(3) 「イメージ」が支える子供たちは強い 南信濃で出会った子供たち
「ダメだダメだ。今笑ったやつがいた。坂の下からやり直しだ!」
大きな太鼓を背負った(たぶんかなり重たいだろう)リーダーの厳しい声が飛ぶ。一瞬「えー」と言いたそうな表情をすぐに引き締めて、小さい子達は急坂の遥か下に戻っていく。
「ことの神送り」という祭があります。事の神、というのは風邪や厄という「寄りついて欲しくない」神の存在。毎年2月に南信州の飯田上久堅地方で行われているこの祭は、そういう「厄の神」を各家から集めて村の外れの深いヤブに捨てに行く祭。
それを取り仕切るのはすべて子供たち。大人は見守るだけで、寒い冬の空気に顔も手も真っ赤になった子供たちが広い村中をまわって訪れるとぼた餅をふるまってねぎらったり、温かい豚汁で迎えたりする以外は一切手出しをしないのです。
小学3年から中学2年までの地区の子供たちが念仏を唱えて広い村中の家々をすべて訪れます。身体の大きいリーダーの中学生たちは、小さい子供たちを労りつつ、けれど祭のルールや約束事を破ることは許さないからどんなに坂がきつくても、やり直しはやり直し、できるまで何回も繰り返すのです。
息が切れてもそうしてルールを身につけて、小さい子供たちは一緒になって地区の一員として、子供の一員としての「役割」を果たします。家々からはそういう子供たちに「お礼」が手渡されます。集計して祭りの後に均等に配分する、その会計の係も子供たちの役目です。
唱えて歩く念仏は、日が落ちて「夜」になってからは昼間と言葉が変わります。時計はないから空を見上げて「一番星」を探します。見落とさないようにしっかりみんなで探し、一番星を見つけたら夜の念仏にきり変えます。
夜遅くまで、身を切りのどの奥を突き刺す空気の中、各家からの「厄」を集めた子供たちは、翌朝今度は日の昇る前にその「厄の神」を乗せた大きな笹を村はずれに捨てに行くのです。そこでも何回もやり直し。途中での「遊びの時間」には、鬼ごっこのような遊びの中でチームに分かれてほっぺたを真っ赤にしながら子供たちは道路の真ん中で飛び回ります。
そうしてようやくたどり着いた村はずれのうっそうと茂るヤブの奥に、この先の一年の安泰を祈りながら厄の神を捨て、後ろを振り返らずに走って帰る子供たち。その表情に浮かぶのは「満足感」。何回やり直しをしても、それは自分たちが守るべきルールであって、押しつけられたものではないからリーダーがやり直しと言ったらきっちりやり直し、そうしてそういう「大変さ」を感じるから最後まで「やり遂げた」充実感が喜びで顔を輝かすのです。
詳細:
フォーラム・南信州「祭の流儀」第2回「ことの神送りを追いかける」
N−gene記事 (いずれも文:宮内俊宏・写真:駒村みどり)
「「事の神送り」を追いかける」1〜4
コメント & トラックバック
コメントする