3月11日、東日本大震災が起きた。
あの日からちょうど半年すぎる9月11日をはさんで10日から12日まで、私は息子と娘と一緒に被災地の「今」を感じに車で走り回った。
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ずっと自分と、自分の子ども達の生活やこれからのことで手一杯なまま、何かしたいと思いつつも何もできないでいた。
いや。何もしなかったわけではなくN-geneの記事で支援活動をしている「笑顔プロジェクト」について取り上げたり、4月に引っ越したばかりの地で活動している支援グループがあると知ってそこに参加し、福島の子ども達を夏休みに呼んでくるプロジェクトも行った。そして、自分のFacebookページを使い、震災の情報を集めたり支援活動をしている人を応援したりもした。
そもそも、Facebookページ(笑顔をつなぐ~スマイルコーディネーター)を開設した理由が「災害支援のために情報を集めて必要なものが手に入れられるまとめを作ろう」と思ったのがはじまりだった。
だから、自分なりにできる事を一生懸命にやってきた。けれど……どうしても集められる情報には限りがある。新聞やニュースで報道されるものと、実際にTwitterやFacebookの投稿から感じるものとの大きなずれや違和感。報道やメディアは過剰報道や逆に必要なことを見せてくれないと想いながらも、実際を知らない自分は何もわからないままだ。
現地を知りたい……現地の「今」と「現実」を知りたい。
そう思っていたときに、娘が背中を押してくれた。
「おかあさん、学校が夏休みの間に、私も自分の目で見に行きたい。」
その言葉を息子に伝えると、息子も「ぼくももちろん!」と同意したところから、この計画はスタートした。
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期日は娘の大学の日程と息子の日程、そして私の日程を示し合わせて9月の10日から12日までの3日間にした。
そして目的地は……正直行って、見当つかなかった。
あまりに被災地の範囲が広すぎて、改めて「どこにいったら現実が見えるのか」がまったくわかっていない自分に気が付いた。
何気なく「東北」といいながら、福島の原発被害、宮城や岩手の津波被害、そういうものがどこにどう影響をもたらしたのか自体も、はっきりと知らなかった自分がいた。
そこで、本を探した。今回の震災の被害状況や影響を総括的にまとめている本がないか。
けれどなかなか見つからなかった。原発の脅威や影響について書いている本は世論の関心とも相まってけっこうたくさん本屋で見かけたが、震災の全貌をわかりやすく語っている本がなかなか見つからなかった。
やっと見つけたのがこの本だった。
手に入れて帰って一生懸命に読んだ。
この本の出版社は「河北新報社」という仙台に本社のある新聞社だった。
記者たちは、自分たちも実際にあちこちの取材の途中であの大地震や津波に巻き込まれている。中には九死に一生を得た人もいる。ものすごく迫力のある津波が迫る写真を撮った記者は「この写真は自分が津波を甘く見ていて逃げ遅れそうになった深い後悔の残る一枚だ」と記している。また、浸水した住宅の屋根に上って救助を求めて手を振る女性の写真を撮った記者は、「この女性を助けたいと想いながら、このヘリではそれが出来ないから」と心の中で謝り後ろ髪を引かれながら去った胸の痛みを書いている。「あの女性は、無事に救われたのだろうか?」と……。
被災者でありながら、しかし報道という責任を持った記者たちが書く文章には余計な飾りも誇大表現もないと思った。
そしてもう一冊、被災した子ども達80人の書いた作文を集めた文藝春秋社の「つなみ」という本。
小さな子どもから高校生くらいまでの子ども達の声が……中には自分の身内が失われた子もいる……この中にたくさんの「事実」を見せてくれた。(この本については一つ前の記事「今週末は、東北を感じてきます」で紹介していますのでそちらをご覧下さい)
この本を読み、いくつかの訪れたい場所が決まった。後は実際の時間と行動の可能性だけ。
それから訪れた場所の記録を、できるだけリアルタイムでFacebook上に流して行こうと思った。
「今」を感じて欲しかったから……。
カメラ、ビデオ、iPad、WiーFi。
しっかりとした記録のための準備を整えた。
これで「万全」のはずだった。
でも、やっぱり「頭で考えた事と実際」とはまったく違うことをあらゆる場面で感じさせられた。
「想定外」は必ずある。それは肝に銘じておくべきなのだと、出発してから実際の道程で感じた道中でもあったのだった……。
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続きは「被災地をめぐっての3日間~1茨城」へ。