今回の旅で9月11日、仙台……というのは一番最初に決まったことだ。
それと娘のひと言がなかったら、東北巡りはまだ実現していなかったかもしれない。
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「東北の実態」を見ようと思っても、東北は広い。
出発の日が近づくのに、どこをどう見ようかまだ決まっていなかったときに、仙台に住んでいてそこで様々な支援活動をしているFB友だちに案内をお願いできることになりました。
11日は仙台に宿をとることを決めて、南三陸や女川に行かれたら………と思っていたけれど、どうやら高速を走るようにはいかれないということらしく、時間的距離的なことを考えて「石巻」を見ようということになりました。
そこで郡山をでて東北道に乗って、そのままダイレクトに石巻港インターを目指して走りました。
(青いラインが走行した道、赤く塗ってある部分は津波被害のあった箇所)
仙台に入り、仙台南部道路を海に向かって走るとやはりブルーシートで屋根を補修してある家が目立っています。それが、海に近づくほどに次第に光景がかわりはじめました。本来だったら実りの秋、黄金に色づいているはずの田んぼには雑草が生えていて、まるで区画整理の工事の最中のような場所。時々目に入るゴミが積み上がった場所。
仙台の郊外を抜けて石巻に向かう三陸自動車道に入ると、まわりが山に囲まれた場所が多いから再び静かな山あいの道に戻りました。そして30分ほど走って石巻港のインターをおり、そこで案内をお願いした眞壁さんと落ち合いました。
合流したあとは、眞壁さんの車について走ったのですが、そこから先、車の両側に広がる光景は……どう表現したらいいのでしょう?想像していたとはいえ、それも津波被害から半年の年月がたっているとはいえ……地震と津波に襲われた、そう、まさに「襲われた」町の様子は言葉を発することもできない有様でした……。
ここから先は、たぶん言葉で表現するよりも実際の映像を見てもらった方がいいのでしょう。
ビデオで走った場所の様子をとってあるので、走った区間の地図と一緒にごらんください。
写真はこちらです。→郡山~石巻と石巻の町1
石巻の町〜1(ビデオ)
ビデオ1で走った区間。薄く水色で塗ってある部分が津波で浸水したところです。赤いルートを走りました。
ビデオの中に、水たまり……と言うよりも池がたくさん写っています。これはすべてあの3月の津波の遺物だそうです。そしてその「池」は今まで閑静な住宅街だった場所のあちこちに点在し、波と共に運ばれてきた魚が今でもそこで元気に……泳いでいるのです。魚のたてる水音と、カラスの鳴き声ばかりが響く静かな空間。
3月11日の津波までは、ここでたくさんの人たちが生活していた……きっとにぎやかな生活音にあふれた場所だったのでしょう。道路の太さ、家の残骸の様子。それらはにぎやかだった町の気配を
残しているばかりです。
降りたって、しばらくあたりを見ていましたが、その時にサイレンが鳴りました。
14時46分。ちょうど6ヶ月前に、地震が起こった時間です。その場で子ども達と共に、黙祷を捧げました。
「お母さん……あまり写真やビデオ、撮るのやめたら?」
娘にそう言われました。実は私も悩んでいました。この場を確かめ、そして今の様子を伝えるために来ました。記録として必要を感じて撮ってはいたものの、この光景をおさめるにはあまりに悲惨で……娘がそう声をかける気持ちもわかりました。けれどテレビや新聞でもうあまり扱われなくなってかなりもとどおりになっているだろうという感覚があった自分が打ちのめされたこの事実をやっぱり伝えた方がいいのではないか、と思って娘にもそう話し、胸の痛みを感じながら写真とビデオを撮りました。
この石巻地区の地図でちょうど浸水地区からすぽっと抜けている箇所があります。これが日和山公園の一帯の高台です。この麓にある門脇小学校は真っ黒に焼け焦げています。津波で流された車が突っ込んで、火災が起きたせいだそうです……。
この高台にある日和山公園に逃げた人たちは、周り中を水に囲まれて波にのまれた町をずっと見ていたのでしょうか……その日和山公園にのぼって町を見ました。
公園ですごくホッとしたのは、高台で木に囲まれているせいか、ここまでは下で感じた「臭い」がたちこめていなかったことです。被害にあった人たちが一様に言っていた「ヘドロの臭いのきつさ」は、6ヶ月たったあともまだ残っていました。この日は天気が悪く、曇りでやや肌寒い感じの日で気温が低かったからまだましだったろうと思います。きっと、夏のさなかには……このあたりにかなりの悪臭が漂っていたのだろうことは予想されました。
公園で案内の眞壁さんといったんお別れして私たちは市民病院に行ってみました。公園以降、ビデオその2で写っているのはこのルートです。
公園からも見える北上川の海沿いのルートにかかる橋が日和大橋。
石巻の津波は、この橋よりも高く盛り上がって町に襲いかかったそうです。橋を車で走っているとかなりの高さですが、これよりも高い波……想像できませんでした。
石巻の町その2(ビデオ)
「まるで戦争が終わったあとのよう」と表現する子。「テレビや映画を観ているような感じ」だった子ども。
この東北に来る前に読んだ文藝春秋社の「つなみ」という被災地の子ども達80人の作文を集めた本には、石巻の子ども達のこんな言葉が載っています。
人は、あまりにショックなことが起こると、その事に対して記憶を閉ざしたり、現実ではないと思おうとして心を守ろうとするといいますが、被災から6ヶ月たった石巻を歩いている私もたぶん、そういう状況にあったのではないかと思います。現実味がないのです。もちろん、もとあった町並みを知らないからなおのことかもしれませんが、まるで目の前の光景は映画のロケのために作られた光景なのではないか、こんなことありえるはずがないのだから………と、たぶんずっと心の中で否定していたのではないのかと思います。
同じ事を娘もずっと口にしていました。「全然現実感がない…」と。
あまりに自分のイメージできるものとかけ離れている状況を見て、言葉を失い、今立っているその場所でさえも作られた空間であるような気になっていたのです。そしてこれが「半年後」なのです……この「現実」をあの3月に突然押しつけられ、そして今もなおその「現実」のなかに生きているた人たちは、特に子ども達は……いったい今、どんな想いでいるのでしょう。ここを乗り越えるために、かなり心にストレスがかかっているのではないのだろうか??
それが何よりも心配になりました。
石巻地区の海沿いを走り、ぐるっと内陸に入って道を走ると、浸水した地区でありながら郊外の大型店舗はそのまま建っていて営業しています。その有様がなおのこと、さっきまで見た光景のありえなさを強調していて、「なんだか複雑だ……」と娘が町並みを見ながらつぶやいていました。
この地区の写真についてはこちらにまとめてあります。→石巻の町2
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被災地をめぐっての3日間~4仙台 に続く