大阪府の地域政党「大阪維新の会」代表の橋下徹知事は17日午前、君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案の他に教員の処分基準を定める条例案を9月府議会に提出する方針を明らかにした。教員が不起立を繰り返せば、懲戒免職処分にできるルール化を目指す。
という記事を目にしました。この記事をきっかけにWeb上でいくつか「日の丸・君が代」についての議論を目にしたけれど、なぜこの議論がいつまでもやむことがないのでしょう。じつは、どうもこの議論については「賛成派」「反対派」の観点がずれている……もしくは、報道の仕方によってゆがめられているようにしか思えないのです。そこに潜む「危険性」について「イメージ」という視点から考えてみたいのです。
:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::
「日の丸の掲揚と君が代の儀式における斉唱を義務化します。」
そういう話が上ったときに、学校の職員の間では議論が巻き起こりました。もともと、国旗日の丸、国歌君が代、ということ自体については何の疑問も持っていなかったわたしですけれど、強い懸念を持ったのはこの「義務化」という言葉に対して、でした。
音楽の教師だったわたしは当然、「君が代」を全校の前で指導することが「義務付け」られるわけです。けれど私の中の感覚は、「なぜ、そんな事をいまさら言うの?」でした。
卒業式では今までも歌っていましたし、子供のころからテレビを観ているときに国技である相撲でも、日本が世界の強豪と競う競技……オリンピックや世界選手権などでも、君が代が流れ、メダルを首にかけて胸を張った選手が上っていく日の丸を感慨深く仰ぎ見る姿をテレビの画面で見て感動をもらっていました。
卒業式の練習で、沢山練習した「卒業式の歌」の中でも、君が代は歌いやすさと馴染みのあることで子ども達は廊下でも歌っているくらいにみんなが気軽に歌っていました。日の丸も、旗、というと白い紙に赤いまるをぐるぐる描くだけの日の丸は、小さな子どもにもかけるもの。お子様ランチの旗にも、マンガにも登場していました。
そのくらい「浸透」していたのです……君が代も、日の丸も。
それを「義務化」という言葉が出てきて、そこに「強制」が発生したのです。確認してみるとこの義務化が始まったのは1990年、そして国旗国歌法という条例化をされたのが1999年です。けれど、学校現場で最初に「義務化」という言葉を聞いたのはわたしがまだ子どもを産む前のことでしたから1990年よりもさらに2〜3年前のことだったはずです。
(その2につづく)
コメント & トラックバック
コメントする