INTERMEZZO10「確かな目(視点)」の大切さ

今朝、目に止まった一つの記事があります。


Silenced by gaman」……「我慢という沈黙」

Japan: Silenced by gaman | The Economist より

すみません、これ、私が勝手に意訳したタイトルなのですけど、文面を読んでいて日頃強く感じていたことを思い起こしたので、こんな風に訳してみたのです。(もっと適切な役があったら是非教えてください)

記事の内容は、大約ですが「日本人は昔から我慢が美徳とされている。けれど、それが果たして『美徳』としてもてはやされていい物だろうか?」という投げかけから始まって、先週までに東北地方に投げかけられている三つの『課題』についてを考察しています。

一つ目は4月17日に東京電力の「当面収束に半年〜9か月」という発表について。

二つ目は4月14日に菅総理が行った「東日本大震災復興構想会議」について。

三つ目は、「エネルギー政策」に対する国のあり方について。

この三つの観点で考えた時に、日本の人は「我慢」という美徳の名の下にこれ以上沈黙を続けるべきなのだろうか?という投げかけの記事なのです。

この記事の最後にはこう記述してあります。
”If they are finally running out of gaman, it might be a healthy sign.”
(もしも彼ら(東北の人びと)が我慢の限界にきたら、それは正常なことなのではないでしょうか。)

私は常日頃から思っていたことがあります。「日本という国ではなぜ、革命が起きないのだろうか?」……と。

かなり過激なことだと言われるかもしれません。でも、ずっと人間…、日本やこの地球の歴史を見てきたときに、人びとは耐えられない圧力に対して「抵抗」という術を持っていました。それは時に暴力をともない、人を傷つけたり時に血を流し命を奪ったりという悪い形ででてしまう事もありました。

けれど、もしもそれがなかったら……「抵抗」という抗議の声がなかったら、私たちの今の幸せな「普通の生活」は成り立っていなかったんだろうと思います。

ここにあるのは「上」と「下」との関係。為政者と民衆との闘い。力のある者とそうでない一般の者との闘い。……というように、立場の違う者同士の間に起こる「不理解」がもとになって出来る「不整合面」の不自然だったり理不尽だったりする圧力からの解放……。つまりは、今回の災害の原因になっている「地震」の起こるメカニズムのようなものなのです。もっと言うと、「自然現象」の一つ。

ところが。
第二次世界大戦が終わり、日本が負け、そしてそこから立ち直ろうといわゆる「挙国一致」状態で日本が高度成長を遂げた頃から……いつの間にかこの「自然現象」は見あたらなくなりました。私が成長してくる過程で、東大の紛争・連合赤軍、そういうかなり衝撃的な「革命」の見出しが新聞記事に踊りました。

決してそれを肯定しようとは思いません。だけれども、そこにあった「エネルギー」は……「生きている人の力」を感じさせてくれる命の爆発は……強烈な印象を子供心に、そして社会全体に投げかけていたのは確かです。人の命を危ぶませ、暴力により世の中に一石を投じるという革命のあり方は推奨されません。けれど、「それしか訴える手段がなかった」状態に陥った社会にとってはこれほどの命の爆発が必要になっていたのは確かだろうと思います。

ところが、ここ数年。
日本という国とその社会全体は明らかにおかしな方向に迷走し、人や物の命の重さ・その熱さが忘れ去られ、かなりの「不整合面」があちこちで発生していたのにもかかわらず、「革命」は起きない。暴力に限らず、人びとはどうにも「あきらめ」てしまい、下を向き、そして自らの内面に向かって心を病み、命を絶つような状況が多発していることに対しても次第に「不感症」になりつつあった。

つまり……「怒っても当然」のことに対しての「怒り」さえも、失われつつあったように思います。

この記事を読んでいてそれを思いました。被災者の人たちは怒っていいんだと思います。それは、天の与えた災害に対してではなく、そこに至るまでの社会のあり方と、災害のあとの国のあり方に対して。

怒りは必要です。
「我慢するべき」怒りは当然ありますが、「我慢してはいけない」怒りもあるはずです。
その怒りが、社会や世の中を進めていくのですから。前進させるのですから。

かつては、人は力によってしかこの「訴える力」を持てなかった過去もありました。けれど、今は違います。ネットがあり、様々な表現手段が許されている今は、力に頼らずとも言葉や行動でそれを表すことができるはずです。下を向いているのではなく、正しい視点を持って正しい情報を集め、そしてそれをきちんと受けとめることができる人たちがどうしたら伝わるのか、どうしたらそれを形にできるのかを考えて集約することができるはずです。

エネルギー論争も、本来のこの日本の力を持っていたら原子力に頼らなくても太陽光などのクリーンで自然なエネルギーを大きなパワーに変えることが出来る力はあるはずだと思います。かつて日本がそれほど電気に頼っていなかった時代の状態を想い出してみたら、「電気が必要」な部分と「必要でない」部分をきちんと見分けて電気に頼らない社会が生み出せるはずです。

(実際、「節電状態」の今、真夜中が暗く星空が見える状態の快適さを想いだした人も多いのではないでしょうか)

人びとの応援の声が莫大な支援金となって形になっているのだから、それを「この先の復興」という大きな目標のために被災者の立場に立って、その目線や視点から有効に活用して行ったら、それが形になったら、失った物に心を寄せながらより温かく人の血の流れる町づくりが可能になっていくはずです。

たとえば、先日目にしたこの記事。
東日本大震災:家電6点セット購入に 赤十字社の義援金

果たしてこういう義援金の使い方が、寄付した人びとや、もっと言うと被災地の人びとの「本当の望み」にかなっているのかどうか?そういう観点で物を見たときに、「我慢」するべき事と「我慢しなくても良い」部分に対しての観点がどうにもずれているように私には思います。お金の使途を決めるのは、赤十字や国ではない。寄付した人たちの想いと、それを受けとめた被災地の人たちの本当の意味での「復興」……元気な世の中に戻るための力になる、という観点で考えるべき事なのではないでしょうか。

そのために、私たちは……自分の持っている「きちっと自分の足で立って歩いて行かれる社会」に必要な物、そのイメージを最大限に生かして拡げて、力にしていくことが大切なのではないかと思います。

確かな視点。
目先のことに囚われない、長い目で将来を見つめる目。

「我慢すること」は、人から押しつけられるのではありません。
「我慢」とは、自分の目標に向かい、明るい未来に向かうときにそれをかなえるためにすることであって、あきらめるためにする物ではありません。

我慢して下を向くのではなく、前を見つめて歯を食いしばって進む我慢。

自分と社会全体の進むべき方向の基準に基づいて「我慢すること」を自分で決め、確かな視点と方向性を持って今、力強い復活のイメージを目指してみんなで一緒に歩いて行くときなのではないでしょうか。

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最近、本編は休止状態でコラム「INTERMEZZO」ばかり書いていますが、このご時世と言うことでしばらくご容赦ください。たぶん、「イメージする事」の大切さや過去に学び、前に進むためにとても大切であることを「今この時」考え粘らない状態なのだと思います。だから、本編は一休みして、今この時に皆さんと考えたい事、考えるべき事をしばらく記述していこうと思います。

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駒村みどり
【スマイルコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

信州あそびの杜学園長

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(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
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詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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