「君が代」と「日の丸」を国歌、国旗として使ってきたのは明治時代からです。日本が開国し、世界の国の仲間入りをするという上でもそれは必要なことだったのだろうと思います。
けれど、やがて日本が世界の中に自らの力を誇示し、「軍事国家」として肩を並べていくほどに、この国旗と国歌は「強い日本」を作り上げるためにその柱として……利用されるようになっていったわけです。つまり、日本は天皇の国であり、天皇陛下=日本のためにあなたたちは働きなさい、戦争に行って国のために命を惜しむ事なかれ……と「刷り込み」をし、その象徴として君が代や日の丸が使われたわけです。
つまりは国民にとっての「踏み絵」でもあったわけですよね。キリスト教徒にとってキリスト像を踏むことが罪であったように、日本の国民たる者、その象徴である天皇に逆らうべからず、ひいては国歌・国旗である日の丸君が代に対しても敬意を表して直立不動で向かうべし……。
「強い日本」「神国日本」の象徴として戦争で「外国の侵略」の旗印としても使われた日の丸ですから、当然その旗を「憎む」人やその旗に対して「深い苦しみ」「大きな傷の痛み」を持つ人だっているわけです。それは、いまだにいるわけです。
けれどそれは決して「日の丸」や「君が代」の罪ではありません。それを「神国日本」の象徴だと刷り込み、直立不動で敬うことを「強制」した時代と社会の罪なのです。
「義務化」という言葉から、その歴史を知り、教える立場にある教師たちが「疑問」を持ち考えて反対すること……それは当然の成り行きなのではないでしょうか?戦争に向かう時代、上層部はまずどこから手をつけたか、といったら「教育」です。未来を担う子ども達にそういう「イメージの刷り込み」を行うのです。すでにしっかりとイメージを持ったおとなの考えを変えるよりもずっと楽に「軍国主義」を植え付けることができるのです。
1990年代、というのはバブルが崩壊しつつある不安定な時代でした。けれど社会はいまだにバブルの後遺症から抜け出せず、日本は世界の中でもいまだに強い立場にあると思いこんでいました。時代背景は大正から昭和にかけての世界の強豪と張り合ったあの頃に似ていました。
そこに来て「日の丸君が代」の強制が教育現場に忍び寄ってきたわけです。
(その4に続く)
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