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♪パパッパ、パ、パ、パ………(ジャマジャマ)
 パパッパ、パ、ジャ、マ………(ジャマジャマジャマジャ)

会場が暗くなったとたんに始まったのは、「お母さんと一緒」でおなじみの「パジャマでおじゃま」のテーマソング。

その音に合わせてステージにでてきたなかがわよしの氏が、突然服を脱ぎ始めた。

………え???
なんだ、なんだ?

シャッターを切る手を思わず止めて、その先何が起こるのかとなかがわ氏の裸体……(結構筋肉質なんですね、写真とっておけば良かったと後悔。)に見入ってしまった。

上着を脱ぎ、おもむろにズボンも脱ぎ始め、ついにパンツだけになったなかがわ氏は、今度は逆に作業着らしき服を着こみ始めた。

そうして、「パ、ジャまたね♪」の音楽の終わりに合わせて(ちょっと間に合わなかったけど)ステージ衣装(?)に着替え終わった。

と、その瞬間に、なかがわ氏の声が静寂を突き破る。

「はだかのぼくを、見て欲しいと思ったから
 すべてを脱いで、はだかになりました!」

それは、小さな爆発のように。吹き飛んだ言葉の破片が、体に突き刺さる。
痛い。
だけどそれは、苦痛の痛みではない。
心の奥に縮こまっているかくれんぼしている「自分」の手を引っ張られている痛み。
決して、不快な痛みではない。

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このN-geneで「なかがわよしのの400字」の連載を続けているなかがわよしの氏が主催する、「傘に、ラ」のレポート第2弾です。

第1弾の記事にも書きましたが、「今」という言葉をテーマにして、月に1~2回企画されるイベントです。

前回のレポートでは、この「傘に、ラ」のゲストとして共に「今」を語る企画に参加させていただいたのですが、今回は完全にイベントを観客の1人として受け止める立場で参戦しました。

第2弾で取材したのは、
2010年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」

ゲストにお二人の「詩の朗読パフォーマンス」をされている、GOKU氏、猫道氏を迎えて3人による「詩の朗読会」でした。

なかがわ氏と、GOKU氏、猫道氏とのそれぞれの出会いのきっかけになったのが「詩のボクシング」。

詩のボクシング(しのボクシング)は、ボクシングのリングに見立てた舞台の上で二人の朗読者が自作の詩などを朗読し、どちらの表現がより観客の心に届いたか、その表現力を競うイベント。キャッチコピーは「声と言葉のスポーツ」、「声と言葉の格闘技」。一般参加の大会は、これまでに35都道府県で開催されている。全国大会も年に1度開催される。(wikipediaより)

言葉や声を、生きた力を持つものとし、それを各人の表現によって人に伝える力を競うもの。

最初、これを聞いたときに、「ボクシング」と言うイメージと「詩」というイメージがなかなか結びつきませんでした。

私のイメージで行くと「詩」というのは「詩作にふける文学少女」が秋のセンチメンタルな枯れ葉舞う風景の中で静かに穏やかに読むもの………だったからです。

ところが。

そんなイメージでいたわたしは、のっけからカウンターパンチをくらってしまったわけです。

言葉が、こんな「力」を持って迫ってくるなんて、思いもしていなかったんです。
詩が、こんなに熱いものだなんて、イメージしたこともなかったんです。

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突然、ステージのなかがわ氏は脇に去ったかと思うと「卓上ガスコンロ」を手に再登場。

そして、おもむろに着火……が、なぜか火がつかない。

「着かない!!」
「こんな時に限って、着かない!!」

そういうアクシデントもまた、なかがわ氏の即興詩に読み込まれる題材になる。

「過去」は要らない。時と共に過ぎ去ってしまう「過去」は要らない。
そんなものは、燃やしてしまえ。
(そのためのガスコンロだったけど……火が着かなかった。)

「未来」を見るのは遠すぎる。
だから。だから、「今」なんだ。

彼の中に、脈々と流れ続けるテーマが強烈にうたいあげられる。
「今」という言葉が、彼の中で熟成されて、そうして熱い熱を帯びながら会場に放たれる。

やがて、そのなかがわ氏から発せられた「熱」は、さらに溶岩の固まりとなって次のGOKU氏に受け継がれた。

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GOKU氏。

東信在住の自作詩の詩人。
彼となかがわ氏の出会いは、「オープンマイク」というイベントによるものでした。

OPEN MIC(オープンマイク)と はアメリカやイギリスで一般的な、当日飛び入り参加形式の自由なパフォーマンスステージです。その名の通り、誰にでもオープンなマイクということで、参加自由のイベントです。弾き語り、バンド、詩、マジック、ラップ、コント、ただマイクの前でしゃべるだけ、などどんなパフォーマンスでもOKというものです。

東京などでは結構行われている「オープンマイク」。その長野版を自主的に行っているのがGOKU氏です。(いずれ、このN-gene記事としても取り扱いたいと思っています。)その、彼の主催するオープンマイクに、なかがわ氏が参加したことで二人のつながりが始まりました。

GOKU氏は、先に書いた詩のボクシングの2005年の全国大会では準優勝したという実力者でもあります。

なかがわ氏も、GOKU氏も、お互いに「友だちじゃない」といいます。
多分……友だちというだけじゃもったいない、表現における「ライバル」とか「敵」とかいう類の高め合う仲なのでしょう。

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GOKU氏は自作の詩人。

自らが紡ぎ出した言葉を乗せた詩を、体中使ってステージいっぱいに叫ぶかと思うと次の瞬間に泣き出しそうにささやく。

その緩急ある言葉の放ち方によって、思いが乗った重たい言葉が聞くものの胸にどかんとぶつかってくる。

犬の詩を読んだ。
野良犬の死を詠み込んだ詩を読んだ。

………………………・

~「ノラ犬のカラダ」より一部抜粋~

僕の記憶から、ノラ犬の死体は寂しそうに立ち去り、
僕の記憶には、畑を斜めに歩くノラ犬が棲みつきました。

「土に還りたい」
「空を飛びたい」
「静かに暮らしたい」
それら全ては僕が求めているものなのに
それらをひとつも求めていないであろうノラ犬は
その全てを叶えて
僕の記憶に棲みつきました。

………………………・

野良犬は、今、死によって放置され鎖の束縛から自由になった。
見ている自分は、その自由が欲しいのに、それが手元になく。
野良犬は、その自由を欲してはいなかったかもしれないのに、自由の元にある。

今、欲しいものは手には入らず、必要としていない者にそれが与えられる………。

ずきっと来る。

自作詩人のGOKU氏はまた、最近自費出版で詩集を出した。
この詩集にあるのは、すべて彼の詩ではない。
詩人である自分が「読みたい」と思った詩を集めて綴った小さな詩集。
そのひとつを、今度は切々と読み上げる。

入り口においてあったその詩集は、あっという間に多くの人の手元に旅立っていった。

なかがわ氏に触発されたのか。
GOKU氏も脱ぎ始める。

お色直し後のGOKU氏は、おもむろにスケッチブックを取り出して観客の前に拡げる。「宇宙ガール」というタイトルの詩を朗々と読み、次第に観客を巻き込む。

「ありんこの声で!」「ロケットのスピードで!」「地球の声で!」
彼の指示にしたがって、観客もいろいろな声をイメージしながら共に言葉を発する。

やがて高まった熱が、GOKU氏の中で爆発。
ステージ上を「小宇宙」という言葉を発しながら飛び跳ねる。
飛び散る汗が見えるほどの爆発ぶりだ。

「なかがわさんのパンツ一丁にはかなわないけど。」

そういいながら、3度目のお色直し。

そして、持ち時間の30分の間……
いったいいくつの言葉を発したのだろう?

そのきらめきの余韻をステージにまき散らして、GOKU氏のステージ終了。

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猫道氏。

彼は、「猫道一家」の座頭なのだそうです。

今までは、この「猫道一家」というクルーでお芝居を発表していたそうですが、2008年にお芝居をやめてポエトリーリーディングに転向し、2009年より自ら主催するスポークンワードのイベントを渋谷 道玄坂のBAR SAZANAMIで毎月開催しているそうです。

先にも書いたように、「詩のボクシング」に参戦、そこでなかがわ氏と出会い、どうやらお互いにいいライバル、刺激を与え合う関係がそこで生まれたようです。

かつて、芝居の音響・演出・脚本などを手がけていただけあって、彼のステージの上にはいろいろな道具も並んでいました。
何が出てくるのか???それを見ているだけで期待感が高まりました。


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登場と共に、そこはたちまち、歌舞伎の舞台になった。
大声で名乗りをあげ、見得を切る。

……かと思うと、次の瞬間にはいつの間にか「ラップ」になって言葉がぽんぽんとポップコーンのように飛び跳ねる。

ぐいぐいと、観客をステージの上の「言葉」に引き寄せていく。
その瞬間に、舞台はもう猫道氏の世界。

飛び跳ねる言葉。
飛び跳ねる音。
飛び跳ねる、猫道氏。

それをとらえようと必死にステージに吸い寄せられる観客たち。
その緊張感が高まる中で、次にホールの空間に投げつけられた言葉にはっとする。

………………………・

「素顔」より ~一部抜粋~

一皮剥けたら元には戻せないのは、
あの塩釜の海岸で散々日に焼けた20年前のナツヤスミに戻れないのと同じことで、
変わらないのは蚊取り線香の匂いばかりです。

(中略)

人間椅子になって隠れたりしたい。
タイガーマスクになって悪者をやっつけたりしたい。
途中で我慢できなくなって、タマネギみたく皮を剥いて、
涙目の素顔をさらしたい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
みんな涙目になって皮を剥いたらいい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
「髪の毛切った?」って言われるのは
みんなうれしいと思うから。

………………………・

一皮むけたら、戻れない。
あの夏に戻れないのと同じように。

「素顔」というタイトルのこの詩が、なかがわ氏のかかげるテーマである「今」にだぶった。

そして、それは、今の自分の想いにもどかんと乗っかってきて……胸に堪えた。
胸の奥にたまっていた何かが、堰を切ってあふれ出そうになってあわててこらえた。

緩急織り交ぜたステージ上で。
期待通りに、猫道氏もお色直し。

猫道氏3態。

3枚目、一番右の写真で彼が手にしているのは。
「ネオンホール特製マイク」なんだそうな。

この特製マイクを握って、彼はこうつぶやいた。

「溶け始める時間を、たべる。
 おいしいは、のこる。」

3人の熱いステージは、こうして幕を閉じた。
会場のネオンホールの空間に、その空気の中に、いつまでもその熱が漂って。
しばらくの間、冷めることはなかった。

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なかがわ氏の持っているテーマは、「今」なのだけれども。
その「今」の中にはまた、様々な人間模様が織りなされている。

この3人の「今」の中には、「今」に至るまでの「過去」があり、その「過去」を踏み台にした「今」があり、その「今」を積み重ねていくのが「未来」。

この3人の織り交ぜた「今」は、彼らがステージから熱と共に撃ちまくった言葉のマシンガンの目にも止まらぬ弾となって、それに射抜かれた人々の中に何かを残す。
そしてその人たちの中にある「過去」をほじくり返しながらそれぞれの「今」を実感させ、そして「未来」を思うきっかけをくれる。

言葉の持つ力は、なんてすごいのだろう。
そして、それを放つ人の力が加わると、何という破壊力を持つのだろう。

言葉が発せられるのはほんの一瞬なのに、命を得た言葉が、どんな力を持って人に迫るのか。

この2時間強の時間の間に、それを目の前にたたきつけられた気分になった。

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ちなみに、ネオンホールの階段ギャラリーでは、28日までなかがわ氏の展示も行われています。↓

なかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、このあとも続きます。

10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~たかが芝居だ!~」
現代口語劇「餃子の なかみ」赤尾英二、司宏美、田中けいこ
アングラ劇「たかが芝居だ。」(脚本・演出・出演/なかがわよしの)、

10年3月7日(日)「傘に、ラ。 vol.9~たっちゃんと ゆかいな なかまたち~」
客人:田沢明善

10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.10~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」
ゲストライブ
オサカミツオSLOWLIE、なかがわよしの、bubblesweet ほか(50音順)

10年3月21日(日)「傘に、ラ。 vol.11 ~つぶやいて、なんになる~」
@twitter

10年7月3日(土)「傘に、ラ。~今に生まれて今に死ぬ~」
出演:outside yoshino  タテタカコ

(写真、文:駒村みどり)

1月末のある晴れた日。
一台の車がある学校にやってきた。

車の中には、たくさんの楽器。
積みおろしを手伝う。

重たい大きな袋には……いっぱいの川原の石。
別の袋には……太い竹筒が何本も。

「それ、重たいでしょう?無理しないでね、千曲川の川原の石だから。」

そう言って笑うのは、東信地区を中心に活動を続ける音楽家のオギタカさん。
日に焼けたその顔に浮かぶ柔らかな笑顔から、大地の香りがした。

わたしはこの日、彼の音楽活動のひとつである、ある学校での「音あそび教室」にご一緒させてもらった。

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ここで、簡単にオギタカさんのプロフィールをご紹介します。

オギタカ

作曲家。シンガーソングライター(ボーカル・ピアノ・ギター・ジャンベ・バラフォン・スティールパンなど)
映画音楽、舞台音楽、プレステーション等のゲーム音楽、TVやイベントのBGM等の幅広いジャンルの作曲を手がけている。

1966年長野県小諸市生まれ
中学時代、ブリティシュサウンドにはまりバンドを始める。
高校卒業後上京、ソロ活動や作曲の仕事をしながら世界各地の民族音楽にのめり込んで行く。
2000年拠点を小諸に移し、風土に根ざした曲や詩の制作を始める。
2003年よりモンゴルより伝わった地元民謡「正調小室節」を歌い始め、現在準師範。
2004年「音あそびの会」を発足。
現在、「ライブ」と「音あそび」の2本柱により長野各地で活動中。

(音あそびの会HP、オギタカプロフィールより)

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「大地のめぐみに ありがとう」
「いのちのつらなりに ありがとう」
「環になって 和になって おどろう」

オギタカさんがこの日、持っていた絵本「アフリカの音」の中の一節。

彼は、「音あそびの会」にいつもこの本を持っていくのです。
音あそびの会の中で、読み聞かせをすることもあります。

彼がなぜ、この本を持って歩いているのか、読み聞かせするのか……。
この本の中に彼が人々に音楽を通して伝えたい想いが詰まっているからかもしれません。

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「アフリカの音」はアフリカ人の思想(命や精神が循環していくことの大切さ)を音楽や祭りを通して表現している本だと思います。

「すべてが循環していくことの大切さ」・・・ここはキーポイントかな?

「アフリカの音」に「命のつらなり ありがとう」みたいのがあったと思うけど・・・
命だけでなくすべての事はつながっていて、つながることで大きな意味が出てくると思うのです。

現代の日本社会が忘れてしまったこと・・・・
昔で言えば子供は友だちとの遊びを通して自然に身に付いてきたものや、大人も地域とのつながりによって育んできたものがある。

それが希薄になって来ている現代は孤独な人や独善的な人が増えているように思えます。

みんながどんな壁も関係なくフラットに付き合えたらもっと楽しく、もっと豊かな世の中になると思います。
それは僕が障害のある子供を持ったからより強くそう思うのかもしれません。

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オギタカさんに、ご自分のもろもろの活動にむける想いをお聞きしたら、こういう答えが返ってきました。

一昨年、あるイベントをきっかけにオギタカさんと出会いました。
そして、オギタカさんの音を聴きました。

初めていったライブは室内のものでしたが、その次に聴いた音は飯綱高原の大座法師池の上に設置されたステージでのもの。

どちらのライブも素晴らしかったのですが、オギタカさんの音楽に対して持っている想い、人に伝えようとしている鼓動、それが、この野外ステージでのライブでびりびりと伝わり、飯綱の森の中に染みこんでいったその感覚が忘れられなかったのです。

アフリカの楽器を中心にして彼が放つ音は、まるで大地の鼓動や風の歌のように聞こえ、木々のゆらぎや水のさざめきがそれを彩っていました。
次第に暮れていく周りの景色全体が音楽の中にとけ込んでいく感じ。
自分もまた、その景色の中に組み込まれて一体化していく不思議な感覚がそこにありました。

アフリカの人々は、楽器を使って会話をします。
祭の中に、神への感謝、生きることの喜びを歌い上げるときにも、楽器をかき鳴らします。
音楽とは、単なる表現ではない。命の叫びです。歓喜の声です。

オギタカさんは、自分の音楽活動を通して、こういうものを人々に伝え、届け、感じてもらう活動をしているのだ……と、私はそう感じました。

そんなオギタカさんの音楽活動を、ここから少し追いかけてみたいと思います。

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オギタカさんの想いは、さらにこう続きます。

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音あそびは「ひと時の夢」なのだと思います。
でも参加者がその中で何か感じ取って、それが心のどこかにすこしでも残ってくれれば嬉しいです。
もちろん義務でやっているわけではないので一番楽しんでるのは僕自身なんですけねどね(笑)

ライブに関しては好き勝手にやってるだけです。
自己表現としてあまり色んな観念に縛られたくないと言うが本当のところです。
でも音あそびから得たグッドバイブレーションが自然にライブに反映されることは望みです。

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オギタカさんのライブは確かに、とても自由な感じです。
音楽の時間の勉強のように、音符や拍子にはずれないようにと頑張る感じではなくて。
そういうものにとらわれない、自分の中にある気持ちや心の動きをそのまま音にのせてお客さんに投げかける。

だから、それを受け止めるお客さんたちも、だんだん自分の中にある想いを手拍子や足拍子で一緒に表現し……時には踊り出す人もいて、にぎやかにみんなで音を共有する。

オギタカさんを中心に、「音」がさざ波となって会場全体にひろがっていく、そんな感じなのです。

そして、この日の音あそびでも……そんな様子があちこちに見られました。

まずは、ジャンベで「リズムでの会話」を楽しみます。
ジャンベというのはアフリカの太鼓。
この楽器の音の出し方、どんなふうに何を表現するのに使われるのか。
そんな簡単な説明のあとでみんなが一斉にたたきます。

最初はしかめっ面で、遠慮がちにたたいていた生徒の顔が……どんどん生き生きとしてくる。
「これでいいのかなぁ?」と困ったような顔が、リズムに集中しているうちに次第に和らいで、ほころんでくる。

二つのリズムの掛け合わせで、相手のリズムに答え、合わせてたたいているうちに、ほおが上気して、眼がキラキラして。

「楽しい!!」という感じが教室に満ちあふれてくる。

硬かった体の動きも、だんだんリズムに乗って軽やかになり。
部屋の中は、飛び跳ねる音でいっぱいになります。

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オギタカさんが手に持っているのは……冒頭に書いた「千曲川の川原の石」。
オギタカさんにかかるとこれだって立派な「楽器」になるのです。

両手に持ってたたき合わせると鳴る音。
細かいリズム、ゆったりしたリズム。
こすり合わせてでるかすかな音、投げて床に落ちる音。
みんなそれも「音」………「音楽」なのです。

たたき方。
頭の上でたたいたり、背中に手を回してたたいたり。
それを見てみんな笑顔で真似をします。
あいさつがわりに隣の人と、軽く合わせて出す「コン」という音も。
みんな人と人とをつなぐ音です。

音の輪が、どんどん広がっていくのです。

木琴のような楽器は、あとでご紹介しますが「バラフォン」です。
まるで瞑想の世界に誘うような音がでます。

たくさん転がっている千曲川の石。
さっきまで、みんなしっかり握りしめて、いろいろな音を奏でていました。

そしてバラフォンと石の間にあるのは竹筒。
これもまた……ほんとにステキな楽器に変わります。

一人一本ずつ竹の筒を持って。
そうして何人かのグループになって、順番にならしていきます。
不思議な音のつながりが輪になって、あちこちのグループから聞こえてきます。

自分の順番をはずさないように。
強く、弱く。
いろんな表情でならします。

途切れることのない音の輪は、まるで音にのせた気持ちのリレーのようです。
みんなでグループの他の人の出す音を聴きながら、自分の音の順番を待ち、そうしてその「和」を崩さないように上手く次につなげる音を出すのです。

たまに失敗して笑い声が起こるのも、ご愛敬。
それもまた、他のグループの竹のメロディーに組み込まれて新しいハーモニーが生まれます。

そうして最初は緊張の中に始まった「音あそび」は、部屋いっぱいの笑顔があふれる中、オギタカさんからのプレゼントで終わるのです。

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オギタカさんのミニライブ。

しっとりした曲、手拍子しながらのノリノリの曲。
音楽を最後にみんなに贈って、この日の「音あそび」のプログラムは終わり。

でも………
プログラムが終わった後も、片付けまでまだまだ音あそびは続くのです。

音と笑顔でつながった生徒さんたちは………
片付けを待つバラフォンのバチを手にとって「これ、鳴らしてみてもいいですか?」と奏で始めました。

自由にいろいろな音を鳴らしながら。
友だちと向かい合って。

「気持ちいい~~~~。」
「楽しい~~~~~。」

この日、シメの笑顔とやさしいバラフォンの音色で音あそびが終了しました。

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オギタカさんの音でつながる活動は、このあともまだまだ続きます。

障害を持つ子供たちとつながったり、いろんなジャンルのピアニストとつながったり、
本当にいろいろな人々と、音でつながっていくのです。

そんなオギタカさんの活動を、この先ももうちょっと追いかけてみようと思います。

<「音あそびの会」HP> http://oto-asobi.main.jp/

<今後の活動予定>

2月28日(日)ピアノ・ア・ラ・モード  ~5人のピアニストによるジャンルMIXライブ~
会場:佐久市なんだ館(0267-88-5010)

4月24日(土)アースデイin佐久
会場:佐久ミレニアムパーク(佐久平駅蓼科口西)

(文・写真 駒村みどり)

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