» ライブレポートのブログ記事

「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」
              (なかがわよしの 書き下ろし掌編小説より抜粋)

7月3日 19時開演  「傘に、ラ。」Vol.17   今に生まれて今に死ぬ 
出演:outside yoshino/タテタカコ   共演:なかがわよしの   

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「なぜ、この二人かって?
 だって、この二人って『今を燃焼』しているじゃないですか。」

ステージをじっと見つめて音に合わせて身体が揺れるなかがわ氏。
その表情は目の前のステージからダイレクトにガンガン飛んでくる音の固まりを受けとめて、生き生きと輝いていた。

なかがわよしの氏が『今』をテーマに企画・開催して17回目を数える『傘に、ラ。』追いかけて4回目の今回の取材はネオンホールで二人のゲストを迎えてのライブ。

「今に生まれて今に死ぬ」というタイトルを冠し、outside yohinoとタテタカコを迎えた「傘に、ラ。」としては珍しい有料イベント。

そこでなかがわ氏は表には一切登場しなかった。

「なかがわさんはステージ出ないんですか?」「いや、そんなおそれおおいじゃないですか。でも、自分はちゃんと小説を配って、それから気持ちの上では共演していますよ、ちゃんと。」

最初は、その意味がわからなかった。
けれども、ライブのステージが進むにつれて、わたしはなかがわ氏のその想いがわかってきたような気持ちになった。
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最初のMCが、ギターの強烈な和音にかき消される。
outside yoshinoのステージのオープニングはなんともつかみきれない語りから突然たたきつけられたようにはじまった。

outside yoshino
メンバー:俺   影響を受けた音楽:今まで聴いて来た全ての音楽と雑踏の騒音
音楽スタイル:エレキギターと声   レーベル:吉野製作所   
レーベル種別:アマチュア 

                (myspace.com/bedsideyoshinoより)

outside yoshinoのプロフィールを捜してみても、ようやくこれを見つけることが出来ただけ。「そんなことは、どうでもいい」という声がきこえてきそうだ。

たたきつけるようなギターの音と、outside yoshinoの叫びに似た歌声が客席に降り注ぐ。まるで機関銃の一斉射撃を受けるような衝撃。最初はただ「かっこいい」と思った。だけど、聞いているうちに、「かっこいい」から次第に離れていく不思議な感覚に陥っていった。

はじめてギターを手にした15才の不安定な少年時代。隣の家の犬をライバル(?)にしてひたすらギターを弾き続けた時の歌。聞いているうちにyoshinoのギターに反応して必死でほえる犬がそこに見えたような気になった。自分に挑んでくる得体の知れないものに対してただひたすらにほえ返す犬の姿は、何かをつかもうと必死になって、自分の中にあるぐしゃぐしゃなものと闘う15才のyoshinoの姿にも重なってくる。

次々に流れる言葉たちの中で、わたしの心に突き刺さった歌詞。

「弱いものから順に死んでいくのが当然なんだってよ………
 冗談じゃねぇぞバカ野郎 殺されてたまるか。
 言いなりになって捨てられるために生きてきたんじゃないはずさ……」

                      (「ファイトバック現代」より)

家に戻って、ライブの写真をPCに取り込んで見た。写真は「時」の中に流れていくoutside yoshinoのその瞬間……「今」を切りだしていた。

その表情は、突き放したような鋭さを持つ歌詞から感じる強さではなく、時には泣き出しそうな、時には祈るような……そんな種類のものだった。

「『傘に、ラ。』のテーマである『今』って、吉野さんにとって何ですか?」

ライブのあとで、“吉野氏”に戻ったときに聞いたこの問いに、返ってきた答え。

「え?『今』以外にいったい何があるの?」

その答えはあまりに強烈な直球だったので、わたしは受けとめた瞬間しびれて次の言葉が継げなかった。こんなに潔い「今」の表現って初めてだ。

「僕の音楽はね、ブルースなんだよ。」

この一言を聞いたときに、outside yoshinoの音楽を聴いているうちに単なる「かっこいい」から離れていった自分の中の不可解な感覚が見えた気がした。

あったかいのだ。彼のギターの音は。限りなく優しく、その鋭い歌詞を包み込んでいたのだ。激しくギターをかき鳴らすoutside yoshinoとギターは一体になって、祈りや叫びにも似た歌声を包み込み、それが受けとめるこちら側に「届けられる」感じ。

それは、「すごいアーティスト」が発する音楽を受けとめる、という感じではなくて一人の人間が「今」を必死で「生きている」その感覚の中に一緒に浸かっている感じ。

必死で何かに向かってあがいて、その中で泣きたくなったり、叫びたくなったり、そんな風に人間が生きている。ステージのoutside yoshinoも、受けとめるわたしも。

その言葉に出来ないものが、outside yoshinoの音を通して自分の中にある感覚を呼び起こしたのだろう……。聴きながら、やっぱり、今、必死で生きている自分もまた切なくて泣きたくなるような、そんな感じで胸がぎゅーっとなっていった。

最初、「かっこいい~」と思ってただその音の力に圧倒されていたわたしが感じた不可解な感覚は、これだったんだ。

そして、これが……outside yoshinoの「今」の形。

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「こんばんは、タテタカコです。」

いつもタテタカコのMCはピアノの前に座ってこんな風に礼儀正しい挨拶からはじまる。縁あって、タテタカコのライブは何回か聞いてきていたので、そんな「いつも通り」のオープニングをごく自然に受けとめて、いつものように流れるピアノの音に耳をかたむけた。

だけど、そこに続く時間は、いつの間にか「いつものように」ではなくなっていた。

タテタカコ
ハードコア・パンクからアヴァンポップまで、あらゆる表現分野を内包し得る新種(あるいは、珍種)のシンガー&ソングライター。
ピアノと歌だけを携えて、剥き出しの表現者魂に導かれるまま独立独歩で歌って歩く。

           (タテタカコHP—プロフィールより抜粋)

「いつものよう」ではないこの感覚は、じわじわとゆっくりやってきた。
何回も聞いた歌、馴染みの旋律。なのに、なんだかちょっと違う。

さっきのoutside yoshinoのステージで感じたのとはまた違う「不思議な」感覚。
またしても聴きながら不可解な状態に陥ってしまった。

「タテさんにとって『今』って何ですか?なかがわさんから、このテーマでの話を受けて、どんな感じがありましたか?」と問うと、タテさんはこう答えた。

「そうですね……なかがわさんからこのお話をいただいたときに、吉野さんとできるって思って、今日までこの時に向かってず~っと来た、ってそんな感じです。」

そういえば。ライブの途中のMCで、タテタカコはこう言っていた。
「新しいアルバムを出したんですが、今回はいろんな人とやりました。なんだかものすごく、そうしたいって感じたので。」

今まで、自らのピアノと歌だけで構成してきたステージやCDだけど、今回は違った。「人とやりたい」という想いがぐっと生まれてきた。この「傘に、ラ。」でもoutside yoshinoとやるんだ、まずその想いがタテタカコをこの「今」に導いてきたようだ。

「今は、こういうことがだんだん楽しくなってきているんです。」

昨年、タテタカコは友人の石橋英子と曲作りをし、ステージを共に構成した。それから「音楽を知らない」カンボジアのたくさんの子供たちに「音」を届けに行き、たくさんの子供たちと出会ってきた。

「それは、とても大きな影響があったと思います。それまでわたしは人と話すことがとても怖かったんだけれど、人と一緒にって事が怖くなくなってきた。そうしたら、だんだんライブとか話をすることとか、楽しいな、って思うようになってきたんです。」

わたしは自分の中に生まれた「いつもと違う」タテタカコへの感覚がどこから来たのかがわかった気がした。

「楽しくなってきた」……これだ。

今までわたしは、タテタカコのステージはいつもある「緊張感」を持って聞いていた。天から降り注ぐものをタテタカコが受けとめ、それを伝えるのを神妙に聞く……そんな感じ。

だけど、この日のステージではそうではなかったのだ。

たとえば、植物は「光合成」と「呼吸」をして生きている。
呼吸で排出したものを再び光合成のために身体に取り入れ、そこで作り出した物をエネルギーに生きて成長し、排出したものをまた呼吸で身体に取り入れる。そのくり返しで植物は自然の光や水を材料に自給自足で生きている。

この日のタテタカコはまるで植物のようにその音を生み出し、吐きだし、また取り込み……を、自然の流れのままでやっている感じ。outside yoshinoの音は、光や水といった光合成や呼吸のための材料やエネルギー。そして生まれたタテタカコの音は、受けとめた観客の感覚と混じって再びタテタカコの中に取り込まれ、ひとつになってまた音として吐き出されていく。

それは「今」この時、この場だからこそ生まれてくる音。タテタカコの中にある「楽しくなってきた」という感覚がそれをさらに膨らまして、拡げていく。会場も、共演者も、一緒になって呼吸し光合成をして、ステージが進んでいく。

それは、タテタカコが「祈りの肖像」という曲を歌ったときにぶわっと伝わってきた。

花よ誇れ その身を燃やせ 人よ歌え その声届くまで 
雨よ踊れ 乾き満たし 流れ続け 続け 続け
人よ歌え 生まれ変わる歌を 歌を
       (「祈りの肖像」より)

以前のように「天から降り注ぐ」感じではない。大地に根をはったタテタカコが大地から吸い上げたものや、生きるための自然な営みから生まれたものを広い空間にぱぁっと放ち、聞いている自分もそれを自然に身体に取り込む感じ。


今までライブで感じたような「緊張感」はまったく必要なくなっていた。

「今日のステージ、なんだかすごく拡がった感じがしたんです。」 そうステージ後のタテさんに語りかけると、「そうですか、もしそうだとしたら、それはきっと一緒にやってくださったyoshinoさんと、今日来てくれたお客さんからもらったもののせいだと想います。」いつものはにかんだような笑顔と共に、そんな答えが返ってきた。

「今」を生き、「今」を楽しむタテタカコが中心になって「今」が渦と拡がりまわりを包み込む。

……これが、タテタカコの「今」のあり方。

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「傘に、ラ。」の企画者でもあり、ずっと「今」をテーマにこのイベントを持ってきたなかがわ氏が、なぜ今回このステージには立たなかったか。

この日、この二人を招いたステージを作りあげたこと、これ自体がすでになかがわよしのの「今」の表現の形だったんだ。

つまり「なかがわよしの」は自らステージに立たなくてもこの二人とちゃんと「共演」していたわけで、その想いを受けてここに来た二人の音楽から「今」がものすごく濃い密度で発信されていたということなんだ。

「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」
               
最初に引用したこの一文は、なかがわ氏がこの日、配った小説の一節。
二人の「音楽」から生まれる力と、なかがわよしのの「小説」から伝わる想い。

「今に生まれて今に死ぬ」……今、この時を生きている。私たちは生きている。
過去も未来もどうでもいい。今、ちゃんと生きているんだから。こうして何かを感じて熱くなってここに共にいるんだから。

なかがわよしの、outside yoshino、タテタカコ。と、この日ネオンホールの空間を共にした人たちが生み出した「今」はこうして思い切り燃え上がり、その幕を閉じた。

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今後の「傘に、ラ。」 (注:記事掲載当時’10.7月の情報です。)

10年7月25日(日)
「傘に、ラ。vol.19 ~カラーコーディネイト講習会やります。~」
@ナノグラフィカ 時間;13~15時 講師;一色はな

10年8月22日(日)
「傘に、ラ。 vol.20 ~果樹園で朗読会。~」
@丸長果樹園 出演;植草四郎、井原羽八夏、なかがわよしの
詳細後日発表

10年12月4日(土)
「傘に、ラ。 vol.23 ~なかがわよしの告別式  たとえば僕が死んだら~」
@ネオンホール 詳細後日発表
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写真・文 駒村みどり

「長野市は川合新田からやってまいりました、なかがわよしのです。」

おなじみの前口上だけれども、聞く場所によってこんなに違うものなのか。

カタカナの「ラ」が、傘をかぶったら?……「傘に、ラ」の試み(その1)

言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)

今まで2回にわたって取材してきたなかがわよしの氏の「傘に、ラ」のシリーズ。
今回は、2月の末にネオンホールで行われた「芝居」の会(「傘に、ラ vol.8」と、先日6月始めに行われた田植え&田んぼでライブの会(「傘に、ラ vol.16」)のふたつの会を取り上げてみようと思う。

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なかがわよしの氏。
彼が「今」をキーワードに様々な試みをしている「傘に、ラ」。
詩の朗読や対談、音楽や芝居など様々なジャンルでいろいろなゲストと共にこれまでいろいろな場所で展開されてきた。

ナノグラフィカ、ネオンホール、そういった「会場」で行われたり、最近ではツイッターといったネットの上で展開されたり。

2月の「傘に、ラ」は、凍てついた空気の中、ネオンホールで行われた。
ちょっと遅れて入った会場のステージでは、女性二人がおしゃべりをしながら餃子を作っていた。そこにあるのは、ごく普通の「日常」を切りとっただけの一場面だった。

前半は赤尾英二氏脚本・演出による「餃子のなかみ」という現代口語劇。
激しい動きはない。ステージの上では餃子の具をきざみ、それを包み、「いただきます」というところまでの30分の展開。

ところが、「餃子を作って食べる」というその一連の流れの中で交わされる会話はかなりドラマティックだ。赤尾氏の演じる弟と、囲む姉二人(司宏美氏、田中けいこ氏)の3姉弟の間にはいろいろなわだかまりがあって、「親の死」という事実の前にお互いの想いがぶつかり合う。

妹弟を思うがゆえに口うるさくなる長姉。素直に受け止められない弟。間にはさまれる次姉。その3人の想いを紡ぎ、気持ちを繋げていくのがひとつのセリフだった。

「来た道を振り返ってはため息をつき、石橋をたたいては渡るのをためらう。」

先を見過ぎても、過去にこだわりすぎても進めない。せっかくのこの瞬間を見失ってしまう。そのセリフは出来上がった餃子から立ち上る湯気のようにステージ上の3人を包み込み、餃子の香ばしい香りと共に会場にも広がり、さらにはなかがわ氏の一人芝居へと引き継がれていく。

(ちなみにこの餃子、前半の劇終了後の休憩時間に会場のみなにふるまわれた。写真を撮っていてわたしは食べ損なったがおいしそうだった………残念。)

続くなかがわ氏の一人芝居。彼が演じるのは、売れない脚本家。

売れない彼は、ある日「声」を聞く。
~「今」をわたしにおくれ。おまえはすばらしい過去と未来を手に入れる。地位や、名誉はおまえのものだ。~

そうして彼はその声にしたがって「今」を捨て去る。
あっという間に売れっ子の脚本家に変貌した彼の「過去」には華やかな名誉ある足跡が刻まれ、「未来」は光にあふれて輝く。金も、地位も、女も、栄光も……彼は「すべて」を手に入れる。たったひとつ「今」をのぞいたすべては彼の思いのままだった。

しかし、彼には「今」がない。だから、「今を生きている」実感がない。
どんな名誉が過去にあっても、その名誉を受けたその瞬間の実感がない。この先必ずすばらしい成功が来るのは約束されている。だから今、そこに向かう緊張感もない。

ちやほやされても賞賛を浴びても。彼はその「瞬間」の記憶がない。

「さみしい」「むなしい」「悲しい」

次第に彼の心は、華やかな実情とはまったく別の感情に占領されていく。
そして彼は、かつて自らの「今」を明け渡した「声」に、再び乞い願う。
「お願いです、僕の今を返してください」………と。

声は答える。
「それなら、おまえの命とひきかえに『今』を返そう。」

彼は、今……その「一瞬」を手に入れ、その瞬間にすべては「無」に……。

ネオンホールの真っ暗な空間に、沈黙が流れる。
「今」というテーマがぎゅっと凝縮され、一瞬の光を放って、消えた。

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6月に入ったばかりの日差しまぶしい小川村の田んぼ。
白馬に向かうオリンピック道路に向かって登っていくのぼり道をすこしあがると、歓声が聞こえてきた。

道から一枚の田んぼが見える。その手前の広場には軽トラや自転車が停めてあり、祖田んぼ沿いの空き地にはテントとビールケースをひっくり返した即席テーブル。

小さな煙突つきのストーブからは煙が上がり、その上で豚汁がおいしそうに湯気を上げている。そこに田植えをしている人がいなかったら、それはさながらキャンプの光景。

「傘に、ラ。vol.16~田植え的ピクニック~」

なかがわ氏からいつも送られてくる「傘に、ラ」の告知メールにはこう書いてあった。

田植えやります! 当日苗がどんくらい集まるかわからんので、「え!? もう終わりっ」とかいうこともなきにしもあらずだけど、豚汁食ったり、談笑したり、誰かが歌ったり、あっちで即興芝居はじまったり、ラジカセからなんかいいカンジの音楽流したりして、またりーと過ごす予定。「ピクニック、ときどき田植え」な催しです。 

なかがわ氏、奥さんに誘われて姨捨の田んぼの農作業を経験、それで田んぼの面白さに目覚めたそうなのだけれども、今回それが「ピクニック」という発想につながったのはナノグラフィカの高井綾子さんとの会話がきっかけだそう。
(ちなみに、高井さんは昨年松代で田んぼ作業を経験、その模様はこちらから。
皆神山の麓の田んぼで…・ 桃栗三年柿八年、田んぼの稲は?

高井さんから小川村で田んぼをやっている大沢さんを紹介してもらって今回のこの田植えイベントになったということ。

この田んぼは、小川村に移住してきた大沢さんと、お友達のジョンさんの家族が借り受けてやっている田んぼだそうで、大沢さんも田んぼや農業に関わりたくて長野県にやってきた人。小川村では農業就業者の年齢が高齢化して、今ではあき田んぼが増え、大沢さんやジョンさんのように借りる希望者がいても、それよりもあき田んぼの数の方が多いのが実態。

けれど、そんな中でも「田んぼ」を受け継いでやっていこうとする人がいる。
なかがわ氏も、それから今回ここに集まったなかがわ氏の友人の多くの人も、何らかの形で田んぼに関わっていた人たち。

その人たちが今回、なかがわさんの呼びかけで集まってみんなでワイワイと田植えをしちゃおう、ということなのだ。

家族ぐるみで参加している人が多く、小さい子供もたくさん。水位を下げているとはいえ田んぼのどろどろの中、膝の上まで泥にはまって田んぼのかえるやオタマジャクシと戯れながら、ひとしきりお田植え。

2時をまわった頃には、田んぼの端までしっかりと苗が植えられて、せき止められていた取水口から勢いよく水が流れ込み始めた。
そして田んぼの横に停めてあった軽トラが、一転ステージに変貌する。お田植え会場は、あっという間にライブ会場に変身。なかがわ氏の詩の朗読がはじまった。

田んぼに水の注ぐ音。空の高いところを吹き抜ける風の音。なかがわ氏が「今」を紡ぐ音。それらが頭の上にひろがった閉ざされることのない空間に広がっていった。

続いてステージに登場したのは地元小川村のデュオ、「やくばらい」のおふたり。
オリジナルソングを中心に、10分ほどのミニミニライブを展開。

ちょうど、田んぼの上の道を通りかかったおばあちゃんがその歌声を聞きながら、「いや、おんがくこういうところで聞くのって、なかなかいいもんだね。」と笑顔を浮かべてゆっくりと畑に向かっていった。


やくばらいミニライブのラストナンバーはメンバー紹介ソングだったのだけど、ここでジャンベをやっているという大沢氏が臨時参戦。けれど、ジャンベがそこにあるわけではなく、転がっていた長い塩ビのパイプをたたいての即席パーカッション。

やくばらいのお二人のデュエットに絶妙に絡んだ“パイプカッション”のセッション。
今、この時、この瞬間だから生まれた音が静かな田んぼの上を渡る風に乗ってのんびりと流れていった。

軽トラの即席ステージで、なかがわ氏の即興詩の朗読と、塩ビパイプの即席セッションが加わった田んぼライブが終わる頃、みんなが田植えで踏み込んで泥で濁っていた田んぼの水も、すっかり澄み渡って静かに青い空を映し出していた。

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暗く閉ざされた空間で、その空間の中に凝縮され、発表の場に向かってぐーっと焦点化されていった「今」があれば、どこまでも広がっていく無限の空間の中に、その瞬間にふと生まれてどんどん広がっていく「今」がある。

どちらもまぎれもなく「今」であり、その表現の形。

「なんかね、最近はテーマとかジャンルとかあまり気にしないで『これやりたい』と思うことをとりあげるようになってますね。」

田植えをなぜ『傘に、ラ』で取り上げたのかを聞いたとき、なかがわ氏はそう答えた。

なかがわ氏がこの「傘に、ラ」というイベントで持っている「今」というテーマ。
どうやらそれは、すでになかがわ氏だけのものではなくなっているようだ。なかがわ氏が取り上げるジャンルや会場、そういうものに影響を受けその場を共有したものたちの中に、しっかりと「今」が息づいて広がり始めているのではないか。

いろいろな形の「今」があり、いろいろな人の「今」がある。
それはみな違うものだし、その先がどこに向かっているのかもわからないけれども、そういうたくさんの「今」が出会い、触れあい、輝きあって「明日」に向かっていくのだろう。

始まって半年のなかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、そうしてこれからも様々な「今」を織りなしながら進化していく。

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今後の「傘に、ラ」
(注:記事掲載時2010年6月時点の情報)

10年7月3日(土)
「傘に、ラ。 vol.18 ~今に生まれて今に死ぬ~」@ネオンホール
出演:outside yoshino・ タテタカコ
料金/前売・予約3500円、当日4000円
問い合わせ/026-237-2719(ネオンホール)

10年8月22日(日)
「傘に、ラ。 vol.19 ~果樹園で朗読会。~」@丸長果樹園
詳細後日発表
10年12月4日(土)
「傘に、ラ。 vol.23 ~なかがわよしの告別式  たとえば僕が死んだら~」@ネオンホール
詳細後日発表

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写真、文 駒村みどり

(その1)よりつづき~

小児マヒによる緊張と硬直で動きにくい手の変わりに足を使いこなす風子こと冨永房枝さん。
彼女と話をしていると、まったくそういう「障害の壁」を感じない。なぜだろう?

ひとつに、彼女はいつも笑顔を絶やさない。もうひとつ、その屈託のない笑顔で話す言葉にはネガティブな感じが全くない。彼女は「障害があるから」という言葉を決して口にしない。

先日、取材のために一緒にランチでも、と迎えにいってお店に向かう車の中での会話。

「あのね、悪いけど今日、食べさせてね。」
「いやぁ~、悪いけどわたしも貧乏だからさ、おごるのはムリ。(笑)」
「そうじゃなくてさぁ~。」
「あははは、ちゃんとわかってるよ。大丈夫だよ、まかせてね。」

“食べさせて”という言葉の意味は「おごって」などではもちろんない。
レストランのようなお店では、椅子に座って食事をする。当然、足で食べる仕様にはなっていない。だから「食べ物を口に運んでね」という意味だ。

「足を使う」

その行為に対して、人は決して必ずしもいい感情を持たない。
何かをするのは“手が当たり前”だから。そして“足は汚い”という感覚が一般的だから。

手が使えない代わりに足でやる。今でこそ彼女の周りはそれを認めるけれど、子供のころからそうだったわけではない。実際、わたしも彼女の高等部時代に同じ学校の職員がこう話すのを聞いたことがある。

「彼女は、足でクッキーも作っちゃう。それはすごいけど、でも足で作ったクッキー食べる気にはなれないなぁ。」

もちろん彼女は足をいつもきれいにしている。今もキーボードを弾くその足のつめは手入れされてきれいにペディキュアが施されている。わたしは彼女がどんなに自分の足を大切にしているのか感じ、いつもきれいだなぁ、とその足に見とれてしまうのだ。

けれども“足は汚い”という感覚は一般的で、その中で子供のころから生きて来た彼女はその笑顔や明るさの裏に悲しみや苦しみもたくさん感じてきたことだろう。

“いたずらをしたい。触ったりぐちゃぐちゃにしてみたりしたい。”
それは好奇心の固まりの小さな子供にはごく当たり前の欲求だ。
けれども、周りの人間と同じようにやろうとしても、手が動かない。

動きたい、動かせない。
そのイライラが高まって、足を動かした。

「足の方が、じょうずにできる!」

そう思って足を使い始めた彼女だが、周りがそれを受け入れるのは難しかった。

「足で給食食べていい、って許してもらえたのは中学部になるときだったよ。それまでは、手の機能訓練ということでなんでも手でやるようにいわれたなぁ。『足の方がずっと速く、上手に出来るのになぁ』って思いながらやってたから訓練つまんなかったねぇ。」

笑顔でそう話すけど、食べることまですべて「訓練」にされるのはたまらなかったろう。みんなが美味しそうに食べているのに、お腹もすいているのに、手ではなかなか食べられず、時間もかかる。

「足で食べてもいい」と認められた(というよりは、「周りがあきらめたんだよ」と彼女は表現したが)ときには「やっと自分らしく出来る」という思いがあふれてきたそうだ。

「足でものをやる」ということひとつとっても、彼女を小さな頃から知る身近な者でもこれだけの抵抗がある。当然、彼女が受けてきた波は、それだけに留まらなかった。

わたしは彼女からメールをもらって再会の約束をしたが、その一方で久しぶりに会う「先生」という存在に対しての心の迷いや傷について彼女は自身のHPの日記に、こんな記述をしている。

養護学校の思い出は楽しいことよりも先に“辛いこと(当時の養護学校には障害児・者を理解できず“社会のお荷物”と口走り、生徒の心を無雑作に傷つける教師もいて、嫌な思いをしたこと)”を思い出してしまうからだ。教師と生徒だったことがあり「先生」と呼んでいたMさんに再会したら、私は平常心でいられるだろうか…?
(風子のきまぐれ絵日記 2007年5月「花香る風の中の再会は………」より)

同じように、彼女が1990年に出版した詩集「”女の子”のとき」にも障害のある自らに対する悩みや苦悩がこんな風に描かれている。

   なれているからこわくない
   いつも 口にするけれど
   うそです

   街を歩くのは こわいのです
   一人で歩く道は こわいのです
   いくら なれていても
   こわいものは やっぱりこわいのです

   家の一歩そとは
   心の戦場
   人の目は機関銃
   聞こえる声は大砲
   人の態度はミサイル
   わたしの心 殺そうとする
   わたし1人殺すのに 何十人、何百人

            (詩集“女の子”のとき「戦国時代」より抜粋)

が、彼女はそれを人前では臆面にも出さないのだ。「障害があるから」「手が使えないから」……彼女はそれを理由にしない。そして、その裏でどんなに汗や涙を流したのか、どんなに努力をしたのかも、ひけらかすことはない。

再会のとき、わたしはうつ病で学校に行かれなくなった休職中の教師で、彼女はボランティアでいろいろな学校にも講演に行くことがある立場から、「学校」の話になった。

彼女の“人目をひく姿”に対して、子供たちは当然興味を持つ。そういう人を見かける機会も少なければ、話をする機会などもっとない。だから、校長室やステージなどで話をしている彼女に子供たちは寄ってきて、時々こういう質問をする。

「ねぇ、なんでそんな変な恰好なの?」

その時に、周りの先生たちの対応はまっぷたつにわかれるそうだ。
「そんなこというのじゃない」と叱責し、彼女から遠ざけるパターン。
それを見守り、子供たちの疑問に対して彼女が答えるチャンスをくれるパターン。

自分の体について人がどう思うのか、彼女はいやというほど知っている。まだ経験の浅い子供たちならなおのことだ。そういう子供たちが「知る」機会を奪わないで欲しい、と彼女は言う。

「変な恰好」といわれたら、ちゃんと話をする。伝わるように、わかるように、きちんと話をする。そういう子供の好奇心をただ「言っちゃいけないこと」と押さえ、そういう対象から遠ざけたら、子供の中に残るのは「障害について口にするのは禁忌」……そんなマイナスのイメージ。知ろうともせず避けて通る人間が出来上がる。

だから、彼女は自分の体について知ろうとする子供やその好奇の目を遠ざけない。すごく落ち込んだり重い気持ちになることがあっても、そうして人とつながることをやめることはしない。

   こわいけど
   ミサイル・鉄砲 すごくこわいけど
   でも 歩く
   こわくなくなるまで歩く
   戦争が終わるまで歩きたい

   こわいけど やっぱり歩く
            (詩集“女の子”のとき「戦国時代」より抜粋)

  死んでもこの身体はなおらない と
  気付いたときから
  生きたい と思った

            (詩集“女の子”のとき「自殺」より抜粋)

それは、彼女の決意でもあり、覚悟でもあり、そして多分彼女が自分を受け入れた瞬間だったんだろう。再会したとき、高等部時代よりもずっと軽やかになった彼女の心をわたしは感じた。いつの間にか2時間も話し込んだ。そうして「また、会おうね」とわかれた。ごく普通に、お互い必死で生きている人間同士として。心から「また語りあいたい」と思った。

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「今回は、本当に久しぶりに新作を描いたんです。何を描こうか迷ったんだけど、紙一面を宇宙にたとえてみたんです。」

ミニコンサートの合間のMCで、今回の新作の話になった。
「銀河鉄道の夜」はあるけど、「銀河鉄道の朝」はどう?……そういわれて、ぱぁっとひろがったイメージ。1メートル×2メートルの紙を2枚繋げて約一週間で書き上げた。

野の花。とり。風、月、万華鏡。彼女の心の中にひろがる宇宙、銀河鉄道の朝にはいろいろなものが息づいている。寒くてしもやけに悩まされながら描ききった作品。

この中の「万華鏡」について彼女はこう語った。

「小さな穴をのぞくと、その中にひろがる大きなきれいな世界。
  それって人間とか宇宙とかに似ている。
  小さな人間が地球の上で動き回って悩みまくって
  あたふたしている様子のように思えたんですよね。」

さらに、この絵について内緒話をひとつ。

「実は、この絵の中に一カ所だけ塗り残したところがあるんですよ。
  これはね、まだ終わってないよ、これからも続くよ、ってそういう意味。」

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苦労も、悲しみも。悔しいことだってまだまだ山ほどある。
だけどそんなこと言っていてもしょうがない。

体が思い通りにならないから出来ることに制限もある。
だけど、それも自分の体。

そして、自分の体をしっかりと受け止め、自分も含めてあたふたしながらちっちゃいことでうだうだしつつそれでも生きていく人間の「生」を、万華鏡のきらめきのように愛おしむ。そしてまだまだ続くよ……と彼女の心はその歩みを止めることがない。

彼女の心はなにものにも囚われずに、自由に飛び回る。その自由な心が、彼女の笑顔に触れた物達に伝わって、そしてまたひろがっていく。

絵から、詩から、音楽から。彼女の足が生み出すすべてのものが、今日もまた輝いて“生きる”事の持つエネルギーを発信し伝え続けていくのだ。

もし、あなたの近くに「風子の絵足紙キャラバン」が訪れたら、そこに行ってぜひ一人の人間の命のきらめきと生きざまを感じて欲しいとそう思う。

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心は体には囚われない~風子、その1~) 

HP:「風子の絵足紙キャラバン
森の宿 林りん館 (長野県小川村「風子の絵足紙ギャラリー」併設宿泊施設)

(写真・文:駒村みどり)

春まだ浅い3月のある日。長野市篠ノ井にある額縁店2階のギャラリーで、会場から流れるキーボードの音楽。個展+ミニコンサート「春へのつぶやき」。そこでキーボードを奏でるのは「手」ではなくて「足」。奏でているのは、個展で「絵手紙」ならぬ「絵足紙」を含めたたくさんの作品を披露している「風子」さん。

「千の風になって」、「G線上のアリア」。
しっとり聞かせたかと思ったら突然に「トッカータとフーガ」。

「いやぁ、やっちゃったよ。」
演奏が終わるとそういって会場を笑わせる。

豪快で繊細。大胆で優しい。
彼女の持ち味は昔からまったく変わらない。

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「風子」。本名は冨永房枝。
長野県長野市に生まれる。生まれて半年後に風邪のための高熱が元で「脳性小児マヒ」を発症。それにより体幹の機能障害が残る。養護学校の高等部を卒業後、詩作、詩の朗読、キーボードの演奏などでボランティア活動を続ける。

1996年に「絵足紙」を始める。絵だけでなく、書など描き続けた作品は多数にのぼる。
(詳細は彼女のHPを参照のこと)

演奏会でも、話をしている最中にしょっちゅう汗をかく。(その汗も、足でタオルを持って拭き取る。)からだが常に緊張して突っ張っているうえに思いもよらない動きが常に止まることがない。ひとこと話すごとに体中が突っ張って、息が荒くなり顔がこわばるので話し声に集中しないと聞き取りにくい。

それは、小児マヒによる体のマヒと、緊張と、それから不随意運動のせいだ。
この状態にある人たちは、だから見た目はある意味「異様」だ。ゆがんだ体と顔。それは意識があって脳が働いている間はどうにもならないのだ。彼女らの緊張のない状態が見られるのは、脳が休んでいる「眠っているとき」だけだ。

こういう「機能障害」を持った人は、私たちの周りに普通に居るのだが……しかし、町でその姿を見かけることはほとんど無い。たいていの人は施設に入ってしまうか、「差別」「好奇」の視線が苦しくて家に引きこもってしまうか、あまり外には出てこない。

けれど、彼女はどんどん外に出て行く。
明るい笑顔と大きな笑い声と共に。

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わたしが彼女と「再会」したのは、2007年の5月。
再会のきっかけはネットのSNSだった。

「再会」と書いたのは、彼女との出会いはもう20年以上も前にさかのぼるからだ。

「なんかねぇ、久しぶりなのにそんな気がしないね。」
そう笑う彼女は、その時ふとわたしのことを「みどりちゃん」と呼んだ。
その呼び方が昔の二人の状態を的確に表しているようで妙に笑えた。

彼女の活動は展覧会やコンサート、講演を通じて今やかなり多くの人が知っている。支援者も多く、そういう人たちと共に彼女は自分の道を歩んでいる。けれど、わたしはそういう人たちが彼女を知る以前の姿を知っていて、そしてある意味、彼女との出会いでわたしの考え方も大きく変わった。

だから、今回の演奏会の取材記事を書こうと思ったときに、ただ単にみんなが知っている彼女の姿だけではなく、その頃の彼女を描きたい……とそう思ったのだった。

「風子」以前の「富永房枝」の姿。まずはそこから、入りたいと思う。

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「肢体不自由養護学校の高等部3年生 冨永房枝さん」。

それが、わたしが最初に出会ったときの彼女の肩書き。
そして、その時のわたしの肩書きは「その学校の新卒一年目の新米先生」だった。当時、採用されたぺーぺーの先生だったわたしは、特殊教育(当時の呼び名)の免許もないのに養護学校に配属されて途方に暮れていた。

もともとは音楽の免許を持っていたので、高等部に所属したわたしは音楽のクラスを二つ担当した。そのひとつのクラスにいたのが房枝さんだ。

「先生」とは呼ばれても、まだ養護学校について何も知らなかった私と、小さい頃からずっとこの養護学校で学んでいた彼女。学校のキャリアからいったら彼女の方がずっと慣れたもので、おまけに新卒のわたしと高三の彼女では実質いくつも年は違わない。

途方に暮れてあたふたしていたわたしからしたら、ある意味この学校では「先輩」とも言える彼女は体に緊張があって手が自由に使えないけれど、字を書くのも絵を描くのも、ランチルームで給食を食べるのでも、なんでもまったく手でやるのと変わらぬ出来映えでやってしまっていた。

驚いたことに、彼女の足は手よりもずっと器用に動いた。編み物……特に一番細かいレース編みでさえも……彼女はみんな足の指を駆使してやってのけたのだ。その足さばきは、わたしにとって本当に驚異的で器用さには舌を巻いた。

また一方で、専門である音楽の授業でもわたしは途方に暮れていた。
生徒たちは房枝さんだけでなく、みんなからだが思うように動かない。のどに緊張が走るから、歌を歌うのにも声を振り絞って必死だし、楽器を奏でるにもテンポやリズムの通りには行かない。

みんな音楽は大好きなのに……どうしたらいいんだろう?

その頃に、「文明の利器」が有志の方から学校に寄贈された。ヤマハの「ポータートーン」というキーボードだ。今は、簡単なものだったら1万円もせずに買えてしまうポータブルキーボードだが、当時はン十万もする高価なもの。

その登場のおかげで、思いもかけない展開が待っていた。

「先生、やろうよ。」

昼休みになると、わたしの教室に房枝さんがやってきた。
最初は片足でメロディーを奏でる。こちらの方は、足さばきはもう手慣れたもので(じゃない、足慣れたもの、だな。)楽譜を一緒に読めば割合すんなりと演奏が出来た。

彼女の技能をひろげたのは、今こそ当たり前のようにキーボードについている「ワンフィンガー和音演奏」機能だ。

左の指一本でキーを押すと、設定された「リズムパターン」に乗って「和音」がなる。コード進行に合わせて一本指でキーを押すだけで、重厚な和音伴奏がつけられるのだ。ワルツ、ポップス、ロックンロール、マーチ、ボサノバ、16ビート。それがたった一本の指で和音演奏と同時にパーカッションとして鳴ってくれる。

手の10本指では右も左も簡単にできる「和音演奏」だが、足の指は短くてとても無理だ。けれど、この「ワンフィンガー」機能だと、その一本指がありさえすれば立派なリズム伴奏になるのだ。

……と簡単そうに書いたけれど、当然右足でメロディーを弾きながら、テンポ変わらず流れているリズムパターンにのせて左足でコード進行を追うのは、普通の人でも大変なこと。

それに彼女は挑戦したのだ。毎日毎日、休みなく教室にやってきては練習する。曲は今でも忘れない。さだまさしの「天までとどけ」だ。

「あの曲ね、もう、さんざんやったから今はもう飽きちゃったよ。」

そういって彼女は笑う。確かにそうだろうね、そのくらいほんとに毎日何回も練習したものね。

もともと右足でメロディーを弾くことは出来ていても、この曲のさびの部分は16分音符が連続してどんどん音が上昇していくので手の五本指でも大変。メロディーがなんとか出来ても、それに合わせて左でのコード演奏がついていかない。いったいどのくらいの期間、練習したのだろう?今は華麗な足さばきでレパートリーもたくさんになった彼女のキーボード演奏の基本は、この時の必死な練習の積み重ねの結果なのだ。

そうして、「天までとどけ」が形になって、2曲くらい演奏が可能になった頃に、彼女は卒業して社会へと飛び立っていった。

この時のキーボードとの出会いが彼女のライフワークのひとつとして存在している。それは大きな出会いだったろう。でも、同時に、「この学校でこの生徒たちとどう音楽に向かい合ったらいいのだろう?」と悩んでいたわたしにとっても、彼女が毎日教室にやってきて練習し、仕上がっていく段階を一緒に悩み、工夫しながら味わった経験が「そうか、音楽って教科書や楽譜を教えるだけじゃない、その人なりに表現することなんだな」という大きな収穫と音楽指導の確信へとつながったのだった。

「あのね、最初にあったときにわたしが何考えていたかっていうとね………。」
「わたし楽譜読めないしさ、この音楽の先生、ニコニコして人が良さそうだから利用してやれ~って思ったんだ。」

そういって彼女は朗らかに笑った。
この取材のために改めて会って話していたときに、この頃を想い出して不意に彼女が口にした二十何年目の事実。

目標を持つ。それに向かって何が必要で、どんなふうに学び深めるのかを自ら考えて選ぶ。
そしてそこに向かってくり返し投げ出さずに進んでいく。

そのくり返しと積み重ねが今の彼女を創り上げ、この笑顔と自信を支えているのだ。こともなげに見えるその影では流した汗や苦労などは当然のことと受け止めて、前向きに進んでいく彼女の姿があるのだ。

わたしもね。利用してもらえてよかったよ。おかげで、あの頃一緒に練習していた思いは大切な経験のひとつになって私の中に蓄積されているのだから。おたがいさまだね。

そういってわたしも、一緒に笑った。

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たぶん。障害とか、先生と生徒とか、そんなものはどうでもよかったんだろうと思う。
人と人とのつながりや、関わり合い、出会いというのはこういうものなんだろうと、そう思う。

『障害者としてではなく、ひとりの社会人として世に問うていく「風子の絵足紙キャラバン」に、今後ともより一層のご理解とご支援をお願いいたします。』

今回行われたつぶやきコンサートでもらったパンフレットにこんな一文が載っている。これは絵足紙キャラバン実行委員会という彼女の支援者の会の挨拶文だ。彼女に出会った人たちは、みな、「障害なんか関係ないや」と、きっとそう思うに違いない。

彼女は「冨永房枝」というひとりの人間として生きてきているのだから。人と人との関係の中で、ただ生を与えられたものとして同じように悩みもし、苦しみもし、喜びや感動を得ながら生きているだけなのだから。

そんな彼女がここに来るまでの「からだとのつきあい方」「生きざま」を通しながら、彼女の「絵足紙展」についてこのあと記述していこうと思う。

心は体には囚われない~風子、その2~へ続く。)

HP「風子の絵足紙キャラバン」

(写真、文:駒村みどり)

月に一度、第4金曜日の夜に行われているイベントがある。

「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。

2時間ほどのその時間の中には、凝縮された言葉たちが集う。
あつい言葉。
やさしい言葉。
さびしい言葉。
きびしい言葉。
たのしい言葉。

どの言葉も、ステージの一本のマイクから会場内に生き生きと飛び出していく。
言葉を発する者あり、それを受け止める者あり、受け止めてまた発するものあり。

命を持った言葉を、どんな形でどんな想いで受け止めるのも、それぞれ次第。
参加費は無料。いつ来ても、いつ帰っても自由。
受け止め方も、発し方も……すべてが、この空間では……自由。

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「オープンマイク」というものの起こりを調べていくうちに、つきあたった言葉がありました。それが「スポークンワード」です。

スポークンワードとはどういうものかというと……
『ラップやポエトリーリーディング(詩の朗読)など、喋り言葉によって表現するようなパフォーマンスの総称。またはそのような芸術のこと。政治的なテーマや社会的なテーマが題材にされることも多く、音楽との融合も多く見られる。』

スポークンワードは1930年代~40年代にかけて、黒人解放運動の中で行われた街頭演説が起源とも言われる。
*1950年代のビートニク文化の中で、ポエトリーリーディングの手法が発達。
*1980年代以降のヒップホップ文化の中で、ラップの手法が発達。
*現在では、喋り言葉を総括的に扱う芸術ジャンルとしての“スポークンワード”が確立しつつある。

「表現」のひとつの形として成立してきた「スポークンワード」。私たちに馴染みのラップもそのひとつの形。確かに、言葉がリズムに乗ってはずむラップを聞くと、自然と体全体で言葉を受け止めてしまうのです。言葉の持つ力が、リズムとイントネーションなどのさまざまな要素と絡んで最大限に発揮されているような気がします。

そして、近年、日本でもスポークンワードを呼び物としたイベントが行われるようになって、そのひとつの形が「オープンマイク」でした。
日本では1997年頃から東京のカフェやクラブで「飛び入り参加OK」という誰がマイクを使ってもかまわないイベントとして盛んに行われ、そこからリーディング・ブームに火がついたようです。

この「オープンマイク」を今、長野県で毎月行っているのが、以前の記事「言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み(その2)」でも取材させていただいたGOKU氏です。

GOKU氏とオープンマイクとの出会いは、2003年のネオンホールで行われたオープンマイクに主催者の方に誘われたのが最初だそうです。

GOKU氏は、朗読(詩だけではなく「言葉」はなんでも朗読するそうです)をライフワークにしている詩人さんです。お仕事のかたわら、詩作し、それを朗読し、また最近ではご自身が声の場で出会った詩人たちの詩を集めた詩集「読みたい詩人」を自費出版もしました。

そのGOKU氏が、以前のオープンマイクが終わることになって、新しい「声と言葉の場」を作ろうと思ってネオンホールの小川さん、農家で詩人の植草四郎さんに声をかけて始めたのが、現在毎月行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」です。

「声を出す場であると同時に、言葉と戯れる場にもしたくて、毎回、言葉を使った 企画を考えるようにしています。」

GOKU氏のこの思いの元に行われている「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。
わたしも、ふとしたきっかけで12月と2月の2回の企画に参加してみたのです。
マイクを前に、どんな人がどんなパフォーマンスをするのか、とても興味があったからでした。

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正直なことを言うと、この長野県で「オープンマイク」が成立するのか実は半信半疑だった。

数年前までずっと音楽の教員をやっていたわたしにとって、この長野県ではどの学校に行っても子供たちが大人に近づけば近づくほど「人前でのパフォーマンス」を避けるようになり、さらに、それは大人である教員や親御さんたちにその傾向はもっと強い……そういう認識があったから。

そんな想いを持ちながらネオンホールに行った。
クリスマスが過ぎ、年の瀬のあわただしい夜、会場にはすでに、数名のお客さんがいた。ドリンクを注文して席に着くと、しばらくたってGOKU氏がステージで開会宣言。

オープンマイクの「ルール説明」。

~マイクの前に立った人は、持ち時間5分で何をやってもよい。
~5分でまだ途中の時は、その先4分59秒まで延長が可能。
~聞くだけでもいいし、途中でやりたくなったら飛び入り大歓迎。

そして、「今日ここでやる人?」とのGOKU氏の問いに手を挙げた人は、4名。

一人、二人とまずは常連らしき人がステージでパフォーマンスを繰り広げる。
最初は詩の朗読、次の人も詩。そしてそのあと、この日のバックの文字を書いた人が一年の「感謝」を込めて書いた文字について話す。そうかと思えば、次の人は思いつくままに話をする。……そこまでで、4人だったのだが………

4人では終わらなかった。

GOKU氏は、ステージの1人1人が終わるたびに心こもった講評を贈る。それぞれの人の持ち味を最大限引き出す講評は、とても温かい。
そして、そのGOKU氏の講評の言葉のぬくもりが、会場の「自分もやろうかな」という想いにつながって………
結局、最終的には11名がステージに立った(!)。

実は、私も……最初はそのつもりがなかったのだが、MCのGOKU氏と、ステージに立つ人々の雰囲気と勢いに乗っかるように「やります!」と手を挙げてしまった。

即興劇あり、語りあり、朗読あり。
12月のオープンマイクは、こうして2時間以上の間にたくさんの人の言葉と想いを放つ濃密な時間となった。

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この12月のオープンマイクの印象がかなり強烈だったので、改めて取材という形で2月のオープンマイクにも顔を出してみました。

この日のステージでは、開幕のGOKU氏のあいさつおよび詩の朗読から始まるのは12月と同じだったのですが、ステージの幕開け……突然赤い鼻の「変な日本語を話す外人」さんが登場。

この「変な外人」さんは、GOKU氏のパートナーとしてこの「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」を最初から支えてきた詩人の植草四郎氏です。

オープニングのステージ15分を任された植草氏、ひと月前の1月のオープンマイクのゲームで優勝し、15分の特別テージ出演権をGETしたのです。

植草氏とGOKU氏の出会いは詩のボクシングだったそうです。

「なぜ、植草氏とやろうと思ったのですか?」との問いにGOKU氏はこう答えました。

「彼の言葉が好きだったからでしょうね。
 言葉って人柄だから
 言葉が好き=発してる人が好き
 みたいなこともあります。」

言葉を通じてつながった二人。
わたしは2月のオープンマイクに行って、GOKU氏のMCと植草氏のステージを見てなぜこのオープンマイクでたくさんの人が気負い無くステージに立つのか、何となく感じたことがありました。

主催者側であるお二人が、何よりも一番このステージやこの企画を楽しんでいるんじゃないか……とそう思ったのです。

「そうですね、自分もあの場がとても好きですよ。そして、あの場は人の非難なんかはもちろんNGだけど、それ以外は何でもありなんですよ。」
「だからね、GOKUさんも自分も、なんのこだわりもなくあそこにいるんです。
このタイトルの『ななしのぜろ』の『0』はそういう意味もありますね。
そして、0の環は大きくもなり小さくもなり、いろんな世界をそこに含んでいるんですよ。」

(植草氏談)

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押しつけも、なんにもない。どんな世界でもそのままを受け止める。
ステージに立つ人のカラーを大切にし、上手い下手にもこだわらない。

その人の発する言葉とそこにある想いをしっかり受けとめる人がそこにいる。
それが、この『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』というオープンマイクのあり方。
そして、そのあり方を愛する人々が、毎月ここに集ってくる。

2月のこのステージでもまた、様々な言葉が会場に放たれた。

詩の朗読をする人。日常語りをする人。
携帯電話のメールのやりとりを読み上げる人。
難病研究の署名のお願いをする人。
ピアノの演奏。
(ちなみに、この日ピアノを演奏したブルースピアニスト、コイケさんのステージについても、このあと取材しましたので記事を掲載しました。→記事
『聴き屋』をこれから権堂でやりますから来てください、という宣伝。

それぞれの人の放つ言葉は、先にGOKU氏が植草氏を語るときに表現したように、そのままその人の人柄を表している。

温かい言葉。
力強い言葉。
朴訥な言葉。
やさしい言葉。

一本のマイクを通じてそれらが会場の人々とステージの人とをつないでいく。

そして、この日のGOKU氏のステージ。
突然、ステージでクロールを始めるGOKU氏。

この日、小さな紙の上に書きとめられたたくさんの短い言葉たちが、一枚一枚と会場にちりばめられていった。GOKU氏の声と動きと、リズムの中で生き生きときらめきながら。

「人前で朗読するという経験は、2003年の3月に松本市で開催された「詩のボクシング」という朗読の大会でした。まず、自分で言葉を考えることが楽しかったし、それを声にすることが楽しかったですね。ただ、当時の僕は、詩という言葉に、「詩=メッセージを伝えるもの」という頭があって、いま読み返すとお説教のような詩で、つまらないんですよ(笑)。いまは、詩は言葉遊び。くらいの気持ちで、湧いてきたときに作っています。自分のことというよりも、言葉で感じてる世界を表す感覚ですね。 」

この詩のボクシングの全国大会で準優勝という経歴を持つ実力派のGOKU氏は、言葉と関わるようになったきっかけをそう話す。

その語りにあるように、彼の言葉は押しつけがましくない。
『0』という名を持つこのイベントのように、ただどんどんと湧き上がってひろがっていく。

言葉は、意味を持つものとしてではなく、命を持つものとして、彼の口から発せられていく。

「いまって、会話にしてもニュースにしても、 世知辛いですよね。言葉ってもっと優しかったはずだと思うんです。そもそもは、コミュニケーションのツールであって、人と繋がるための道具なわけですからね。でも現代ってそれが忘れられているような気がします。

 世界が言葉によって、否定されていく。
 人が言葉によって千切れていく。
 絆を断ち切るために用いられる言葉。

 そういうマイナスの使われ方が多いような気がします。
 たぶん言葉は泣いてるんじゃないかな。
 だから、言葉っていいね。
ってことを伝えられる場になればいいんじゃないかな。 」

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人と人がつながるためにあったはずの「言葉」。
それは、時として人を傷つけてしまう凶器になることもある。

けれども、本来つながるためにあるその言葉にどんな命をのせて発するのか、どんな想いを込めて発するのか……、それを発する側の人間も、受け止める側の人間も、もっと気負わず自然に出来るようになったなら………。

人と人との間には、こんなにやわらかくやさしい空間がひろがっていくのだなぁ。

2回の『名もなきオープンマイク0(ぜろ)』を取材し、イベントが終わって会場を去る人々の穏やかな表情や、会場のしっとりとした空気を感じて、そんなことを思った。

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■名もなきオープンマイク0(ぜろ) Vol.30
  ~産獣・酸汁・参○ 声はどこに辿り着くのか~
  
  と き:4月23日(金)午後8時スタート
  ところ:ネオンホール(長野市)
  料 金:無料 ※1ドリンク以上のオーダーをお願いします。
  持ち時間:5分 (延長は最大4分59秒まで。合計9分59秒以内)
  自作詩、演劇、歌、おしゃべり、早口言葉。絵本。紙芝居。
  なんでもかんでも。沈黙もOK。
  15分のゲストライブ×2本(4月は、即興劇とゲストの朗読)
  過去のレポート等は公式ブログで。

(文・写真 駒村みどり)

「面白いことをやるんですよ」

以前、この取材でお世話になったオギタカさんから、そんな声がかかりました。
(オギタカさん取材記事「届け、つながれ。 大地の鼓動・風の歌」)

新しい形の、ライブ。
その名も「ピアノ・ア・ラ・モード」。

……ピアノのアラモードって???
キャッチコピーが、こう。

「ちょっと大人な音楽デザート お好きなアペリティフを召し上がれ」

どうやら、ジャンルの違うピアニスト5人が集まってひとつのライブを構成するらしい。一粒で5度おいしいライブ???

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ピアノ・ア・ラ・モードの企画を考えて主催したのは、坂城に在住のジャズピアニスト、コイケテツヤ氏。

コイケテツヤ氏は、「ブルースピアニスト」としてライブ活動を行っている。
でもこの「ブルースピアノ」というジャンル。あまりメジャーではない。
そのため、コイケ氏は、とにかくいろんなブルースピアニストの演奏を聴き、ほぼ独学でブルースピアノの世界を身につけたそうだ。

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小学校3年ぐらいから中学3年生まで約6年間ピアノを続けました。
そのときは「習わされていた」といった感じです。

高校卒業、就職し、バンドをやっていなかった19歳のあるとき、「ジャケ買い」した一枚のブルースピアニスト「otis spann (オーティス・スパン)」のアルバムが、ブルースにのめり込むきっかけとなりました。

そのアルバムを聞きまくり、一所懸命真似しました。
そのときはブルースしか見えていませんでしたね。
他のジャンルにはまったく興味がありませんでした。

いまから6,7年前から、それまでやった事のなかった歌を歌い始めました。
自分で歌うと、選曲に歌詞の内容を重視するようになり、その頃からだったか、徐々にジャンルへのこだわりはなくなっていきました。

いろいろな音楽に興味がでてきて素直にいろいろな音が私の中に入ってくるようになりました。

(コイケ氏談)
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そんなコイケ氏が、この企画を思いついたきっかけ。
それは、「自分がいろんなピアノに触れてみたい」というところから始まったそうだ。

自らのブルースピアノの世界。それ以外に、ポップス、クラッシック、ジャズ……「ピアノの演奏」とひとことで言ってもいろんなジャンルがある。

そういう人たちの演奏を、いろいろ聞いてみたい。
みんなで一緒にやったら、良いかもしれない。

そんなところから、ピアノつながりで声をかけた人々。
その人たちもみな、コイケ氏のその意図に「乗って」今回の企画が実現した。
ひとり20分の持ち時間。その中で、それぞれのピアノの世界を展開する。
それが、「ピアノ・ア・ラ・モード」。

今回の企画に参加するピアニストの皆さんが東信地区の人が多いので、会場は新幹線佐久平駅近くの「なんだ館」のメインホールになった。

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当日のライブの様子を記述する前に、この「なんだ館」についてもちょっと触れておこうとおもう。

佐久市なんだ館。よ~く見ると、四角じゃない。「五角形」の建物だ。
(外から見るとよくわからないけど、中のホールで天井を見上げるとはっきりわかる)

北海道函館に「五稜郭」があることは、歴史の勉強した人はみんな知っている。けれども、日本にもう一つ「五稜郭」があることはほとんど知られていない。それが、この佐久市の臼田にあるのだ。

この「なんだ館」が五角形なのは、その五稜郭にちなんでいる。「もうひとつの五稜郭」を人の記憶にとどめようとこの「なんだ館」も五角形なのだ。

オーナーの渡辺さんは、そんな佐久の持つ歴史文化遺産に思いをはせ、そしてここから「文化発信」をしたいと考えた。

もともとは御代田でご自身の持つアパートの二階をミニコンサートに解放していたそうだが、きちんとしたホールで……という思いから佐久平駅に近く客の訪れやすいここに新たにオープンさせたのだそうだ。

なんだ館は中央にホール(コンコース)があり、その五角形の各辺からさらに五つのスペースが展開している。
このスペースは、ステージ・三つのテナントブース、喫茶室で構成されている。テナントブースでは、お店で販売、という状態までは手が届かない手作り品を販売できるよう、手作り発信の場として考えられたスペース。

プロ・セミプロの作家さんはもちろん、学校の生徒さんが販売用に作った作品なども、このスペースを活用して展示販売してもらえたら……とシンプルな作りとお手頃な使用料で提供している。
また、手作りサロンとして、申し込めば羊毛フェルトや陶芸などの講座が受けられるスペースもある。

中央のコンコースは最大100脚の椅子が用意されていて、普段は「多目的スペース」としての空間だが、椅子を並べるとあっという間にコンサート会場に早変わり。

ここのピアノはいい音がすると評判で、ピアノ教室の発表会にもよく利用されるらしい。

ホールの後ろにある螺旋階段を上ると、そこはギャラリー席としても活用できるスペース。ピアノの演奏を聴くには、なかなか特等席かもしれない。

そして、ホールの壁面や、ちょっとしたところにはちいさな花が飾られていた。
何とも言えない「手作り感」とぬくもりあるスペース。

立地的にも良い場所だし、こういうはっきりしたコンセプトを持った会場は、もっともっと活用されて根付いて欲しいなぁ、と思った。

(*「なんだ館」お問い合わせは0267-88−5010。詳細はHPをご覧ください。)

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いろいろな方の演奏が聴きたくなり、観たくなり、時間があればライブを観にいきました。次第にいろいろな方々との交流が増え、そんな中、ピアノを使って表現する人が意外と多いことに気がつきました。

同じピアノプレーヤーとして私にはない感覚を持った人がいることがとても新鮮で、
皆さんアーティストとして素晴らしい方々ばかり。

一緒に出来ればすばらしい!

こんなことがきっかけで、今回の企画が浮かんできました。
ジャンルを超えた「ピアノ・ア・ラ・モード」を企画した理由は、一台のピアノが、弾く人の感性で様々な音色に変化して、いろいろな世界が繰り広げられる、すべてが面白くて、興味深いものであって、そんなステージをおみせしたかったからです。

そしてなにより、私自身そんなステージを観たかった!

今回のこの企画を立ち上げたコイケテツヤ氏は、このイベントへの想いをこう語る。

こんなコイケ氏の想いに答える人がいて、それを迎える会場があって、そうして「ピアノ・ア・ラ・モード」は2月の最後の一日に実現した。

開演と共にそれまでは演奏を待つのどかな人々のサロン的な雰囲気だった会場の雰囲気が、一変した。

トップは主催者であるコイケテツヤ氏のブルースピアノ。

黒いピアノに、黒いコイケ氏の出で立ちでステージが一気に引き締まる。
軽やかな音符たちがピアノの上ではね回り、それにつられてからだが自然とリズムをきざみ出す。

この日、ステージにこのあと立つ他の出演者たちも、自分たちの出番以外はお客のひとり。コイケ氏のピアノに合わせて、オギタカ氏が手拍子を鳴らし始めると会場全体がそれに合わせて乗ってくる。

楽しい。カメラをかまえながら、ついリズムに乗ってしまう。

はずんだり、微笑んだり、歌ったり、聴き入ったり。
いろいろな音がステージから降り注いでくるたびに、お客さんの顔が輝いていく。

ひとり持ち時間20分というステージは、あっという間に終了。だけど、コイケ氏のはなった音は、会場の空間に満ちあふれている。もっと聞きたい、だけど、これだけでも満足。それだけこの20分が、濃密だったんだろう。

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続いては、POPピアノの俊智(しゅんち)氏の登場。
山口県生まれの俊智氏は、現在御代田在住。自らが御代田の空気を感じながら得た感覚を音にのせてオリジナルソングを発表している。

御代田の優しい風が、浅間山麓の林を吹き抜けるような染みこむメロディー。
そうかと思うと龍神祭の激しい鼓動。

緩急織り交ぜた俊智氏のオリジナルソングは、御代田の空気を聞くものに正確に届けていく。
佐久で育ったわたしは、龍神祭自体は見たことがないが、そのお寺には父に連れられて行ったことがある。お寺の庭にある池が諏訪湖とつながっていて、諏訪の国の神様として祀られている甲賀三郎が龍の姿となって地上に出てきた際、この池から出てきたという神話がある。
その池の神秘さや、清浄な感じが俊智氏のピアノによって記憶の奥からよみがえってきた。

浅間山を間近に感じる御代田の地に立っている気分になる不思議な20分間だった。

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続いてはクラッシックピアノの細井美来氏。
細井氏は4才からピアノを始め、現在は軽井沢で演奏活動と後進指導に当たっている。

出だしが「トロイメライ」。
個人的に、この曲にはちょっとした思い出があって、さらにその思い出に重なる細井氏の音がとてもやわらかく優しくて、思わずこみ上げそうなものをこらえた。

男性二人の骨太な演奏のあとで、女性らしい繊細な演奏が対照的で、そして聴かせる。
2曲目のショパンの「ノクターン第2番」では、ラストの細かい音符のきらめきが、ひとつひとつ明瞭に際だちながら鮮やかに奏でられ、一音も逃したくない気持ちになって細井氏の音に引き込まれてしまった。

最後の音が消えたその瞬間の余韻までも楽しむことが出来、ため息がでてしまった。

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休憩のティーブレイク終了後、オギタカ氏のステージ。

オギタカ氏の演奏はいつもながらにパワフルで、いつ聴いても元気になる。
20分という時間のせいか、最初からガンガンに飛ばしていくのであっという間に会場はハイテンションに盛り上がっていく。

そして、なんと、オギタカ氏のピアノにコイケ氏が参加してピアノのデュオを披露。

この二人の息のあった演奏は、どんどん熱を帯びて盛り上がる。
何よりも二人ともとても楽しそうで、二人の奏でる音が絡み合い、支え合い、刺激しあって新しい音が生まれていく様が何とも「Happy」なのだ。

今この場で生まれた音、この瞬間しか聴くことの出来ない音。
生き生きとした音の固まりがぶつかってくる感じが何とも嬉しい。

デュオのあとはオギタカ氏がしっとりと歌い込んでステージをしめる。

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ラストに登場したのがジャズピアノの武藤さとみ氏。

軽井沢町在住の武藤氏は、プロとして数多くのセッションに参加している実力派。
初っ端になんか聴いたことのあるメロディーだと思ったら、ブルグミュラーの練習曲。ピアノを習ったことのある人だったら多分みんなやったことがある曲。
それが、だんだんジャズ風に姿が変わっていって。「こんな曲あったよねぇ。」って思うようなジャズ曲に変身。

すごいなぁ。さすがだ。

それに、武藤氏オリジナルアレンジの曲が何曲か。
軽井沢の情景をイメージしたもので、から松林や軽井沢の乾いてちょっと涼しげな風を感じさせる曲。

軽井沢は、冬は厳しい気候のあとの芽吹きの新緑の喜びがひとしおな土地。そんな軽井沢の自然を見つめる武藤氏の感覚が、お母さんのような優しさと包容力を持って静かに流れ込んできた。

最後に、武藤氏のMCと笑顔でステージ終了……。
かと思ったら、今日の演奏者がステージに集結。なんと、アンコールでSMAPの「トライアングル」を全員で演奏。

歌詞にあるように、みんなの声(音)は異なっているけど、
表現方法も、ジャンルも、まったく異なっているけれど、
「音を愛する人たち」の想いは、生命は、ここでひとつに結びついた。

ステージの上の5名も、それを受け止めた観客も。
みなそういうひとつの想いの中に過ごした2時間あまりをかみしめたラストステージだったように思う。

もともと、人がその想いを伝えるひとつの手段として生まれたのが「音」。
人をつなぐために、喜びや悲しみを伝えるために、人とそういう想いを分かち合うために、様々な音が生まれてきた。

音楽に国境はない。

言語も、人種も、歴史も、伝統も。

「クラシック」とか「ポップス」とか。
そんなジャンルも関係ない。

そんなものはくそくらえで、その本来の「音」の持つ意味をもっともっと自由に感じとっていってもいいよねぇ。

それでこそ、「音楽」……音を楽しむこと、なんだから。

「来年もまた、やろうね」

打ち上げの時に、5人が笑顔でそう語っていた。
こんな風に、音楽の本来の楽しさをどんどん伝えてくれるステージが広まっていったらいい。この試みが、この先もさらにひろがって続いていったらいい。

そんなワクワクするビジョンが、どんどん湧き上がってきたステキなステージだった。

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【コイケ氏ブログ】  ライブ情報やまとめなどの情報がアップされるのはこちら。

コイケテツヤノオモウコト

【コイケ氏の今後の活動予定】←記事掲載’10年4月現在のもの。最新情報はコイケ氏のブログでご確認ください。

4月24日(土)
長野市「はくな・またた
オープン/19:00 スタート/20:00
チャージ/\1,000(1ドリンク付)

出演/
魂のギターデュオ
コイケテツヤ
こんこば

・・・・・・・・・・・・・・・・

5月22日(土)
「SUPER JAM NIGHT vol.2」
長野市 LIVE HOUSE J
オープン/17:30 スタート/18:00
\1,500(1ドリンク付)

出演/
SOUL BEAT(ソウルビート)
DEEP SOUTH GROOVE(ディープサウスグルーブ)
BEVA,SOUL BROTHERS(ビバ、ソウルブラザース)
BOOGIE WOOGIE SHACK(ブギウギシャック)Vo.:コイケ氏
飯山ガキデカJAG STOMPERS(イイヤマガキデカジャグストンパーズ)

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コイケ氏は、音楽活動のかたわら、腹膜偽粘液種(ふくまくぎねんえきしゅ)という疾患を難病として特定疾患に認定するための署名活動も行っています。
詳しくは、コイケ氏のブログ記事「腹膜偽粘液腫に関する署名のお願い」をお読みください。

(写真・文:駒村みどり)

♪パパッパ、パ、パ、パ………(ジャマジャマ)
 パパッパ、パ、ジャ、マ………(ジャマジャマジャマジャ)

会場が暗くなったとたんに始まったのは、「お母さんと一緒」でおなじみの「パジャマでおじゃま」のテーマソング。

その音に合わせてステージにでてきたなかがわよしの氏が、突然服を脱ぎ始めた。

………え???
なんだ、なんだ?

シャッターを切る手を思わず止めて、その先何が起こるのかとなかがわ氏の裸体……(結構筋肉質なんですね、写真とっておけば良かったと後悔。)に見入ってしまった。

上着を脱ぎ、おもむろにズボンも脱ぎ始め、ついにパンツだけになったなかがわ氏は、今度は逆に作業着らしき服を着こみ始めた。

そうして、「パ、ジャまたね♪」の音楽の終わりに合わせて(ちょっと間に合わなかったけど)ステージ衣装(?)に着替え終わった。

と、その瞬間に、なかがわ氏の声が静寂を突き破る。

「はだかのぼくを、見て欲しいと思ったから
 すべてを脱いで、はだかになりました!」

それは、小さな爆発のように。吹き飛んだ言葉の破片が、体に突き刺さる。
痛い。
だけどそれは、苦痛の痛みではない。
心の奥に縮こまっているかくれんぼしている「自分」の手を引っ張られている痛み。
決して、不快な痛みではない。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

このN-geneで「なかがわよしのの400字」の連載を続けているなかがわよしの氏が主催する、「傘に、ラ」のレポート第2弾です。

第1弾の記事にも書きましたが、「今」という言葉をテーマにして、月に1~2回企画されるイベントです。

前回のレポートでは、この「傘に、ラ」のゲストとして共に「今」を語る企画に参加させていただいたのですが、今回は完全にイベントを観客の1人として受け止める立場で参戦しました。

第2弾で取材したのは、
2010年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」

ゲストにお二人の「詩の朗読パフォーマンス」をされている、GOKU氏、猫道氏を迎えて3人による「詩の朗読会」でした。

なかがわ氏と、GOKU氏、猫道氏とのそれぞれの出会いのきっかけになったのが「詩のボクシング」。

詩のボクシング(しのボクシング)は、ボクシングのリングに見立てた舞台の上で二人の朗読者が自作の詩などを朗読し、どちらの表現がより観客の心に届いたか、その表現力を競うイベント。キャッチコピーは「声と言葉のスポーツ」、「声と言葉の格闘技」。一般参加の大会は、これまでに35都道府県で開催されている。全国大会も年に1度開催される。(wikipediaより)

言葉や声を、生きた力を持つものとし、それを各人の表現によって人に伝える力を競うもの。

最初、これを聞いたときに、「ボクシング」と言うイメージと「詩」というイメージがなかなか結びつきませんでした。

私のイメージで行くと「詩」というのは「詩作にふける文学少女」が秋のセンチメンタルな枯れ葉舞う風景の中で静かに穏やかに読むもの………だったからです。

ところが。

そんなイメージでいたわたしは、のっけからカウンターパンチをくらってしまったわけです。

言葉が、こんな「力」を持って迫ってくるなんて、思いもしていなかったんです。
詩が、こんなに熱いものだなんて、イメージしたこともなかったんです。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

突然、ステージのなかがわ氏は脇に去ったかと思うと「卓上ガスコンロ」を手に再登場。

そして、おもむろに着火……が、なぜか火がつかない。

「着かない!!」
「こんな時に限って、着かない!!」

そういうアクシデントもまた、なかがわ氏の即興詩に読み込まれる題材になる。

「過去」は要らない。時と共に過ぎ去ってしまう「過去」は要らない。
そんなものは、燃やしてしまえ。
(そのためのガスコンロだったけど……火が着かなかった。)

「未来」を見るのは遠すぎる。
だから。だから、「今」なんだ。

彼の中に、脈々と流れ続けるテーマが強烈にうたいあげられる。
「今」という言葉が、彼の中で熟成されて、そうして熱い熱を帯びながら会場に放たれる。

やがて、そのなかがわ氏から発せられた「熱」は、さらに溶岩の固まりとなって次のGOKU氏に受け継がれた。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

GOKU氏。

東信在住の自作詩の詩人。
彼となかがわ氏の出会いは、「オープンマイク」というイベントによるものでした。

OPEN MIC(オープンマイク)と はアメリカやイギリスで一般的な、当日飛び入り参加形式の自由なパフォーマンスステージです。その名の通り、誰にでもオープンなマイクということで、参加自由のイベントです。弾き語り、バンド、詩、マジック、ラップ、コント、ただマイクの前でしゃべるだけ、などどんなパフォーマンスでもOKというものです。

東京などでは結構行われている「オープンマイク」。その長野版を自主的に行っているのがGOKU氏です。(いずれ、このN-gene記事としても取り扱いたいと思っています。)その、彼の主催するオープンマイクに、なかがわ氏が参加したことで二人のつながりが始まりました。

GOKU氏は、先に書いた詩のボクシングの2005年の全国大会では準優勝したという実力者でもあります。

なかがわ氏も、GOKU氏も、お互いに「友だちじゃない」といいます。
多分……友だちというだけじゃもったいない、表現における「ライバル」とか「敵」とかいう類の高め合う仲なのでしょう。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

GOKU氏は自作の詩人。

自らが紡ぎ出した言葉を乗せた詩を、体中使ってステージいっぱいに叫ぶかと思うと次の瞬間に泣き出しそうにささやく。

その緩急ある言葉の放ち方によって、思いが乗った重たい言葉が聞くものの胸にどかんとぶつかってくる。

犬の詩を読んだ。
野良犬の死を詠み込んだ詩を読んだ。

………………………・

~「ノラ犬のカラダ」より一部抜粋~

僕の記憶から、ノラ犬の死体は寂しそうに立ち去り、
僕の記憶には、畑を斜めに歩くノラ犬が棲みつきました。

「土に還りたい」
「空を飛びたい」
「静かに暮らしたい」
それら全ては僕が求めているものなのに
それらをひとつも求めていないであろうノラ犬は
その全てを叶えて
僕の記憶に棲みつきました。

………………………・

野良犬は、今、死によって放置され鎖の束縛から自由になった。
見ている自分は、その自由が欲しいのに、それが手元になく。
野良犬は、その自由を欲してはいなかったかもしれないのに、自由の元にある。

今、欲しいものは手には入らず、必要としていない者にそれが与えられる………。

ずきっと来る。

自作詩人のGOKU氏はまた、最近自費出版で詩集を出した。
この詩集にあるのは、すべて彼の詩ではない。
詩人である自分が「読みたい」と思った詩を集めて綴った小さな詩集。
そのひとつを、今度は切々と読み上げる。

入り口においてあったその詩集は、あっという間に多くの人の手元に旅立っていった。

なかがわ氏に触発されたのか。
GOKU氏も脱ぎ始める。

お色直し後のGOKU氏は、おもむろにスケッチブックを取り出して観客の前に拡げる。「宇宙ガール」というタイトルの詩を朗々と読み、次第に観客を巻き込む。

「ありんこの声で!」「ロケットのスピードで!」「地球の声で!」
彼の指示にしたがって、観客もいろいろな声をイメージしながら共に言葉を発する。

やがて高まった熱が、GOKU氏の中で爆発。
ステージ上を「小宇宙」という言葉を発しながら飛び跳ねる。
飛び散る汗が見えるほどの爆発ぶりだ。

「なかがわさんのパンツ一丁にはかなわないけど。」

そういいながら、3度目のお色直し。

そして、持ち時間の30分の間……
いったいいくつの言葉を発したのだろう?

そのきらめきの余韻をステージにまき散らして、GOKU氏のステージ終了。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

猫道氏。

彼は、「猫道一家」の座頭なのだそうです。

今までは、この「猫道一家」というクルーでお芝居を発表していたそうですが、2008年にお芝居をやめてポエトリーリーディングに転向し、2009年より自ら主催するスポークンワードのイベントを渋谷 道玄坂のBAR SAZANAMIで毎月開催しているそうです。

先にも書いたように、「詩のボクシング」に参戦、そこでなかがわ氏と出会い、どうやらお互いにいいライバル、刺激を与え合う関係がそこで生まれたようです。

かつて、芝居の音響・演出・脚本などを手がけていただけあって、彼のステージの上にはいろいろな道具も並んでいました。
何が出てくるのか???それを見ているだけで期待感が高まりました。


※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

登場と共に、そこはたちまち、歌舞伎の舞台になった。
大声で名乗りをあげ、見得を切る。

……かと思うと、次の瞬間にはいつの間にか「ラップ」になって言葉がぽんぽんとポップコーンのように飛び跳ねる。

ぐいぐいと、観客をステージの上の「言葉」に引き寄せていく。
その瞬間に、舞台はもう猫道氏の世界。

飛び跳ねる言葉。
飛び跳ねる音。
飛び跳ねる、猫道氏。

それをとらえようと必死にステージに吸い寄せられる観客たち。
その緊張感が高まる中で、次にホールの空間に投げつけられた言葉にはっとする。

………………………・

「素顔」より ~一部抜粋~

一皮剥けたら元には戻せないのは、
あの塩釜の海岸で散々日に焼けた20年前のナツヤスミに戻れないのと同じことで、
変わらないのは蚊取り線香の匂いばかりです。

(中略)

人間椅子になって隠れたりしたい。
タイガーマスクになって悪者をやっつけたりしたい。
途中で我慢できなくなって、タマネギみたく皮を剥いて、
涙目の素顔をさらしたい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
みんな涙目になって皮を剥いたらいい。
その時、そっちのほうが素敵だって言ってくれる人が一人いたらいい。
「髪の毛切った?」って言われるのは
みんなうれしいと思うから。

………………………・

一皮むけたら、戻れない。
あの夏に戻れないのと同じように。

「素顔」というタイトルのこの詩が、なかがわ氏のかかげるテーマである「今」にだぶった。

そして、それは、今の自分の想いにもどかんと乗っかってきて……胸に堪えた。
胸の奥にたまっていた何かが、堰を切ってあふれ出そうになってあわててこらえた。

緩急織り交ぜたステージ上で。
期待通りに、猫道氏もお色直し。

猫道氏3態。

3枚目、一番右の写真で彼が手にしているのは。
「ネオンホール特製マイク」なんだそうな。

この特製マイクを握って、彼はこうつぶやいた。

「溶け始める時間を、たべる。
 おいしいは、のこる。」

3人の熱いステージは、こうして幕を閉じた。
会場のネオンホールの空間に、その空気の中に、いつまでもその熱が漂って。
しばらくの間、冷めることはなかった。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

なかがわ氏の持っているテーマは、「今」なのだけれども。
その「今」の中にはまた、様々な人間模様が織りなされている。

この3人の「今」の中には、「今」に至るまでの「過去」があり、その「過去」を踏み台にした「今」があり、その「今」を積み重ねていくのが「未来」。

この3人の織り交ぜた「今」は、彼らがステージから熱と共に撃ちまくった言葉のマシンガンの目にも止まらぬ弾となって、それに射抜かれた人々の中に何かを残す。
そしてその人たちの中にある「過去」をほじくり返しながらそれぞれの「今」を実感させ、そして「未来」を思うきっかけをくれる。

言葉の持つ力は、なんてすごいのだろう。
そして、それを放つ人の力が加わると、何という破壊力を持つのだろう。

言葉が発せられるのはほんの一瞬なのに、命を得た言葉が、どんな力を持って人に迫るのか。

この2時間強の時間の間に、それを目の前にたたきつけられた気分になった。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

ちなみに、ネオンホールの階段ギャラリーでは、28日までなかがわ氏の展示も行われています。↓

なかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、このあとも続きます。

10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~たかが芝居だ!~」
現代口語劇「餃子の なかみ」赤尾英二、司宏美、田中けいこ
アングラ劇「たかが芝居だ。」(脚本・演出・出演/なかがわよしの)、

10年3月7日(日)「傘に、ラ。 vol.9~たっちゃんと ゆかいな なかまたち~」
客人:田沢明善

10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.10~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」
ゲストライブ
オサカミツオSLOWLIE、なかがわよしの、bubblesweet ほか(50音順)

10年3月21日(日)「傘に、ラ。 vol.11 ~つぶやいて、なんになる~」
@twitter

10年7月3日(土)「傘に、ラ。~今に生まれて今に死ぬ~」
出演:outside yoshino  タテタカコ

(写真、文:駒村みどり)

~そして、それでも、こうしてわたしたちは生きている。~

12月6日、日曜日。
師走の最初の日曜日の逢魔が時。

長野市善光寺の門前町にある「ナノグラフィカ」で、あるイベントが開催された。

「傘に、ラ。 vol.4 ~怪シイ会ニ誘ワレテ気分ハ憂鬱~」

時間になると、突然朗々とした声が会場に響きはじめた。
その声は、「彼」というひとりの人間のある時の生きざまをとうとうと語り続けた。

「彼」はうつになり、「彼」は仕事を投げ出して失踪し、「彼」は苦悩する。

だけれども……「彼」は生きている。今でも、生きている。

「彼」は、それを語る「ぼく」であり、それを語っているのはこのイベントを企画している「なかがわよしの」氏である。

このN-geneにも「なかがわよしのの400字」というタイトルで、短い日常の一コマを描いた文面で、読んだ者に何とも言えないいろいろな気持ちを呼び覚ます、そういう連載を続けている彼だ。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

わたしの元に、一通のメッセージが届いたのは、10月の末のこと。
「出演のご相談」というタイトルで届いたそのメッセージには、こう書いてあった。

ええと、
最近、即興朗読のイベントを
はじめました。
自分は即興で
ポエトリーリーディングをやります。
ただ、ひとりでは物足りなくて
「この人と面白いことがしたい!」
と思う人といっしょにイベントが
できたらなーと
考えています。

自分もうつ病経験者で
今も通院しているし、
薬も飲んでいます。
ただやはりまわりの反応が怖くて
おおっぴらには告白できないでいます。
偏見をなくしたい、というよりも
うつでも生きていけるさってことを
コマちゃんと伝えられたらと思います。

ちょうど、この10月、わたしは自分の住んでいる地域の主催する講演会で、うつについての講演を頼まれていた。自らのうつの体験を元に、うつについて知ってもらうことで「人ってみんな一生懸命に生きてるんだよ」ってことを伝えたい、それをテーマに講演を組み立てていたわたしは、この「うつでも生きていけるさ、ってことを・・・」の一文にとてもひかれた。

やります。

すぐにそう返事を返しつつ、ひとつなかがわさんに質問した。
「傘に、ラ」って一体どういう意味ですか?……と。

その返事として帰ってきたのが、これだった。

傘にラ
というのは
「今」という意味です。
「今」の
上の部分が「傘」で
下の部分が「ラ」です。

「今」………そうか、「今」かぁ。

わたし自身、心にいつも持っているテーマが「今を大切に生きる」ということ。なので、なかがわさんが「今」というテーマを持ってやっているこのイベントに声をかけてもらえたのが嬉しく、とても楽しみになった。

11月の末、当日を前にした打合せの時は、それぞれのうつの体験を語りながら、来てくれた人に何を持ち帰ってもらおうか、という話で討論し、気がついたら3時間近くも話し込んでしまっていた。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

なかがわさんの「詩の朗読」では、彼の自らのうつに対したときの赤裸々な思いを、その「彼」を横で見つめている「ぼく」という人物がとうとうと語る。

時に重く、時に軽妙に、流れ出すその言葉の力。
それはまた、わたし自身のうつの体験とも重なって、心にどかんとぶつかってきた。

詩の朗読からそのまま、わたしとのトークセッションにはいる。

「スマイルコーディネーターって、なんですか?」

それは、わたしの肩書きとして名刺にも書いてあることば。わたしが2度のうつ体験から立ち上がったときに、心に浮かび上がった自分の方向を示すことば。

それが何かと問うなかがわさんの言葉につられて、わたしも自然に自らのうつの体験を語りはじめた。

それはもう、数分じゃ語れない。
「スマイルコーディネーター」という肩書きで自らの道を歩こうと決めるまでには、2回のうつの体験と、そこに至るまでの仕事での学びと、苦しみと……から始まっていることだから、結局25年という間の自分の教職生活をかいつまんで話すことになる。

できるだけ簡潔に、必要な部分だけ……そう思いつつも、「だから、スマイルコーディネーターなんですよ」っていうところに行き着くまでには30分以上もかかってしまった。

けれども、そこに至るまでに、自分の体験となかがわさんの体験とをお互いに語りあい、絡ませながら進んでいて、多分、その場にいる人たちには「うつってこういうことなんだ」ということが伝わったんじゃないのかな、と思っている。

そして、2人で決めた、この日来た人に知って欲しかった想い、

「うつ病だっていって、特別扱いする必要も、特別視する必要もない。
 うつという病気にかかった『人間』がそこにいるという事実があるだけ。
 みんな同じ人間で、その人がうつだとか、今朝の寝起きが悪くてつらいんだとか、ものすごく良いことがあってうきうきしているとか、そういう『状態』がそこにあるだけ。みんな、『生きている』ってことでは同じなんだ。」

……と、その部分に流れを持って行かれたのかどうかは、実はわたしもなかがわさんも、結構テンパっていたりしたのでちょっとわからない。

でも、なかがわさんのこの『傘に、ラ。』企画全体に流れる柱であり、わたし自身も自らの柱として持っている共通のテーマ、「『今』を必死で『生きている』」ということ、それは1時間半という間のお互いの話の中、自分たちの経験を通した想いの中に織り込んで、できるだけ伝えたつもりだ。

そんなこのイベントに参加していたひとりの方に、どんな感じだったのかをこっそりお聞きしてみた。

・・・・・・
まるで、「昨日ね~こんなことがあったのよ~」というように、軽妙に語られてはいましたが、それはまさしく体験した者しか語ることのできない、辛く、苦しい、体験談でした。でもお二人とも、沢山の笑顔と、ユーモアで、その辛い過去を明るく話してくださっていたのが、印象的でした。

二人とも、真面目で、ユーモアがあり、能力が高く、でもだからこそ、鬱病になったのではないかな?と何度も思いました。

「あぁ、鬱病って、よいひと がなる病気なんだ。」って。

 でも、お二人とも、内服や、環境を変えることで、それを完全に克服し、その上で、自分たちのようにならないために、自分たちが体験した辛さの中にいる人たちに、どう接したらいいのかを語ってくださっていました。

中川さんの
「鬱になってよかった、なんて絶対に思えない」
と言う言葉。
スマイル・コーディネータ、コマちゃん自身の笑顔が、
いまでも忘れられません。

・・・・・・・・・……
このイベントが終わった後、わたしはこの記事を書こうと思っていたので、なかがわさんにちょっとだけ取材をした。その時に、改めて「なんでこの企画をしていこうと思ったのですか?」という質問をしたのだが、その時の答えは、この先にまだ続くなかがわさんの他のイベントの記事で書かせてもらうことにして、もう一つ、翌日になかがわさんから届いたメールの一節を、ここに転載させてもらおうと思う。

うつ病への理解とか
うつの人を助けたいとか
自分にはそういう使命感もないのですが、
昨日のトークセッションで
思い出したことがあります。

傘にラを始めた根本の根本には
自分が病気になって
迷惑や心配を掛けた人たちに
「僕はそれでも生きてます」
ということを伝えたい
という気持ちがありました。

それは大切なことなのに
忘れてました。
思い出すことができたのは
昨日のイベントのおかげです。
一緒におはなししてくれて
ありがとうございました。

なんかうまく言えんですが
とにかく、ありがとうありがとうありがとう。
ってことです。

人それぞれに、必死で生きて「今」がある。
それぞれの「今」が出会い、絡み合って新しい「明日」が生まれていく。

なかがわさんとのイベントを通して、お互いの「今」を持ち寄ることで、「明日」への可能性がより大きく広がるんだ、ということを感じさせてもらった。

わたしからも、ありがとうありがとうありがとう。

※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*

なかがわさんの「傘に、ラ。」のイベントは、この後も続きます。
このイベントを、数回かけて追っていってみようと思っています。

今後の予定は、以下の通り。
10年1月10日(日)「傘に、ラ。 vol.5 ~本当に好きな人は手に入らなかった~」
10年1月24日(日)「傘に、ラ。 vol.6 ~荒ぶる言霊~」
10年2月21日(日)「傘に、ラ。 vol.7 ~たかが芝居だ!~」
10年3月14日(日)「傘に、ラ。 vol.8 ~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」

(詳細は、なかがわよしのの400字のページの左枠のなかをご覧ください)

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【うつのくれた贈り物】~「うつ」からもらった、幸せの法則~

写真協力:なかがわさんのお友達 文:駒村みどり

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