さて。
「何でみんなこんなに勉強が嫌いなんだろう、ほんとうはもっと楽しいのに。」
このブログを書きはじめるそもそものきっかけが、これでした。
わたしは勉強、好きでした……、とは言ってもそれは中学生になってからです。「先生になりたい」という夢は両親が教師だったせいか子供のころからあったけれど、それを本気で考えたのも中学生のことがあったからです。
昨日、娘と話をしたのですが、実は、小学校の頃は自分は劣等生だと思っていました。
身体が弱くて、学校を休みがち。体力がないから体育が苦手で、見るのはみんなの背中ばかり。給食も全部食べられなくて、お掃除の時間になっても教室の後ろで残されて最後まで食べさせられました。(残すことは許されなかったのです。)最初で最後の「0点」をとったのもこの頃でした。学校を休んだ時にさんすうで「速さ」の勉強があり、それについて学ばずまったくわからないままテストを受けた結果でしたが、子供心に「0点」の与えた衝撃は大きかったのです。
そしてまた小学校高学年の担任は、わたしを理解してくれていたとは思えませんでした。
「動作がのろい」
小学校の通知表に書かれたこのひとことは、今でもわたしの心に突き刺さっています。母が支えてくれていなかったら、私は不登校になっていたかもしれないと自分が教師になって思うことがたびたびありました。
中学生になった時の担任は、音楽の教師でした。
大人になってから聞いたのですが、その先生は「この子どもは小学校の時にどんな扱いを受けていたのだろう?なぜ、こんなに小さく縮こまっているのだろう?」……と感じて、わたしを見守ってくれたようです。
音楽教師だったので、わたし自身の持っている音楽的な素養を見つめて伸ばしてくれただけでなく、人間としての頑張りや人のために出来ることをしたい……という私の頑張りを理解し、ルーム長などの責任ある立場で必死で迷いながらやっているわたしを支えてくれました。
その先生の支えや各教科担任の「学び」の本質にそった教科指導で、わたしは「勉強(というよりも“学ぶこと”)って面白い!」と感じるようになったのです。
これが、単なる「点数重視」の指導をしていた先生方だったら、わたしはたぶん小学校の時の延長で中学でも「学ぶこと」の楽しさを知らないまま劣等感のなかに今に至っていたのかもしれません。
「先生になりたい」という思いは、たぶん小さな子供のころから持っていたのでしょうが、本気で「先生を目指そう!」と思ったのはこの中学時代のことからです。
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そういう観点から世の中をずっと見てきた時に、今の社会はほんとうに苦しいと想います。
わたしはそういう多くの先生方の支えがあったからこそ今日に至っているし、わたし自身がそういう教師になりたいと想い、その想いに添って進んできたのですが、そのわたし自身が「教師」をしていて苦しくなった。うつに陥って「学校」という世界は苦しくなった。同じように、学校でも家庭でも子どもたちも苦しんでいて、「不登校」や「いじめ」が後を絶たない状況です。
自分が学校という制度の中に生き、そこで生徒たちや同僚たちと関わり、さらに自分の息子が不登校に陥り、一方で娘は学校というものの理不尽さを感じながらもがいていて……。
そんな状況の中で、うつが原因で仕事を辞めてから、わたしは家庭教師として何人かの子どもたちと関わってきました。そこでもやっぱり子どもたちはみんな「勉強が嫌い」なのです。
だけど、わたしが「勉強ってほんとは面白いんだよ?」と心の中で呼びかけながら共に学ぶ時間の中で、子どもたちは皆「わかった!」「そうか!」と叫んで笑顔になる瞬間が増えていって……「先生、今まで、学校の授業の時間って、ほんとつまんなかったよ」とさいしょは自分が「劣等生だ」と思いこんで下を向いていた子どもたちが語りはじめるのです。その姿は、中学に入って「学ぶ事って楽しい!」と心から感じて嬉しかった時のわたしのようでした。
本来、子どもの可能性を伸ばすはずの学校が、ものすごく才能や可能性を持っているはずの多くの子どもたちをつぶしている。
それが日本の現実です。 それを何とかしたいのです。
わたしが社会を見つめる観点は、「子ども」です。
子どもたちが輝くことの出来ない社会は、未来のない社会。まず、子どもが輝ける社会にならないと、人に優しいもありえません。活力ある社会もありえません。子どもたちを輝かせることこそが、日本の社会……いえ、この地球全体が「生き生きと輝く」ための必須条件なんだと想っています。
……このブログを書こうと思ったきっかけが、そこでした。
その観点で社会を見た時に。
今の社会はとても悲しい事実が山積みです。
子どもの虐待。自殺。不登校、いじめ。
それがなぜ起こってくるのかと言ったら、子供のころに「あなたにはちゃんと可能性があるんだよ」という声をかけてもらえなかった多くの子どもたちが大人になり、その大人たちが作った社会の結果なのです。
すべての子どもには、それぞれに伸ばすべき才能がちゃんとあります。 すべての子どもには、あふれんばかりの可能性と未来があります。子ども自身がみずからそれを探り、見つけ出し、磨く力をつけてやること。 それが大人のするべき事です。
そしてそれが、実は「明るい活力ある日本の未来」への一番の近道なのです。
第4章は、そこについてわたしの感覚からはじめて、具体的にどうしたらいいのかをわかりやすく記述していこうと想います。
お読みになって、「こんな時はどうしたら?」とか「こういう子供はどう考えたらいいの?」というご質問、「これはこうした方が良いのでは?」というご意見がありましたら、このブログを拡げる上でどんどんお寄せ下さい。本文中やこのコラム欄で、取り上げていきたいと想います。
皆さんにとって、たぶん一番身近なテーマになると想います。 だからこれからのこのブログは、皆さんと一緒に作っていきたいと思うのです。
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