2011年 9月 24日

9月11日。この日は、東日本大震災からちょうど半年後の日。
この日の各新聞の朝刊の見出し……一面のtop記事のタイトル。

鉢呂経産相が辞任 不適切発言などで引責(朝日新聞)
成長導く復興めざせ 東日本大震災から半年(日経新聞)
就任9日、鉢呂経産相辞任…官房長官が臨時代理(読売新聞)
震災で見えた国防の穴 (産経新聞)
鉢呂経産相が辞任/被災地 遠い復興 (毎日新聞)
鉢呂経産省が辞任/希望の光 迷い 守る~大震災きょう半年 (中日新聞)

震災半年 死者1万5781人、不明4086人 避難・原発 見えぬ収束 (河北新報・仙台の新聞社)
Six months on, few signs of recovery (The Japan times)

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私が調べた新聞8紙のうち、鉢呂氏の辞任がTOPだったものが4紙。震災の復興やその後についてを書いた記事が3紙。そして、震災関連かと思いきやそれをきっかけにして「国防の甘さ」についてを書いているのは産経新聞。なぜこの日に「国防」なのか……首をひねった。

震災復興についてを記述した3紙のうち、1紙はジャパンタイムズ、もう一紙は仙台の新聞社「河北新報」の新聞。全国紙で一面に扱ったのは日経新聞ただひとつだった。

TOP記事ではないにしろ、中日新聞は一面のど真ん中に赤子を抱く母の姿。放射能の不安に我が子の未来を迷う母の記事。毎日新聞は扱い的にTOPと同等の印象なので見出しに両方併記した。

この報道を見て、何を想うのかは個人個人の想いもあるだろうけれど、私は正直国内の扱いに対してはこれでいいのか?という想いを持った。鉢呂氏の辞任は、いったい国民のどれだけに影響のあることだろう?東日本大震災の被災状況を半年という区切りでしっかり考察することが、日本の社会のこれからにとってたった八日間の在籍の大臣が辞めることよりもずっと重要なことなのではないか?

対するジャパンタイムズの一面では津波・地震・そして原発という3つの「災害」からの検証と原発にからんでの食糧問題、そして遅々として進まない復興についてをかなりの紙面と図を使用して記述してある。

……このメディアの報道の偏り。そして、震災関連の情報の扱い。
日本がこれから、再建の道を歩んでいくときにこのあり方を見直すべきではないかとそう思う。

3月11日の大震災。
その大きな被害と派生する2次、3次、4次災害……今もなお不明者が数多く残り、遺体安置所が現地にはまだ存在し、職を得られぬもの、避難所生活のもの、その精神や身体の不安は消えてはいない。膨大な量のゴミ、つぶれた車。何より先の見えない、これからさらにその影響が心配される原発の問題。さらにそこから派生した風評被害。経済に及ぼす大きな影響。

半年たった9月11日にがれきの山に囲まれた石巻の地で、14:46に鳴り響くサイレンと共に黙祷を捧げたときに感じた「震災は終わっていない。まだこれからなんだ。」というあの想い。

いまだ先が見えない問題が山積みの今の状況で、私たちはそこから何を感じ、何を学び、そして未来にそれをどうつなげていったらいいのだろうか?

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私たちの「明日」のためにできる事は何か

その団体や、その人間でなくては出来ない事があります。逆に、どんなに頑張っても出来ない事もあります。
それを見極めてできる事を出来る人が、できる範囲でやること。無理をしないこと。大切なのは「頑張ってたくさんやること」ではなく、「想いを長続きさせていくこと」。

では。具体的にはどういうことなのでしょうか。

1、被災地のするべき事

「被害から半年」という区切りの中で見てきたときに、復興の仕方には大きな差が出ていました。
それはなぜか……という疑問の中に、地元の人のこんな声を聞きました。

「場所によって復興に差が出たのは、国やいろいろなところから支援を待って動かなかったところと、自分たちでやらねば、とどんどん動き始めたところの差。」

被害の形はみんな違います。地震の被害。津波の被害。原発の被害。それから風評の被害。
そしてそこから派生する産業や経済の停滞・沈降の有様。人の流れの変化。

だから、一概に「半年」という区切りで比較することは出来ません。けれど、福島での「移動保育プロジェクト」の上國料さんの言葉にもあるように「やってみなくちゃわからない」し、「必要なのは、今」なのです。「自分たちのことは自分で」……慰霊碑を建て、植樹をし、新たな取り組みに向けてどんどん動いていた閖上地区。風評には負けられないとキャラバン隊を組んで全国を回り歩き始めた会津。町が壊滅して、警察が機能しないからと不審車や侵入者、盗難から自警団を作って地域を守ったという石巻。被災地に根ざした地域の新聞社だから、と「伝えること」を第一に地域の情報や現状を訴えている仙台の河北新報。地域の情報を集めてコーナーを組んでいた茨城の書店。「お上からの支援」を待ってはいられない。だから自分たちでどんどん動く。共通していたその姿勢が、明らかにその土地の空気から前向きさと、新しい流れを感じとらせてくれました。

 その土地に住み、その土地を知り、その土地に生きた人たちだからこそ、「どう立て直したらいいのか」が誰よりもわかるはずなのです。だから「自分たちで取り戻そう」とどんどん動くこと。これがまず、とても必要なことだと思います。そうして前に向かって進もうと動くことは、失ったものを思って動けないでいるよりもずっと早くに活気ある心を取り戻すためにも役に立つはずです。

そうして被災地の人たちが自らで動くことによって、「必要な支援のあり方」が見えてきます。「自分たちでやる」事が必要だからと言って、復興を被災地の人たちに任せっぱなしは当然無理に決まっています。心も体も傷ついた人たちの力が「復興」に向かえるように、まわりはそのための環境を整えて力を添えることが大切になってきます。

2、行政のすること……特に「国」
 
この国は、首都東京を中心に動く中央集権国家です。東京から発信されたことが地方に届いて物事が動きます。それがもたらす長所と短所を理解して、やるべき事をしっかり見極めていくことが大切です。

 当然国の中央に「実際に支援活動に動く」事を望むことは無理です。国という大きな組織を動かすには膨大なエネルギーと時間がかかります。だから中央はそれをすべきではありません。国がそれをやると、手続きに時間がかかり、組織を作り実際に動き始めるまでにはかなり手間も金もかかってしまってもろもろが後手に回り手遅れになります。

「中央に物事が集まる」ことと、それを「発信する機能」を長所としてまず活用するべきです。つまり、現地の情報収拾と正しい情報の発信です。避難所の情報を個人や私的グループが集めるにはものすごく困難を要します。しかし、国はそれを容易くできるはずなのです。

 避難所情報を集める。原発の情報や今後の予想も含めてデータを収集する。そのために必要な専門家を集めて分析し、実用化されたデータを流す。どこの避難所にどんな物資が言って何が足りなくて、という「情報」のみを集めて流す。どこのボランティアグループがどんな活動や支援ができるから、どこの避難所や被災地にそれが必要かを見極めて情報を提供する。……そういうことをネットワークを組んでひとまとめでできるのは、国という公的機関だけなのです。

 それから、被災地支援に必要な専門家をその地に派遣する。放射能関連の具体案を提供できる人材をセレクトして福島に送り出す。壊れた町を新しく作りあげるためには、今回の被災の形を考慮して、そういう分析をしつつ町づくりの専門家を派遣する。支援物資の必要なものをとりまとめて企業などに協力を依頼する。動けそうな被災地の会社があれば、そういうところにも依頼をどんどんかけて仕事を与える。

 そして、そのために必要な各地区の役場の人材が、今回の被災で失われたのだったら、各地の役所から人材をセレクトして派遣する。

 情報や人材のとりまとめ。そしてそれを発信や派遣すること。全体を把握して的確にそれができるのは国だけです。それからもう一つ。必要だったら法律を変える。今回の非常時にも、法律にしばられて出来ない事や動けないことがたくさんありました。緊急事態に適応できる法律がない限りは、臨機応変に改訂していかなくてはなりません。法律は守るため(囚われるため)にあるのではなく、社会を動かし、人を守るためにあるのですから。

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「公的機関のやってくれるのを待っていたら、いつになっても始まらない。」……それが、被災地のあちこちからの生の声でした。そしてそれは今回の震災のことに限ったことではありません。今までの社会の歪みを生み出してきたその多くの原因は、公的な機関が臨機応変に動けなくなっていることから起きていることも多かったのです……。

今回の被災地対応でも、国会は非常時緊急で法律を変え、人事を考え、支援金の分配はその地方を知っている人間とその支援に派遣した人間に任せ、必要な情報を集め、それをとりまとめてどんどん発信することができたらこんな風に地域差や風評被害や……隠蔽工作や情報操作などはなくなったはずなのです。

首相や内閣の人事等に無駄な時間を割くような「ヒマ」は、被災地にもこの国全体にも、全くなかったと私は思う。(はっきりいうと、今の日本の政治の状況では誰がTOPでも誰が大臣でもまったく変わらない。ここに書いたことが出来る人をぱっと大臣や要職に起用できるほどの采配も配慮も出来る人がいないのですから。)

そんな状態の国に、何かを期待することや何かをしてもらうことを待つことは無駄だということ、それを私たちは頭に置き、国は国のできる事……机上(情報)の整理と分析と発信に集中してもらい、やることは国民である私たちがどんどん動いていくこと。それが今、必要なことなのだと思います。

そうして、実際にそう動いている人(企業やグループ、著名人を含め)たちが今の復興を支えているのが現実です。本来のリーダーは、こういう中から生まれてくるべきなのです、そして今の時代に、そういう各地の現状をしっかりと掴んだリーダーが、地方を作りあげていくことは十分可能だと思います。

江戸時代に飢饉や災害から民衆を救ったリーダーは、幕府や朝廷ではなく、その土地の豪農や豪商であったという「旦那文化」を持っていた日本ですから。それはきっと出来るはずなのです。

3、メディアのするべき事

 まずは奇をてらった報道や衝撃性のみを追いかけ、視聴率、購読数重視の報道をやめること。そして、情報操作が明らかにあることも今回のもろもろのことからこれだけ露見しているのだから、メディアは自らの報道姿勢をしっかり見直して、本来のメディアのすべきことを再確認することだと思います。

まずは、「正しい情報」を「正しく発信」するだけではなく、「活用できる情報」をしてより多くの人が動けるように、復興へのイメージを持てるように、メディアの持つ伝達力を最大限に活用することだと思うのです。

そのためにはまず、2,で書いたように国が正しい情報を集めてしっかり分析し、使える情報として流すことで、それをメディアが正しく伝えることと同時に、国がもし、中途半端で使えない情報を出したらメディアがそれを「ダメ出し」するくらいの気概を持つべきだと思うのです。それが出来るのはメディアだけだから。

本来は、メディアでも提出された資料を分析し、正しく判断・検証する人間がいるべきだけれども、それがかなわないとなったら、必要な人災に取材をしたり依頼をしたりしてそういう機能を果たすべきなのだと思うのです。「今、国全体が本当に必要な情報とは何か」と考えてそれを伝える。それが出来るメディアだったら、9月11日のトップ記事は震災半年の遅々とした復興状況や先の見えない原発の恐怖に苦しむ人たち、海外からの非難の声……そういうものを伝えるはずだと私は思ったのです。

国が正しく進むために「三権分立」という形が考えられました。(今は正直言うとちゃんと機能していないと思いますが)国が正しい情報を把握し、それをきちんと考えて発信しているかという「情報の見張り番」がメディアのあるべき姿だと思うのです。そうしてきちんと必要な情報を要求し、正しい分析とそれに基づく具体的な復興案を要求し、それを拡げて伝えていく……メディアのできるとても大きな役割だと、私は思います。

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では………

4、私たち一般の人間がすること。

は、なんでしょう。「自分には力がなくて何もできない」と縮こまっている人、恐縮している人もいます。
でも、それは違います。ちゃんとみんなにできる事があるんです。

それを、この次の記事に書こうと思います。

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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(2)  に続く

目次

記事

PROFILE

駒村みどり
【すまいるコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

信州あそびの学園 代表

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
  信州あそびの学園

facebook:Midori Komamura
     信州あそびの学園
笑顔をつなぐスマイルコーディネーター

アメブロ:【うつのくれた贈り物】


WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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