妄想や空想は、時に根拠のない理由に基づくことや思い込み(時に病的だったりもします)から来るものであるのに比べ、想像から来るものは多くの人に役立ったり、多くの人を感動させたり、多くの人に影響を与えたりもします。
たとえばりんごが落ちることから発見されたニュートンの万有引力の法則。たとえば入浴中に発見されたと言われているアルキメデスの原理。コペルニクスやダビンチ、ガリレオらが唱え続けた地動説。そういう世の中を変えるような法則や理論から、テレビ、電話、ラジオなど今私たちの身のまわりを便利にしている多くの発見、発明まで……。それらのすべては「見えない何かがあるのかもしれない」、「こんな事が出来たらいいのに」(まるでドラえもんのテーマソング!)などの「イメージする力」が生み出したものですよね。
「目に見えるもののように、すでにあるものを説明すること」は誰にでも出来ること。
けれど、「目に見えないものの存在や、目に見えない力、目に見えない現象」を、きちんと誰もが理解できる「形」にし、そこに意味がある像を結ぶこと……それは時にものすごい困難でもありますが……それが「イメージ」の正体です。
そう思いながら自分の身のまわりを見回してみてください。
もし、そういう力がなかったら、イメージが全く働かなかったら……今、自分の身のまわりにあるもののほとんどは存在していない、と気が付きませんか?
裏を返すと、そういうものが与えてくれた恩恵に「感謝」する事を忘れ、いつの間にか当たり前になってしまって、さらにそのための力を育てる事さえも忘れて……いえ、むしろイメージを阻害するようになってきてしまっている今の社会(この実例はこの先の章で述べていきます)は、「これから先」を考えたときに……いったいどうなって行ってしまうのでしょうか?
「イメージできる?」
そうつぶやきながら、この「イメージ」がなくなった世の中を想像してみてください。
そうつぶやきながら、今までこの「イメージ」が私たちにもたらしてくれたものを確認してみてください。
そうすると、いかにイメージする力が無くなった今がどんな危機的な状態にあるのか……。
「いいかげん、目覚めなさい」というあのセリフが単なるドラマの決め文句(人ごと)だという認識ではまずいということにあなたはもう、気が付いたのではないでしょうか。