1 「寄り合い」 の減少がもたらしたもの
「カフェミーティングというものをやろうと思っているのだけれど」
そう声をかけられたのが2007年、冬の足音が近づく頃でした。声をかけてきたのはその頃ネット上でコミュニケーションツールとして盛り上がっていた「SNS」の長野県版、N[エヌ]を立ち上げプロデュースしていた宮内俊宏氏。
Nのいちメンバーとして交流を楽しんでいた私が日ごろ「日記」や自分のHP、ブログなどで訴えていた言葉が宮内氏の目に止まり、このカフェミーティングの手伝いをしてはもらえないか、という申し出だったのです。
「カフェミーティング」の構想の元にあるのは「井戸端会議」。
かつてはよく見かけるこういった「寄り合い」の光景も今は昔になり、ご近所さんで集まって老若男女、性別や年齢差を越えた「やりとり」の出来る場所がどんどん消えていました。それはあらゆる場所で起こっていることでした。
私が学校職員として新卒の頃、よく先輩の先生が「おい、みんな今日は飲み行くぞ」と誘ってくれて、仕事の後で1日のことや生徒のこと、指導方法のことなどを先輩後輩入り乱れて熱く話をしたものです。
不思議と、学校を支えるアイディアはそういうときに生まれます。職員会で書類を前にしかめっ面で手を挙げて発言して……というよりもずっと面白くてワクワクするようなアイディアや意見が出ました。気楽でオープンな気持ちだからこそそれぞれの経験や人間味が大いに発揮されて、いかにみんなが真剣に生徒のことや指導のことを考えているのかも伝わってきました。
かつてはそれが学校の中でも行われました。「休み時間」の時にお茶を飲みながら。運動会や音楽会などの大きな行事の後、学校の体育館でPTAの皆さんと。あらゆる「気楽な交流の時間」はすなわち創造の場でもありました。
けれど、学校での「校内の宴会」は禁止されました。ごく一部の「不祥事」の事件のせいですべての「学校の飲み会」は不謹慎とされたのです。
また休み時間にお茶を飲む先生たちを見て、学校でお菓子食べたりお茶飲んだりなんて……という一息のリラックスさえも許さない意見から、さらに学校にどんどん増える雑用で……先生たちはそんな時間さえも削ってかけずり回らねばならない情勢の中、「井戸端会議」「寄せ集まりの雑談の場」が削られていきました。
さらに普段の職員の交流がほとんど無いため、年度末などの慰労会でさえも盛り上がることがなくなっていきました。
かつて若い先生は教育への情熱や生徒への想いを語り、年配の先生は自らの経験談や教師として必要なヒントを語り、その中からお互いがより良く新鮮なアイディアを生み出したり発見したりしました。
年齢や性別、経験の多少という「枠」を越え、時間の規制や言論の規制も越えた、そういうところから生まれてくるものが学校を支えていたのは確かです。その場を失った学校が温もりを失いベルトコンベヤー化するのは仕方がないことかもしれません。
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