3 「イメージ」を妨げるもの。
しかし、このイメージから生まれ出てくるものは、本当にその意味を感じとってもらえるまでにはものすごく時間がかかり、理解を得るのには大きな困難がつきものです。それは前述した数々の理論や法則や実験が必ずしも最初から認められず、歓迎されるどころか迫害の憂き目にさえあってきた歴史が何よりも強く物語っているように思います。
宇宙は地球を中心に回っているという世の中から迫害され裁判を受けたガリレオ。1+1=1と言って劣等生扱いだったのちの発明王エジソンや、機械が空を飛ぶことを信じない人々から酷評されたライト兄弟。
天才と言われる彼らのことを賞賛こそすれ笑う者は今では誰もいないけれど、当時はキチガイ扱いだったりバカ呼ばわりだったり……というのはそういう逸話がいまだに語り継がれていることからも全くの作り話ではないのだと思われます。もしくは、後生の人々はそういう「逸話」の中に自らの中にもあるかもしれないはずの可能性を「イメージ」したかったのかもしれませんね。「自分だって今は認められないけれど、いつかはきっと………」と。
いずれにせよ、これらの伝記や逸話や史実の中から読み取れる「イメージできる人々」に対抗してくるもの………それはまず「権力」や「権威」そして「正論」です。つまり、その時々で力を持つもの。更に言うと、その時の「常識」や「正しいとされる認識」の上に立って力を持っていたものたち。
ガリレオを迫害したのは教会で、その教会は神というものの絶対的な存在感を脅かす「科学」を認めるわけにはいかなくて。神の存在が脅かされれば、その神を絶対的なものと説く自分たちの地位や権威が堕ちる。それまで「正しい」とされていたものが「全く違う」となったら自らは嘘つきになり、言葉の重みがなくなってしまうわけです。「信じてもらうこと」が前提にある宗教ではこれは存続問題にも関わること。
エジソンを劣等生扱いした学校は、エジソンのいう「1+1が2にはならない」という言葉を説明できなかったわけで、それを前提に成り立ってきた学習内容が正しいと疑うことなく教えてきたのに、それを「違う」「間違っている」という生徒(教えを受ける立場のもの)を許すわけにはいかなかったのでしょう。だから“教えたことが理解できない”エジソンを劣等生・はみ出しもの、にした。(こういうことは、今でも学校だけでなく、家庭や会社でも多々起こっているように思います。)
機械が飛ぶわけがない……という認識も、その当時は“正しいこと”でした。ニュートンの法則のように「身近に起こる目に見える現象」を突き詰めて、そこにどんなことが起こっているのかをわかりやすく解明すれば人々は感心して納得するでしょうが、小さなりんごでさえも落っこちるのに、機械のような重たいものが空に浮かぶことは実際の現象としたら「あり得ないこと」。その常識を破ること、覆すことがいかに困難なことだったことでしょう。もしライト兄弟の飛行機が本当に飛ばなかったら、彼らはただの「大ボラ吹きの大嘘つき」になってしまったことでしょうね。
彼らの訴えた「真実」は、それがきちんと実証され、それが「常識」として取って代わるまでは非常識であり得ないものとして非難されつづけました。その根拠がどこにあるのかと言ったら、「それまでの常識」……つまり、人が創り上げた偶像に過ぎないものですが、それが正しいと信じるものにとっては、そしてそれを信じるものが多ければ多いほど、その力が強大でいかに大きな壁となるのかは歴史がしっかり物語っています。
この世界は果てしなく大きく、どこまで拡がっているかを私たち人間は未だに知ることは出来ません。それなのに、そのちっぽけさをいつの間にか忘れ、「人に出来ない事はない」と見えるもの、わかることの限界を忘れてしまうのもまた人の弱さなのかもしれません。繰り返される歴史の中に、そういう人間の弱さも小ささも、すべてが映し出されているのです。