう状態。生徒は手が出せない。“いい子”はそれであきらめてしまう。」「だけど、美術は自分の想いの中で“徹底的にやる”事が出来る。やりたいことを徹底的にやる、ということが学校教育の中で出来るのが、美術の時間だと思うのです。」

子供たちはもともと無鉄砲だ。小さい頃は遊びの中で、大きくなったらこういう表現活動を通して「無茶」や「めちゃくちゃ」をやる。その中で「自分はここまでできる」「これだったら大丈夫」という「基準」を見つけ出す。そうして自分探しをしながら大人になっていく。

「それが“自立”だと思うんですよね。徹底的にやることで自分勝手なところから自分を知って周りの中でともに生きる術を身につける。それをぼくは“卒業”って表現しているんです。」

今までのアートプロジェクトの中でいくつもあった「卒業」の場面。そういう場面を通して生徒たちは本当の意味で生きる力をつけていく。そして、それが本来の学校教育の中でつけるべき力。本来の学校教育がめざすべきものであるはずだ………。

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「え~、せんせい音楽の先生なのに、さんすう出来るんだ!」

中平教諭と話しながら、かつて私自身が小学校の音楽教諭をしていた頃、低学年の子供にそう言われて愕然としたことを想い出した。もう15年も前のことだ。「おんがく」や「ずこう」は「勉強」ではない、そういう意識がこんなに小さい子供の中にもあることがショックだった。

自分自身、音楽や美術で育てられた感覚が「教科学習」に役立ったことは数知れない。

現在は中学生の家庭教師をしているが5教科の指導で子供たちを見ていると、数学や理科の文章題が解けない子は文章が読めない、わからない。読解力の不足と共に、問題を読んで頭の中にイメージがわかないから図や表でその現象を表現できない。表現力の欠如が原因だ。細かいところに注意する「観察力」も影響する。

読解力を助けるイメージ力や表現力などは音楽や美術で育つ力だ。また、表現の対象をじっと見て分析することで育つ観察力も、あきらめないで問題にじっくり取り組む集中力も、音楽や美術の表現を完成させようとする中で得られる力だ。

合唱や合奏で音を合わせて曲を練り上げる。共同製作で大きな作品を創り上げる。人と「力を合わせる」事の心地よさを感じ、自分1人では出来ないことも出来る可能性を感じる。そこで育つのは社会で生きていくために大切な「コミュニケーション力」。「創作」の課程や「表現の工夫」のなかで、人と関わり、自分にない価値観とぶつかり、それを取り込んだり折り合ったりしながら生まれてくる力だ。ひとり机に向かって黙々とやる「勉強」の中からは決して育たない。

逆に、音楽や美術をやっていく上で、国語や社会・英語、時に理科や数学の力が必要になることもある。教科を越えて「知識」というものは絡んでくる。このすべてをバランス良く獲得しようというのが「ゆとり教育」で詠われた「総合学習」の狙いだ。

けれど、点数ではかる「学力」重視の傾向がこの狙いを妨げた。いろいろな力は長い期間をかけて積み上げる中でつく力であり、最終的にはそれが学力に限らず「生きるために考える力」に結びついていく。けれど結果がすぐには出ないため、結果を急ぐ点数重視の社会は「ゆとりはダメだ」という世論を早くから展開し、それが総合学習の本来あるべき姿をどんどんゆがめていってしまった。

それでは、テストの点を重視したら学力はつくのか。

教えている中学生たちは一様に答案の点数の部分を折り返して隠す。点数を隠しても×のある答案は丸見えなのに。生徒には「点数」しか見えていない。50点なら50点。自分の力は「50点」。

まったくわからなくて出来ない問題が50点分の×なのか、それとも勘違いやちょっとしたミスでの×なのか。それを見ようともしない。そこで「どうして自分が50点?」と「考える」こともない。「悔しい」という気持ちさえもわいてこない。「なぜ、どうしてこの答えがこうなるのか」それを理解しただけで、子供たちはものすごく嬉しそうに微笑むのに。

音楽や美術で「出来る」「自分で満足する」までくり返し練習し、訓練し、その中で感じる出来ないときの悔しさや出来たときの感動も、「テスト」では関係ない。そうして子供たちは「点数基準」の判定になれ、自分の中に自分で基準を持てず、目標も持てず、◯か×かの2者択一の判断基準の中で良いか悪いかで生きていくしかない。

テストが出来る子は、頭がいい子。点が取れなかったらダメな子。

だけど、この先生きていくときに、◯か×かだけじゃない選択肢は山ほどある。50点の子が50点の生き方しかできないわけじゃない。100点の子よりも輝いて生きている人はいっぱいいる。

「生きる力」の評価基準は「子供たちの姿」だ。わかったときの笑顔、成し遂げたときの輝いた顔、その表情。生きるために本当に必要な力は「テストの点」では決してはかれない。

中平教諭の鳴らす警鐘は、これを如実に伝えている。子供たちの表情を見取って評価しながら、社会の一員として、この世に生きる者として、立って歩いていくために必要なものをちゃんと見きわめて与えていかなければ………と。

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「あのですね、今の世の中ちょっとリッチな気分になりたいですよね。だから、教室中をお金でいっぱいにするんですよ。」自らのデザインしたお金を誇らしげにかかげる大日向リーダー。男の子の5人組のチームは、机に向かってひたすらにお札のデザインをしていた。

壁一面・バスタブいっぱいのお札を作って、来た人に「リッチな気持ち」になってもらいたい。自分たちの夢のほかに「来てもらうお客さん」への想いが重なっている。教室いっぱいのお札を作るには、一体何枚製作するのだろう。ちょっと考えると途方もない。けれど生徒たちには迷いがない。真剣なその姿は、声をかけるのさえもとまどうほどだ。

不思議な世界を作りだそう……という目的の隣の男子4人チームは教室中にトンネルを造ろうと話し合う。話し合いの声に耳をかたむけてみる。

「不思議とかえ~っとかいう感じを出すには、ただトンネルあるだけじゃなくて“中をのぞく”事が出来たらいいね。」「そう、好奇心。何かあるんじゃないかなって感じ。」「どうせだったら理科室ぜ~んぶおおっちゃおうか。」「それは時間かかるねぇ、前日の準備大変だから、前日お泊まり会やるかぁ。」「合宿、合宿!」

話が弾む4人の男子と支援する信大教育学部美術科の二人の学生。学祭のノリだ。

さらに話は続く。「じゃぁ、トンネルの高さはどうしよう?」「そうだなぁ、しゃがむと腰が痛くなる人もいるから2メートル?」「いやぁ、教室だと192センチが限界だよなぁ。」

ああ、ここでも。自分たちの製作をお祭りのノリで楽しみながら、見てくれる人に思いやりを持ってトンネルの高さを考える心が育っている。自分たちだけが楽しめばいいのではない、だけど自分たちもちゃんと楽しんでいる。

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「美術の時間って、自分のやりたいことが出来る時間だから好きだった。」「作ることって楽しいし、考えることがいっぱいある。その中で人とのコミュニケーション力も育ってくる。」

この日の授業終了後、トンネルチームを支援している二人に話を聞いていたら、別のチームを支援している3人がそこに加わってきた。この5人は、信州大学教育学部の美術科の学生。善光寺門前の古い蔵を利用してギャラリーやワークショップを自主的に主催しているMINIKURAERT(ミニクラート) のメンバーだ。

「教育実習で中学生が、美術の時間をすごく嫌がる姿がショックだった。」「きっと、誉められたことないんだろうね。上手い下手、とか点数で評価されるのに慣れちゃってほんとの楽しさ感じる機会がなかったんだろうなぁ。」

自分たちは図工や美術の楽しさを知って、美術教師の資格をとる課程にいる。自分たちの生きる軸だった美術が学校の教育から消えてしまったら悲しいという。

彼らは中平教諭の持っている危機感に呼応するように今回協力者としてここに参加している。こういう世代が後に続き、次に繋ぐ活動をしている。こんな風にたくさんの協力者と、今年もさくらびアートプロジェクトは進行していく。

10月に向かって各自の夢が進行していくその中で、中平教諭の想いや生徒たちがどうなっていくのか、それはまだわからない。10月の発表を迎えたあとで、みんなの中にどんな想いが育ち、なにが生まれるのか。その表情や成果の中に中平教諭の美術指導の成果と真価が見えてくるはずだ。

今年、その10月までもうちょっとこのプロジェクトを追いかけてみようと思う。

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ながのアートプロジェクトHP

(写真・文: 駒村みどり)

菅平の光を取り戻せ〜プリンスの挑戦<’10年8月掲載記事>

風に乗って何やら派手な音楽が聞こえてきた。その音はこちらに向かってどんどん近づいて来る。やがて1台の送迎バスの姿。バスからはただならぬ音量で音楽があふれ出している。かなり離れているのに低音が下腹に響く。
あ。これが噂の「爆音バス」か………。それは想像以上の衝撃だった。

「爆音バス」と名づけられたのは、ラガーマンたちをグランドに送迎するためのバス。運転するのは「菅平プリンスホテル」の2代目大久保寿幸さん。送迎の道すがら音楽を大音量でかけて「激励」しているのだ。彼が「すがだいらぷりんす」というTwitter名でつぶやくのは兄貴のような温かいまなざしで見つめる、菅平を訪れるスポーツマンたちへの励ましの言葉。

そんな彼が今挑戦していること。それはある意味、菅平のみでなく信州の……あるいは、社会全体への大きな一石となるのかもしれないと思う。

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「菅平の爆音バス、って名物になるといいね。そう思ってやっているけど、周りとの関係もあってこれ以上はあまり派手には出来ないかなぁ。」
「いやすでに充分に派手だと思う……昔から変わってないよね、そういうところ。」

大久保さんの言葉に反応したのは今野さん。お二人は子供のころからずっと菅平で育ち、この地を見て感じてきた。

大久保寿幸さんは、7月はじめ菅平高原で行われた「セガレとセガレのBBQ」~様々な職種の「セガレ(2代目、3代目の跡継ぎたち)」たちの集まり~に菅平の観光ホテルの2代目として参加、そこで菅平の「これから」について語ってくれた。

それをBBQの記事に記述したところ、1人の女性がTwitterで声をかけてくれた。

【anuka_angela】 おはようございます! 私も菅平を故郷とするセガールです。友人が頑張ってるのを見ると嬉しくなりますね!素敵な記事にして読ませてくださって、ありがとうございます。

それがanuka_angelaこと今野真由美さんだった。菅平で育った彼女は長野を離れて大学進学し、卒業後長野県に教師として戻ってくる。けれど、教職のいろいろで体調を崩し退職、再び地元を離れ大学院に学ぶ。その後、結婚して今は菅平を遠く離れた秋田県で子育てしながらも故郷の菅平を想っている。

【anuka_angela】来月帰省しますよ。では菅平プリンスホテルで(笑)
【suga59】スゲー!つながってる!! 神様がくれた出会いだわ(^_^) 

……というわけで、今野さんのお盆帰省に合わせて菅平での「初対面」と大久保さんとの「取材再会」が成立した。

「小学校の時の担任の先生はめちゃくちゃだったよね。伊代ちゃんが大好きで、教室で毎日でっかい音で伊代ちゃんかけてた。」
「そうそう、カセットテープ二つ入れられるラジカセ買ってきて、それでみんな毎日聞いてたよな。『二つも入るなんて、なんか今までよりいい音する感じ?先生スゲー』なんて言ってたっけな。」

……もしかして、爆音バスのルーツはここにあるのだろうか?

2人は、幼稚園から中学校までずっと同級生だった。菅平には小中単級の学校がひとつあるだけ。だから同じ学年だと9年間は必然的に「同級生」になるわけだ。

「小学校の時には、山に入って遭難しそうになったこともあったよな。」
「最後は川に沿ってくだって、やっと出てこられたときに『あー良かった』って……。」
「先生自体が道わからなくなってたんだよな、あれって。」
「わたしたちの今ってあの先生の影響大きいのかもね。」
「あの先生好きだったよ。めちゃくちゃやったけどしめるところはしめてたよな。」

授業時間に山を歩き回る生徒と先生、めちゃくちゃだけど人間味あふれる先生、そんな先生の元で小学生時代を過ごして彼らの“今”がある。

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彼らが生まれ育った菅平高原は大笹街道が通り、太平洋と日本海を結ぶ重要な交通の拠点でもあった。江戸時代に本格的に始まった農地の開拓のため各地から移住してきた人々によって今の菅平がある。

夏のラグビーのメッカ。そのはじまりは法政大学のラグビー部を昭和6年に誘致してからのこと。一方、ウインターシーズンはスキーのコース数36、80年を超えるという規模・歴史的には申し分のないスキー場だ。けれど、その「申し分のないスキー場」「夏のスポーツのメッカ」である菅平が抱える問題はとても大きい。

たとえば菅平まで30分というところに住んでいる私が「スキーに行く」とき菅平は視野には入らない。私の関東・関西のスキー仲間も同じ。彼らは「長野でスキー」といえば白馬・志賀高原・野沢温泉。それはなぜか。

かつて、菅平に隣接する須坂市の野球少年たちが菅平でスキー合宿をした時、私は請われて指導者として参加したことがある。

野球少年とはいえ、3~4年の子達はまだスキーが上手くないので初心者コースを利用するのだが、リフト1本分しかない短さなのであっという間に滑り降りてしまう。
あきてしまって別のコースに移動するとゲレンデの連絡がとても悪く、子供たちはスキーで「歩く」のが大変。ようやく別のコースに出たらそこもまた短くあっという間に終了。ちょっと滑れるようになった子供には物足りない。初心者には移動が辛い。

せっかくたくさんのコースを抱えているのに、なんでもっと連絡良くしないんだろう?志賀高原の方がもっと広範囲に拡がっているけれど、「全リフト制覇特典」のように楽しみがあるから移動が気にならないのに比べ、菅平の一体感のなさってなんだろう?

「これだけのスペースに6つもの会社が入っていて……みんなそれぞれバラバラなんだよな……。」……と大久保さん。

あの時「菅平っていいな」にならなかったその理由が、その大久保さんのひとことでやっとわかった。そしてそれは、スキーの話に限らない。夏のスポーツでも同じようなことが起きていた。

菅平の「グランドマップ」(写真はその一部分)。夏のシーズン、スポーツ観戦に訪れる人のためのものだけど、菅平の「観光地図」として使われることも多い。

この地図を見るとグランドには番号がふってあって、それぞれが「どの宿泊施設のものか」わかるようになっている。ほぼ真ん中に1のグランド、そのあと2は?3は?と番号で追っていこうとすると2は見つかるけど3はそばにない。1の周りに60台、70台の番号が並ぶ。色分けされているけれど、その意味もよくわからない。

「これね、番号は『グランドの出来た順番』になっているんですよ。」と大久保さん。

「おまけにこの地図、グランド持っている宿泊施設しか載ってない。そこに泊まる選手は宿泊施設がバスで送迎するから地図は要らない。これ使うのは試合を見に来る親御さんや外部の人達で、必ずしもここに載っている宿に泊まるわけじゃない。番号の不規則さ、目印のなさ。使う人にとってとても見にくいものになっているんです。」

確かにそうだ。私も菅平はよく通るので道は知っている方だけれど、この地図もらったときに目印を捜してしばらく考え込んだ。ましてやまったく土地勘のない人にはすごくわかりづらいものだ。

「この地図のこと、いつも言っているんだけどね。作っている人間は“自分たちはわかっているから大丈夫”と言ってこれがなかなか改善されなくて。」

……だけど、菅平って「開拓者」が入ってきて出来た土地ですよね?伝統とか歴史とかにはあまりこだわりがなさそうな気がするんだけど?

「元々あちこちからの開拓組が集まって出来た土地なんだけど、『自分たちが切り開いてきたんだ』という自負というか、誇りというか、そういうものすごく強いものがあるんです。バブル期にうまくいっていたので自分たちの親世代には特にそれが強い。菅平を離れるとそれがよく見えます。」と今野さん。

大久保さんや今野さんの視点は外から菅平を訪れる人達のもの。けれど、菅平で人を迎える立場の多くの人が「自分たちにはわかっているからいい」という視点であちこちを考えていたら……私のように30分という至近距離にいながら「スキーは菅平」にならないのだから、遠くからわざわざ訪れる人にとったらなおのことだろう。

そうでなくても、今、スキー産業は落ち込み続けている。かつてバブルの頃、都会からスキーに殺到してリフト待ちが1時間2時間だったあの時代はもう過去のこと。

「菅平は、まだ夏のスポーツがあるから落ち込みがひどくない。でも、今この時に何とかしなかったら……春や秋、そこも視野に入れた菅平を考えなかったら手遅れになる。」という大久保さんの懸念は強くなるばかりだ。

しかし……「かつての華やかな頃」を知る親世代と、「未来に危機感を持つ」子世代との意識の差は……簡単には埋められない。

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「日本に『国技』ってあるでしょ?あれと同じように菅平の学校には『校技』ってのがある。スキーがそれ。」と大久保さん。

子供のころから当然のようにスキー。選手も大勢輩出したろうし、今の菅平にいるスキーの指導員は地元の人間が大多数。

「だけど私はスキーは大嫌い。なんでこんなことしなくちゃいけないかってずっと思ってたし、すごくいやだった。」と今野さん。

スキーは中学の部活にも大きな影響を持っていた。ゲレンデに雪のないシーズンは男子はサッカー、女子はバスケ。シーズンになると全員が「スキー部員」になる。
本来、一般の中学生は部活を「選択」して入部する。スポーツが好きな子だけじゃない。音楽や美術をめざしたい子もいるだろう。今野さんのように「スキー嫌い」という子もいるだろう。しかし菅平の中学生はみんな一緒。「それが常識」だった。

さらに数年前のこと。部活を一年中「スキーに統一する」という通達が学校から家庭にあった。これに対して、PTAからはいろいろな声が上がった。大久保さんもOBとして、PTAとして、声を上げた。

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思い起こせば、自分が生徒だった頃は「何のために勉強をするのか?」「何のためにスキーをするのか?」を自間自答しながら、自分が生まれる以前から始まっていた校技スキーの意義・概念を理解できないまま、受け入れる事ができないままに、ただ何となく活動に取り組んでいたように思います。(中略)

今回の中学生夏部活の件において、子供たちを取り巻く状況を一変させてしまったスキー活動の運営方針については、校技スキーの行く末を憂慮せざるを得ません。このような現状が、校枝スキーを「負の連鎖」に導くのではないかと危惧してならないのです。

現在の子供たちに対する教育・指導の内容は、次の世代の未来を創り、さらに、この世代の子供たちが親になって、そのまた次の世代を育ててゆきます。「教育は国家百年の計」と言われる所以です。

今回の件で、勇気を持って主張した生徒の意見が却下され、「大人に何を言つても無駄」と言葉を飲み込んでいる子供達が多数存在しています。意志が尊重されず、校技スキー活動に疑間を感じながら取り組まざるを得ない現在の生徒達が、菅平・峰の原の親となった時に『負の連鎖』が具現化され、校技スキーは衰退の一途を辿るのではないでしょうか。      (大久保さんのPTA文集原稿「思うこと」より抜粋)

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結局、通年スキー部はなくなったが、今まで秋までやっていたサッカーとバスケは春の地区大会までになり、その後夏からスキーシーズンの間は全員スキー部に……という「改変」が実施された。

けれど……。子供たちの夢は、スキーだけで実現するものじゃない。たとえ1人でもボールが蹴りたい子がいたらサッカーの機会を与えたい。速い球を投げられる子がいたら、甲子園夢見るかもしれない………。

実際、当時の中学生にはものすごく速い球を投げる生徒がいたし、サッカーの上手な女の子もいた。本来だったら「やりたいこと」の機会を与えるのは学校。けれど、菅平の学校でそれはかなわない。大久保さんは「菅平の子供の未来」を考えてひとつの行動を起こした。

サッカー少女と野球少年。2人のために「大人」を集めて一緒にゲームをする環境を作った。「菅平野球軍」「フリースタイルフットボールおしゃれ組」……そして、それらのために補助金をとり、菅平高原を拠点にしたスポーツクラブ設立をめざした。

メンバー集めから難航。地元の協力はなかなか得られない。スキーを推進する人達からは歓迎されない。体育協会への報告書作成もお役所仕事に翻弄される。
が、「地元の子供たちのために」という思いに突き動かされて活動は3年目に入った。

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「菅平は、夏、スポーツの選手が集まってきている。けれど昔に比べてスポーツマンの質も変化していて。」

「夏の菅平」も今の菅平を支えているのは確かな事実だ。しかし、そこにもただ喜んでばかりいられない「現実」がある。
かつてのようにスポーツの技術と同時に先輩後輩の関係から人やものに対しての「精神性」を育成されたスポーツマンばかりではなくなった。菅平のメイン通りだけでなく、グランドや宿のそばの細い道までも拡がって歩く。近くの畑の農家の人々がトラクターで通りかかろうとお構いなしに。当然、メインストリートでも車は大渋滞。

「家の近くで夜遅くまで、大声で騒いでいる人も多いですよ。狭い道なのに、そして農家は朝早いから夜は早く休まなくちゃいけないのに、その騒ぎで寝られないこともあります。」「そういう人達がいるから子供のころは夕方になると道を歩くのがこわかった。」と、実家が農業を営む今野さん。

「そう、菅平を支えているのは観光だけじゃない。農家の人達だって大切な存在。だけど、夏の誘客を考えたときにスポーツマンが来てくれることも必要。観光と農業の関係性がとても難しい………。」大久保さんがそれに言葉を添える。

「菅平の農家は冬はゲレンデの食堂などで稼いでいるんだけど、スキーが落ち込んだら夏に頑張るしかない。夏、農業で稼げなかったら冬の食堂の設備投資のための借金返せないし………。」今野さんが語る菅平の農業の問題点は深刻だ。

菅平の抱えている課題は大きい。「冬」と「夏」のあり方、「農業」と「観光」のあり方、「親世代」と「子世代」の感覚の違い………。そしてさらに、それぞれの思惑や願いが渦巻く中、そのバランスを考えた上での「菅平」のこれから。

けれど、それらのひとつひとつを見ていくと、これは菅平だけの課題ではないように思える。たとえば、「町並みづくり」「学校教育」「地域おこし」そして「社会のあり方」……。今までの伝統と新しいものとのバランスや融合、様々な立場の人達がそれぞれに主張するものをどうまとめていくのか。

今の社会全体が抱えている、様々な問題の根っこにあるものが、この「菅平高原」のあり方に凝縮されているように思う。

この日。あっという間に時間はすぎ、それぞれの場所に戻ってお互いに尽きない想いをTwitterでつぶやき合った。
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【anuka_angela】駒村さん(@komacafe)と、旧友菅平プリンス(@suga59)と会った!すごいエネルギーをもらって帰ってきた。異業種間交流はすっごく楽しかった。
【anuka_angela】……で思ったのは、儲けることは決して悪いことではないんだが、もう個々の利潤だけ追求してても発展はないってこと。全体の発展を考えて初めて、個々が潤う時代だな。
【suga59】このような情報交換が菅平内で出来れば面白いんだけどね~
【komacafe】「全体最適」の考え方。社会全体で考えていくべき問題なんですよね。
【suga59】そう!ウチのホテルだけ生き残っても、他が淘汰されれば菅平の集客力が落ちるってことだし、そうなればリフト会社の経営がより厳しくなるし、リフトが動かなくなったら菅平は壊滅する
【komacafe】それをみんなで考えるようになるためにはどうしたらいいのかなぁ。
【suga59】うーん、今は、いろんな活動を通して活躍することでミンナに認めてもらって、賛同者を増やして…と考えています(´∀`)そのためには稼業を揺るぎないものにしなければいけませんね!
【komacafe】私はそういう人を見つけて繋げて、拡げるお手伝いを……それぞれが出来ることをするってことかな。
【suga59】いろいろ教えてください!!ミンナが笑えるように
【komacafe】合言葉は「ミンナの笑顔」。
【anuka_angela】「最大多数の最大幸福」、社会全体の課題だよね。良いモノやサービスを提供するのは大事なこと。例えばホテルが良くても、スキー場のサービスが悪ければお客様は来ない。夏も同じ。みんなで協力することが不可欠だよなー。

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この話には「結論」はないし、まだ先も見えない。けれどこれは菅平の中で、そしてもっと言うと社会全体至るところでこの先「尽きることなく」討論されていくべきなのだろうと思う。「今」から生まれる「明日」のために………。

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観光(かんこう)とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。語源は『易経』の、「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」との一節による。「tourism」の訳語として用いられるようになった。(ウィキペディアより)

「国の光を観る」ということは、「その国の王の立派な人徳と、その王による国民の教化の美しさをみる」(これが、観光の意味)ということであり、「用て王に賓たるに利し」とは、「それだけの知力を持った人物であればこそ、王の賓客として遇せられる臣となることができる」(これが、観光の目的)ということ。

つまりは、その地にある光を見、その地の人々の徳に触れ、それによってその人も学ぶ。土地ばかりでなくそこの人々もまた「光」であるべきで、訪れたものが「また来たい」と思うような経験をそこですること。それが本来の「観光」だ。

最初に登場した「爆音バス」は、大久保さんが放つ光のひとつ。

【suga59】バスでAKB流してたら、違うグランドに送ってしまい、選手達はそこから走って移動しました…。しかしラガーマンは「いいアップになりました!!」と言ってくれた

大久保さんのツイッターにはこんな風に爆音バスで送迎したラガーマンたちの姿が登場する。彼らにはきっと、違ったグランドから走って移動することさえもいい「思い出」となったに違いない。爆音バスを知る人に聞くと、大久保さんはバスの子達だけでなく、信号待ちの時にもバスのドアを開けて道ばたのスポーツマンたちにも声をかけ続けているという。

「AKBで爆音バス楽しかった\(^^)/帰りのテンションなら最高に楽しいですww」

これはそんなラガーマンのつぶやきのひとつ。彼にとっても大久保さんの「おもてなし」は心から嬉しく楽しい思い出のひとつに刻まれたのだろう。→ 爆音バスの様子(Youtube)*ボリュームにご注意

帰るとき、ホテル前のベンチに3人のラガーマンが座っていた。日に焼けてたくましい筋肉を持つその青年たちは、私たちが前を通るとさっと立って「こんにちは!」と笑顔で挨拶してくれた。

「この子たちは今年の優勝候補だよ、強いんだよほんとに。」

そういって3人を紹介する大久保さんは、自分のことのように嬉しそうだった。

夏の合宿、冬のスキー修学旅行……「すがだいらぷりんす」に出会った人達は、ここに菅平の「光」を見、そしていつかまたきっとこの地を訪れて大久保アニキと語り合いたい……と思うに違いない。

菅平に生まれ、菅平に育った「すがだいらぷりんす」の想いはこの地を訪れる人達に菅平の光を届けること。そのためにはまず自分が光となり、輝いてちゃんと人を照らせるようになること。その光を菅平のみんなと共有し、「みんなの笑顔」があふれる事。

まだまだ越えなければならない山はたくさんある。 “プリンスの挑戦”はまだまだこれからも続いていく。「できるひと」が「できること」を。みんなのために力出し合う菅平をめざしてその輪を少しずつ拡げながら。

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菅平プリンスホテル→HP

写真・文 駒村みどり

お菓子作りは世の中作り~「お菓子のサンタクロース」がめざす夢【’11年6月掲載記事】

「実は、先日浪速の少年院で講演を頼まれまして。少年院、それも浪速の少年院なのでものすごくドキドキして行ったんですよ……。」

『夢』というテーマで話をしていた時に、突然少年院の話が出てきて驚いた。少年院……おおよそ「お菓子屋さん」とはつながらない場所。話してくれているのは菓匠Shimizuのシェフパティシエ、清水慎一さん。

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清水慎一 

菓匠Shimizu専務取締役・シェフパティシエ
NPO法人Dream Cake Project理事長

「東京洋菓子倶楽部」( 東京・日本橋 ) で修行し渡仏。フランスで修行中にクープ・ドゥ・フランス大会入賞。
2005年、両親とともに「菓匠 Shimizu」新店舗をリニューアルオープン。
2006年より、子供たちの描いた夢の絵をケーキにしてプレゼントする「夢ケーキの日」を開始。 菓子業界のみならす各界から注目をあつめ、全国で技術講習や講演、世界的夢ケーキ普及のため小中高各学校で道徳やキャリア教育なども行っている。
夢は「お菓子を通して世界中を夢でいっぱいにすること」 愛称は「サンタクロース」。
(菓匠ShimizuHPより抜粋)

「夢ケーキ」で注目を浴びて、小学校や中学校からの講演の依頼が増えたという清水さんに舞い込んだ浪速少年院からの講演依頼。数多くの講演をこなしてきた清水さんはこの依頼に最初はとまどった。

少年犯罪を犯して収容されている少年たちに、自分の話が役に立つのだろうか?聞いてもらえないかもしれない……そんな思いを持って訪れた清水さんを迎えたのは、130人の院生たちのきらきらした眼と熱い拍手だった。

「正直な話、たぶんどこの小中学校よりも子ども達の姿勢はよく、背筋を伸ばして話にのめり込むように聞いてくれていました。涙を流さんばかりに感動した院生たちが、最後に全員で歌ってくれたのがゆずの『虹』でした。」

清水さんが少年院の先生たちと話をした中でわかったこと。それは罪を犯す少年たちは決して悪いことをしようとしているわけではなく、「居場所がない」ために居場所を求めて仲間たちに巻き込まれて、というパターンが多いこと……。

親から見放され、友人や社会から受け入れられずに「夢」をなくした少年たち。
その少年たちに「夢をあきらめないでかなえてきた」清水さんが語りかけたのだから、その瞳が輝くのもわかるような気がしました。

「子ども達には、ド真面目に、ド真剣に夢を語る大人が必要なんだと思います。」

この浪速少年院同様、いろいろな学校をまわってたくさんの生徒たちに出会い、先生たちに出会う。そこで清水さんが感じたことが、これでした。

子ども達は、夢の固まり。「運転手さんになりたい!」「野球選手になりたい!」「看護婦さんになりたい!」「世界一周したい!」……「○○したい!」「○○になりたい!」という思いはどんどんふくらんでいく。まだ世界を知らないし、自分に何ができるかわからないけど、だからこそその夢はあこがれを載せて無限に拡がっていく。

「なにそれ?無理だよ。」「そんな事できっこない。」「夢?ばっかじゃない?」

子ども達の「夢」に対して「世間を知った大人」がかける言葉の多くは、そこに「限界」を感じさせ、「制限」をつけます。無限に拡がる世界に大きな壁を作ってしまうのです。確かにそれは「現実」かもしれないけれど、それはあくまでもその大人にとっての「現実」にすぎないのです。

「ある中学で女の子が、ぼくの話を聞いたあとでこう言ったんですよ。『昔は、いっぱい夢を持っていたけれど中学になったら夢、って言葉をいわなくなった。でも、これからまたいっぱい夢を語りたい!』……ってね。たぶん、その子もまわりから夢なんて……って言われて夢なんかムリ……って思っちゃったんでしょうね。」

「できないって思ったら、絶対にできないし、あきらめたらそこでおしまい。だけど『絶対かなう』と思ったらそれはかなうんですよ。」

「夢は叶う!」……それを合言葉にして実際に夢ケーキのイベントを成功させてきた清水さんはそう子ども達に語りつづけているのです。

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「お菓子屋」である清水さんの想いが「社会」に向かうようになったのは、ある一つの事件がきっかけでした。

長野県のとある町。伊那近隣のいつもは静かなこの町で、突然起こった一つの悲劇。
……子が父に傷を負わせるという衝撃的な事件。

かつて、新聞では「人の死」の扱いがものすごく大きな記事になりました。それが今や自殺は日常茶飯事、肉親……本来は愛情で結ばれた関係である家族を傷つけたり殺害したりしても、「またか」と思ってしまう状況になっています。実際清水さんも、そういう事件を見てもどこかに「人ごと」という感じがあったそうです。

けれど、この時は違ったのです。自分の隣の町。もしかしたら……自分のお店に来たことがある人かもしれない。自分のケーキを、食べたことがある人かもしれない。

「もしも、事件の前日に、この家族が菓匠Shimizuのケーキを家族で一緒に食べていたら……もしかしたら、こんな事件が起こらなかったかもしれない。」

「人ごと」であり「自分には関わりのないこと」と思っていたこういう出来事が、悲劇が、一気に自分に降りかぶさってきたのを感じ、そして今まで「他人事」と無関心でいた自分へとその思いは向かったのです。

夢をなくした世の中。他人への関心が薄れた世の中。それは家族でさえも蝕んでいる。

自分も人の親であり、人の子であり、また、人を幸せな気持ちにするお菓子屋として、何ができるのだろう?夢を失った子ども達、夢のない社会……そのために何ができるのだろう?

そうして清水さんの中に生まれてきたのが「夢ケーキ」の構想だったのです。

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(写真は菓匠Shimizuの店内の展示。ケーキを受け取った人びとの笑顔がそこにある。)

「夢ケーキ」イベントは回を重ねるごとに応募が増え、中には毎回応募してくる家族もいて、いろいろな家族の笑顔がそこに生まれています。感想をもらっていると、その中で「家族の夢の進化」の有様が見えてくるそうです。

「このイベントに毎回応募してくださっているご家族があります。その「お父さんの夢」の欄を見ると、初めての時は「なし」と書かれていました。それが二回目の応募の時は「休みたい」でした。(中略)
その次の回には「休みの日に家族で出かけたい」と書かれていました。(中略)
その次の応募用紙にはついに、「息子の夢をかなえたい」と書かれていました。(略)ぼくは嬉しくて応募用紙を見ながらニヤニヤしてしまいました。」(著書:世界夢ケーキ宣言!より抜粋)

こうして「夢」をキーワードにしてきた清水さんは、だからこそ「夢」というテーマについてよく考えるのだそうです。「夢って何だろう?」と……。

それは、無理矢理持たされるものではありません。「夢なんかありません」という人も実際にたくさんいます。じゃぁ、そういう人はどうすればいいのでしょう?

「夢なんかなくてもいいんです。そういう人たちにぼくはいつもこう言っているんです。『夢なんかなくてもいい。だけど、もしもあなたのまわりに夢を持っている人がいたら、あなたはその人の夢を応援してあげて。』……と。」

オリンピック、ワールドカップ、コンクール。テレビや新聞の向こうの世界のことでも、日本の選手が活躍するのはとても嬉しい。世界一を目指し、その夢のために闘う人を一緒になって応援する。その人が栄冠を手に入れたら……自分も嬉しくなる。
それは、その人の『夢』が自分の『夢』と重なって、誰かの夢が自分の夢になる瞬間。

それも立派な夢の実現の一つの形なのです。夢ケーキもその一つ。夢ケーキに限らず菓匠Shimizuのケーキは、そういう思いで作っていくことを目指しているのです。ケーキ作りは『物作り』ではなく『こと作り』。このケーキが食べたい、ではなくこの人が作ったケーキなら食べたい、と言ってもらえるようなケーキ作りを目指す。

けれど、いくら夢を目指し、思いを持ってやっていても、受けとめられるばかりではありません。時にはクレームもあるけれど、それはまた「さらに大きな夢の実現へのヒント」と受けとめ、無理難題は「あなたはそれをどうしたい?」と、大切なひとのためにだったらどうするかを考えてすべてを感謝に変えてやって来ました。

そのために必要なのは情熱だけではありません。「確かな技術」も必要です。夢をかなえるためにお菓子作りの腕を磨くこと、自分を高めることも怠りません。

「本当のおいしさとは味覚ではなく、安心感」
「お客様の言葉を愛で受けとめ感謝で返す」

……そして生まれるのが菓匠Shimizuのケーキであり、清水さんの目指すケーキなのです。

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「夢のない大人が、子どもの夢を育てることなんかできません。大人が夢を語る世の中にならないと。」

……そう語る清水さん。だからこそ「夢ケーキ」で家族がみんなで一つの夢を語る時間を提供したい。そうして家族が夢を語り、夢見た世界をケーキの上で実現したい。それがまた清水さんや菓匠Shimizuのスタッフ全員の夢になるのです。

果てしなく広がる夢をあきらめなければ、どんな形でもそれはきっと実現する。短い期間で850台ものデコレーションケーキを仕上げるという技も、その思いの上にやり遂げた。その充実感が清水さんやスタッフを幸せにし、その夢がつまったケーキを受け取った家族も笑顔になり、そしてその笑顔を見てみんなが幸せになる。……そしてそれが、次の夢の実現へのエネルギーになっていく……。

「夢を信じてかなえること」は、決して楽なことではありません。夢は、簡単に手に入ったら夢ではないのです。だからこそそれに向かって人は必死で努力するのです。

挫折も失敗もそこにはあるけれど、あきらめずに突き進めば絶対にかなう。そうして夢は果てしなく広がり、その連鎖でみんなが幸せになる。
そういう人びとで積み上げられた社会は……これは、本当に幸せな社会になる、心のある温かい社会になる。

実はそれが、「お菓子のサンタクロース」清水さんがめざす一番の「夢」なのです。

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「菓子屋が変われば、世の中は変わる」<菓匠Shimizuのこころみから>

8月8日世界夢ケーキの日 東日本復興チャリティー講演会 8月8日伊那市生涯学習センター6F 無料(義援金募金形式)300名
NPO法人「Dream Cake Project」
*今年度の夢ケーキ企画 期間8月5日~7日 (申込みは7月1日より)
東北大震災チャリティー夢ケーキ(2011年4月1日~2012月3月31日)

「夢塾」・お菓子作り教室……等イベント・企画多数。詳細、お問い合わせは菓匠Shimizu HP 

書籍「世界夢ケーキ宣言!幸せは家族だんらん」清水慎一著
清水さんの著書です。夢のこと、お店のことなどが綴られ、読んでいるうちにだんだん忘れていた「夢を追いかける気持ち」を思い出せる……そんな一冊です。