「あ……私、これだったらわかる。」
娘が選んだのは小さなクリのような形をしたバッヂで、お地蔵さんのように胸の前で手を合わせていた。
このバッヂは「希望のたね」という。
今回の東日本大震災が起きた3月11日以降、娘と2人でずっとラジオなどで情報を得ながら「出来る事をしていきたい」と思い、募金箱を見るたび募金をし、支援物資を募集している情報には自分たちで提供できる物はないかと聞き耳を立てた。
私が所属しているバンドでもライブで募金を集めて送ったし、取材活動や地域のボランディア団体への参加など、 さまざまな形で「応援の気持ち」を表してきた。また、支援活動に取り組む人や団体があるとその活動を応援する気持ちで色々なグッズを購入もした。
そういう被災地を応援する時によく見られるのが「頑張ろう」という言葉。
「頑張れ」じゃ人ごとみたいだし上から目線。それだったら一緒に、という気持ちを込めて「頑張ろう」かな……というそんな思いがこもっているのだろうけれど、娘はそれもやっぱりあまり気に入らないようだった。
「だってね、あまりに仰々しいもの。」
気合いを込めて頑張る、という感じはあまり好きではないという。その気持ちはよくわかった。いかにも応援しています、というそういう「気張り」は何となく肩が凝る。だけど、このバッヂが生まれた背景と、その想いを読んだ時にわたしもものすごく共感し、そして目の前に迫る東北行きにこれを持っていこうと思ったのだ。
娘も、たぶん同じ思いだったのだろう。「うん、これだったら私もつけるよ。」そういって1つ手にとると自分のバッグにそっとつけた。
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このバッヂをデザインしたのは、イラストレーターの「ゆきつぼ」さんです。
彼女は、長野県栄村の出身です。
長野県栄村。ここはあの3月11日の東日本大震災のわずか半日後……3月12日の午前3時59分に発生した震度6強(M6.7)の地震に襲われたのです。「長野県北部地震」と命名されたこの直下型の地震は、あの東北がなかったら衝撃的な災害として報じられたに違いありません。
参考:長野地震(M)6.7被害の様子【3.12栄村大震災】
津南町・十日町市の地震被害【栄村大震災 震度6弱】
けれど、東日本大震災のあまりの被害と衝撃度の大きさに、ほとんど取り上げられることがないままに 「忘れられた被災地」となってしまいました。事実、今回の被災地巡りで出会った人たちは「長野県北部地震」のことも「栄村」のこともまったく知りませんでした。
けれど、この「過疎地」栄村は忘れられた状態を嘆くことなく、淡々と地域が力を合わせて復興に向けて動いています。このゆきつぼさんの「希望のたね」もそんな中から生まれたのです。(ゆきつぼさんのご実家も、栄村で今回被災しているのです。)
わたしがこの「希望のたね」のことを知ったのは、被災地巡りを計画してその準備を進めていた9月はじめのことでした。Facebookのお友達がこの話題を紹介していて、気になってゆきつぼさんのブログを見に行ったことがきっかけでした。
そこには、この「希望のたね」が生まれたきっかけ、そしてゆきつぼさんの想い、それから「希望」についてがやさしく静かな言葉で語られていました。
「希望のたね」のキャラクターを作るとき、本当に一生懸命考えたのです。
それは、自分自身の実家も被災しているということ。
当たり前だと感じていた故郷の姿が、一変したということ。
このつらい気持ちを、ただつらいと吐き出すだけではなく、
何かにしたい。
だって、本当につらいのは、そこに住んでいる当事者たちだから。
自分も実家が被災した被災者だ、つらいんですとは、到底言えない。
私には、私の家が、他にある。
だからこそ、このどっちつかずの気持ちを、
だからこそ、そんな自分こそができる何かを、
カタチにしていくべきではないのか。
そう思いました。
(「ゆきつぼの想うツボ」8月7日「希望のたねに込めた想い」より抜粋)
私も……今回の震災に当たって、本当にやるせなかったのです。自分は被災したわけではありません。でも、その地にいる人たちの想いはイメージできました。自分の今までの経験や体験に重ねても、とても追いつかないくらいに哀しい気持ちなのだろう……辛い気持ちなのだろう。
だけど、自分にはお金も力もありませんから、何もできません。それどころか、自分自身の生活に追われて精一杯生きるだけの毎日でした。
それでも。人として、哀しい思い、辛い状況、苦しいところにいる人たちのために何かがしたい。それはしかし、娘が言うように「頑張れ、頑張ろう、一緒に歩むから!」という激励とか励ましではなくて……どちらかというと、心を寄せる、そっと寄り添いたい……そんな思いでした。
確かに、被災地は今大きな被害を受けて大打撃の中にいます。けれど……生きる、ということにおいては誰もがそれぞれに必死なのです。生きるのに精一杯で、お金も時間も知識も力も何もない自分が、「人のために力を貸す」ことなどは出来ません。
被災地への想いは、この先の日本への想いにつながりました。それはまた、ここから先の明らかに厳しくなる情勢の中に生きる子ども達への想いにつながりました。子ども達の未来に希望を持ちにくくなっていたのは震災の前からのことでした。子どもだけではなく、大人たちもだいぶ諦めていたように想います。諦めて投げ出して、変わらない、どんなに頑張っても未来に夢など持てない……そんな人たちはかなり多かったのではないでしょうか。
それが今回の「震災」という、明らかに未来に大きな影響を及ぼす「被害」が目の前にひろがった。この危機は……尋常じゃなく、無くしたものは大きく、そしてみんなで踏ん張らないときっとつぶれてしまうに違いない……日本の「未来」は。
多くの人が被災地に心を傾け、さまざまな形でその支援のために動き始めました。「頑張れ」「頑張ろう」……その想いはしかし、被災地にむけての激励だけではなかったのじゃないかと私は想うのです。
これまで、未来を諦めかけていた大人たち。もうこの先変わりっこない。未来に夢など無い。そう想っていた人たちが、被災地の惨状とそこからの「復興」という具体的な目標を目の前に突きつけられた時に「頑張らなくては!」と思ったのではないでしょうか……。
つまり、「頑張れ」「頑張ろう」は、被災地にむけての言葉と同時に本当は未来を諦めたくなかった自分への激励の言葉でもあったのではないのでしょうか?
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こういうやるせない状況に陥った時に、「頑張らなくちゃ」と気持ちに活を入れることは、1つ前に進むための手立てです。けれど、あまり「頑張って」進むことは、長続きしません。
私が被災地の人たちと「共に頑張って」未来を作りあげよう、という気持ちにならなかったのは、これまで日本という国全体がとにかく「頑張って」ここまで来たからでした。頑張っても頑張って、もっともっとよい未来になってきたかというと、実はそうではない。逆に頑張ることに意味を感じられないような社会、政治、国の有様に諦めムードが漂っていたように想います。
だから私は、今回の被災地に対しても、気持ち的に応援したいと想いましたが、「頑張って」何かをしようとは思いませんでした。日本の未来、私たちの明日、そういう面で考えた時に、一瞬即発的にエネルギーを爆発させて頑張るよりも、自分が自分のままで気張らずに力を入れずに出来る事、しかもずっと続けられる事をやっていこう、とそう想ったのです。
それは、うつ病や息子の不登校、親の介護問題などが一気に自分にのしかかってきた時期に……頑張っても頑張っても先が見えず、どんどん力も気力も失われていった自分の姿と今の日本の姿が重なったからかもしれません。本当に苦しかった時、自分のこの先を思い描けなかったあの頃に、私が掴んだ「次の一歩」への道は……「私は私でいいんじゃないか」ということでした。
今、自分のまわりには大切な子ども達がいて、自分は生きていて、ちゃんと生かされている。
まわりの人のためとか、社会のためとか、学校のためとか生徒のためとか、ものすごく頑張ってみても自分自身がきちんと自分の足で立って笑顔でいられなければ、必死になっている自分をまわりは心配して結局はみんなが苦しくなるだけなんだ……。私が自分の子ども達の笑顔に救われ、明日に向かう力をもらえるように……私もまた、自分の笑顔で感謝と喜びとともに生きて周りの人たちと一緒に幸せになっていくのじゃないだろうか。
今その時を自分の足で立って、自分らしく生きる事。
それが何よりも「明日」につながっていく一番の力になるんじゃないだろうか。
私自身の身に起こったこと、それは震災と比べようがないのかもしれませんが、今回の被害に限らず人は生きていく上でものすごく大きな波や自分の足場がぐらつくような想いや、やりようのない深い悲しみの胸の痛みを感じて行きます。それを1人1人が乗り越えて、毎日をしっかり生きること……生きていること、生かされていることの幸せを受けとめて、それに感謝して、自分なりに生きる事……それが何よりも「明日」への大きなかけはしになるのではないのでしょうか。
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「希望のたね」のデザインを見た時にものすごく心惹かれたのは、胸の前で両手を合わせて静かに微笑むお地蔵さんのような穏やかさでした。力みも気張りも全くなく、ただ静かにそこにいるイメージでした。そしてその頭のてっぺんから小さな芽。やがてそこからは葉が出て伸びて、花が咲くかもしれないし、大きな木に育っていくかもしれません。「小さな芽」は、この先を予感させる「希望」なのです……。
自分で出来る事をやりながら、自分のままで生きる事。
今を生きて、そうしてそんな「今」がつながっていったら……「もっともっと」と先ばかり見ず、充実した今を生きて、それが「笑顔」につながっていったら。
まっかな夕日が翌日また、朝日としてのぼってくるように「今」は必ず明日につながっています。
今を生きる事で明日の希望が芽を出し、葉を茂らせ、やがてたくさんの花を咲かせ、実を結ぶことになっていくのだと……そう想うのです。
今を生きる事……それは明日のために、日本のこれからのために、さらにそれは子ども達の未来のためにとつながっていきます。
それぞれの人が毎日を生きて、そして生かされていることに感謝すること。
それが明日への「希望」を育てることになるのです。
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被災地をめぐっての三日間の記録のまとめ、長い文章におつきあいくださりありがとうございました。
私はこのあと、10月の連休を使って長野県栄村と十日町……長野県北部地震の被災地を子ども達と訪れる予定です。そこにまた、感じるところがありましたらお伝えしようと想います。
この文の中から少しでも、皆さんの「明日」につながる希望が見つかりますように……。
*なお、「希望のたね」は現在も販売中です。ゆきつぼさんのブログに販売しているところが書いてあります。もし、あなたも「希望」を手にしたいと想ったら。そしてその種を誰かと育ててみたいと想ったら。どうぞ是非手にとってみて下さい……きっと優しい気持ちになれると思います。