INTERMEZZO14-2 被災地をめぐっての3日間~1茨城

茨城を選んだのは、正直言うと「震災の被害状況を見る」というよりは、翌日の行動を考えたときに沿岸を北上してみるのに都合が良いから……という本当に軽い気持ちだった。

けれど、「想定外」の言葉でこの第1日目の茨城からすでに私は打ちのめされた。

被災地をめぐる3日の旅から戻った今、その気持ちが茨城の人たちにとって本当に失礼であり、被災地の情報を集めていたつもりでも何もわかっていなかった自分を露見させることになるのだが、それも私自身の包みかくさない姿であるからきちんと記していこうと思う。

3月11日の震災が起きた後、私はひたすらTwitterで情報を集めていた。
テレビの映像は衝撃的なものばかりが流れ、それもいつも同じような場面ばかりだった。
だから、本当の情報はテレビじゃだめだ。ラジオで即時的なニュースを得ながら後はひたすらTwitterから飛び込んでくる様々な情報を眺めていた。

震災の翌日からその後しばらく、こういう言葉が浮かび上がっていたことを想い出した。

「茨城だって、被災地なんだ!通り過ぎていかないで!」
「栃木にも支援物資を!救援を!」

テレビや新聞の報道は津波で壊滅的な被害を受けた宮城や岩手の情報が多く、やがて原発の問題が浮上すると福島もそこに加わった。しかし、茨城や栃木に対しての情報はというと、ほとんど入ってこなかった。

(これに関しては、3月12日に震度6の地震に襲われた長野県の栄村についても同じようなことが言える。ふつうだったら震度6の地震が起きたら新聞やニュースはこぞって書き立てるのに、この頃は東北に埋もれて栄村の情報もほとんど入っては来なかった。このあたりについては、またのちに書き記します。)

情報がないという事=被害がなかったという事……ではないのだ。
けれど、今の日本ではどうしても被害の衝撃性が重視されてより刺激性のある情報にメディアは走る。それにおどらされないようにと自らで様々なところから情報を得ていたつもりだったけれど、やっぱり自分もメディアの影響をうけていたのだ……想定外だった。

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9月10日の朝。
長野県を息子(20才)、娘(18才)と共に車で出発する。
長野県の私たちの生活範囲では今回の震災ではほとんど被害が出ていないから、「いつもの秋」ののどかな風景が目の前にひろがっていた。

天気は上々で青空がまぶしい。
ここから先に見えるであろう被害状況はとりあえず本で予備知識を入れ、もしくは今まで現地に行った人びとや現地に住んでいる人たちとの交流から得た知識である程度頭の中に思い描いてはいたものの、「津波」とは縁がない長野県であり、「原発」とも縁がなく、地震の被害も目に見えていなかったから気楽なものだったような気がする。

佐久のSAで、これから会って話を聞く予定の被災地の方々におみやげを買う。
そしてまた秋の高速道をひた走る。
上信越道で群馬に入り、この3月19日に全線開通したばかりの北関東自動車道に入る。開通はあの3月11日の直後だったけれどこのあたりは地震の被害はほとんど無かったのだろう。

北関東自動車道は栃木県の岩舟JCTから、いったん東北道に入り、栃木都賀JCTからふたたび茨城県ひたちなか市に向かって北関東を横断する形になっている。
この、栃木都賀JCTから北関東道に入った途端に、高速道から見える家々の屋根に何か青いものが目立ちはじめた。
よく見ると、それはブルーシートで、そのブルーシートがとばないように石を乗せて押さえてある。
その家々が、高速道の両側にかなりたくさん見えてきたのだ。

長野~水戸

「あれ、もしかして地震の影響?」

写真を撮る。そのブルーシートの家は、次第に見え方が頻繁になり、さらにブルーシートでの補修の面積がどんどん大きくなっていった。(地図の赤い×をした地域)

3月11日に地震が起きて、この日9月10日で半年を経たことになる。
栃木や茨城はもうとっくに「日常」へと戻っているものだと思っていた……。

その「想定外」の光景が目の前に広がっていく。
さらに、水戸市内に入って町中を走ると屋根の修理をしている家、いまだにブルーシートの家、壁にひびが入っている家、ショーウインドーをブルーシートで覆ったままのお店……そこにあるのはまだまだ「完全復興」という文字にはほど遠い町並みの姿だった。

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「海の方まで行ってみようか……。」

運転している息子とどちらとも無く声を掛け合って、水戸を通り過ぎてさらに海の方に走ることにした。
ひたちなか市の方に向かって見たが、途中から本を見た息子が「大洗海岸行こう。」と言ったので、大洗海岸を目指してみることにした。

……その「大洗海岸」は、静かだった。
津波に襲われたと思えない美しい光景が広がっていた……その海辺ではがれきもほとんど無く、たくさんの人たちが波打ち際で海と遊んでいた。ここは穏やかだ……とホッとした。

私たちが到達したのは大洗海岸の水族館「アクアワールド」のあるところ。
大洗海岸は4メートルの津波と言うけれど、ここは穏やかで静かで、人の心を和ませる場所だからいち早く復興したのだろう……と思ってしまったのだ。

けれど、それもまた自分たちの無知のゆえの誤認だった。

水戸~大洗

実際に被害を受けたのはもう少し南の海岸沿い。(地図参照……クリックして拡大してみてください。青い網掛けになっている部分が浸水した場所です。)

大洗の町は約半分が浸水し、大洗港の船が陸に乗り上げ、大きな被害が出ていた。茨城でも津波による被害者が北茨城で出ていた。……みんな、知らなかった……。

それを知ったのは、アクアワールドから偕楽園を見に行き、夕暮れになってホテルに行く前に寄った本屋の「震災関連コーナー」で見た本からだった……。

こちらの本屋の画像を見てほしい……。→茨城の本屋にて。

私は、この震災関連コーナーで初めて「茨城の事実」を知った。
今回、まったく調べなかったわけではないのだ。ネットで「茨城の震災の被害」についてを調べまくったし、本やでも「震災の全体像」が見える本を探し求めたのだ。けれど、それらの本にはやはり「関東圏」である栃木や茨城のことはほとんど書いてはなかった。
ネットで得られた情報は……偕楽園が被害を受けた、ということだけだった………。

地元の本屋では茨城の被災の現状についてまとめた本が出ていて、それをパラ見しただけでも茨城の受けた被害の大きさが伝わってきた。

これでようやく、あちこちではためいていた「がんばっぺ茨城」の旗の意味と、たくさんのブルーシートでの補修の意味と、さらに海岸に向かう道路のあちこちがぼこぼこになっていたり亀裂が入っていたり、補修工事の真っ最中だったりする理由を納得したのだった。

情報がない=復興している……が大間違いであることを、ここで改めて実感した。

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水戸の偕楽園は……、3年前の夏に家族で水戸を訪れたときの写真があったのでそれを見てみるといかに偕楽園も酷い状態にあるのかが実感できた。もっと明るいうちに来て、ちゃんとみておけばよかった。偕楽園についたのは、もう閉園直前の4時50分ぐらいで日も沈みかけていたので写真はほとんどとれなかった。

このあたりも、無知ゆえのコース選択の誤りだった………。

かろうじて撮れた写真で「今の偕楽園」と「3年前の状態」を比較してみた。→水戸偕楽園今昔’08と’11

アクアワールドで海岸を見たつもりになり、すでに真っ暗になってしまった偕楽園を出て、本屋で「茨城」を再認識して後悔しても後の祭り。
けれど、その「想定外」を受けて自分の甘さやメディアの報道の偏りを実感したことは、今回の自分の震災の認識にとってはすごく大切な想いの一つになった。

そしてますます、メディアを信じず自分で情報をしっかり確かめることの大切さも。

こうして自分で見た「茨城」を伝えることで、メディアには乗らなくてもいまだに震災の傷と戦う地域があるということも、できるだけたくさんの人たちに知って欲しいとそう思った。

この日の画像はこちらにまとめてありますので、ご覧下さい。
2011.9/10水戸~大洗の状況(水戸~になっていますが、北関東道の栃木県内の画像も含まれていることをお断りしておきます。)

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付記:
茨城では、3月11日のほぼ1ヶ月後の4月16日に震度5強の地震も起こっています。
私はこの時の記憶はあるものの、「大したことがない」という印象の報道に安心していた可能性があります。
けれど、震災当時に震度6強の揺れのダメージから立ち直っていない上に震度5が来たら……かなり危険な状態ではないのかと、そして今まで復興ができないのもその影響があるのではないかと思ったりします。

一方、この日水戸を訪れたその時間に震度4の地震も起こっています。けれどこちらは、自分たちが車に乗っていて全然入れに気が付かなかったことと報道を知る機会もなかったことでまったく気が付きませんでした……。

参考資料(wikiの「東日本大震災」のページより画像を借用しました)

524px-Shindomap_2011-03-11_Tohoku_earthquake.png

656px-2011_Tohoku_earthquak.jpg

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被災地をめぐっての3日間~2郡山 へ続く

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PROFILE

駒村みどり
【すまいるコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

信州あそびの学園 代表

Twitter:komacafe 
HP:コマちゃんのティールーム
  信州あそびの学園

facebook:Midori Komamura
     信州あそびの学園
笑顔をつなぐスマイルコーディネーター

アメブロ:【うつのくれた贈り物】


WebマガジンNgene特派員
(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

詳細は【PRPFILE】駒村みどりに記載。

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