(3)ゆとり失敗の原因
もう一つ、この「ゆとり教育」の目玉である総合学習がなぜきちんと機能しなかったのか、という大きな理由は「教科単元制」にもありました。
私は、新卒の時に養護学校に赴任しました。ちょうどその翌年からその学校は文部省(当時)の研究校に指定され、全国区の研究校としての研究をすることになってそのテーマに据えられたのが「生活単元学習」というものでした。
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生活単元学習は,児童生徒の生活上の課題処理や問題解決のための一連の目的活動 を組織的に経験することによって,自立的な生活に必要な事柄を実際的・総合的に学習するものである。(盲学校,聾学校及び養護学校学習指導要領(平成11年3 月)解説(文部省)より)
つまり、身体に障害を持つ子供たちが自らの出来ることの可能性を増やし、生きる力をつけるために教科や領域に縛られない学びをする。それが生活単元学習です。
たとえば、生徒の意欲・関心に沿うようなテーマ設定をする。身体の自由がきかない生徒たちが工夫し協力して何か「製品作り」に取り組み必要な技術を学びながら、学校祭のバザーや町に出て販売活動をする。材料を購入するために畑で花や作物を育てて販売する。
その中でお金の数え方や計算を身につけたり、お客様に対しての言葉遣いや対応を学んだり、ポスターや招待状を作ることで文章を考えたりデザインを工夫したりする。材料費を払ってある程度の売上が出たら感謝祭のようなものを計画し、材料を買いに行くためにバスや電車の乗り方やチケットの買い方を知る。車内のマナーも考える。調理をしてみんなで感謝して食べる。その時にみんなで楽しむゲームや歌なども考えて練習する。
その中には当然、教科的な内容も入ってくるわけです。お金の計算……収支、予算の立て方。花を育てるのに理科の知識。招待状を書く文章力。誤字脱字に気をつけて、漢字を使って読みやすくすること……。そんなふうに「教科・領域を越えた」学びをするのが生活単元学習です。
これは、実は「総合学習」に通じる学びであることにお気づきでしょうか。障害を持つ生徒たちにとってはそれこそ「生きる力」は本当に自らの命に関わる部分でありますから、かなり「生活」に密着した学びになっています。それがもう少し教科的な色合いが濃くなっているのが総合学習……という風に私は感じています。
さて、先ほどの新卒の学校の話に戻ります。新卒の私はまだまだ経験が浅い中、この「生活単元学習」について学びました。この「経験が浅かった」というのが幸いしたのだと思います。「教科を越えた」という意味について割にすんなりと受けとめることが出来ました。
しかし、先輩の先生方にとってはだいぶ抵抗があったように感じました。つまり、「算数や数学、国語、理科などの教科を教えない」ということに対してのイメージを作るのにものすごく抵抗があったのです。
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