共産党宣言を掲げたマルクスと、小布施。
この2つに共通点がある……といったら、「なにそれ!?」とあやしまれたりいぶかしがられたりするのかもしれませんね。
実はこの文章を書いている間、わたしはあるきっかけでマルクスの社会経済への提言について少し学んだのです。それまでは社会の教科書やら政治・経済のなかで「共産党や社会主義国の基礎を築いた人」というくらいにしか認識がなかったマルクスなのですが。
彼の「共産党宣言」のもとにあるのは資本主義を成立させ、さらに現在の経済の混乱を招いている「搾取の構造」……「労働力に対して正当な報酬がなされていない状態」のみなおし。
つまり、今、人々が「なぜこんなに働いても貧乏なままなのか、生活が苦しいのか」という疑問に陥っているその部分についての考察だったのです。
資本主義の社会は、結局マルクスの訴えているとおりの状態に陥り世界的な不況。かといって社会・共産主義国がうまくいっているのかと言ったら、こちらはマルクスの目指す思いをきちんとくみ取らないからソ連は崩壊し、中国はあやしげな方向へ暴走しています。
市村氏の取材、小布施の昨年数回にわたる取材、日頃通る町並みの観光客の多さなどから感じた「小布施の豊かさ」。これがどこから来ているのだろう、と、今回この原稿を書き進めているうちに浮かび上がってきたのはマルクスの訴える「共産」の思想と、小布施の市村氏の言葉でした。
【羅針盤】の対論で、現在の小布施の町並みを作り上げた一人である市村次夫氏の言葉に、こんな言葉がありました。
「ゾウの背中で、このゾウはオレのものだとアリが争っているようなもの。」
この言葉は、羅針盤を紹介するメルマガでも取り上げました。(〜共有が生み出す新しい町並み〜 市村次夫vol.1)もともと土地の所有権も社会の権力も、この地球の上の小さな世界のこと。人間がその浅い歴史の中で勝手に決めたことであって、歴史の流れからしたらほんの些細なこと。
そんな事でお互いの権利を争うのは、まるでゾウの背中で争うアリのように端から見ていたら滑稽なものだ、という意味です。
小布施町はもともと商業のまち。外から入ってきたものを取り入れることで発展してきました。そうして築いた富を一部のものが独占し、一部のものだけが肥えることなく様々な形でまちに還元していたのです。
その最たるものが「旦那文化」でした。
……(2)につづく。