2011年 1月 7日

村の一員としての仕事をやり遂げる実感が、子供たちの得る収穫です。

子供たちの世界の中で年上のもは誇りを持ってその「祭の心」を守り、それを見た年下の子達は守るべきものをやり遂げるために必要な厳しさややり遂げたことの満足を自ら感じることで「社会の一員」としての生きるあり方のモデルをイメージとして積み上げていくのです。

それはこの地区の子供たちだけではありませんでした。

南信州遠山郷で冬の寒いさなかに行われる「霜月祭」。八百万の神が集まってくるとされるこの祭で奉納される神楽の面をつけるためにはその土地に根ざしている人々が練習を積んでようやく許されることですが、保存会の指導を仰いでその面をつけての舞いの習得に学校を挙げて取り組んでいたのが今はもう廃校となってしまった上村中学校でした。

神に捧げる舞いは神聖なもの。面をつけることの「意味」を子供のころからちゃんと受けとめてきた生徒たちは、面を生かすために真剣に舞い踊り、「神さまなんてばかばかしい」などという子は1人もいません。

そうして真剣に舞う姿の中に「かっこよさ」を感じることができる生徒たちがこの神楽を受け継ぎ、同時に神をあがめ、感謝を捧げる精神も受け継ぎ、その土地の人々が流してきた汗や誇りをも受け継いで、故郷上村を愛する子供たちはやがて大学、就職などで土地を離れてもこの祭には帰ってくるのです。

寒空の中で、白い息を吐きながら大きななべに豚汁を作っておにぎりと共に訪れる人にふるまうのは高校生。大人たちに混ざって、背筋を伸ばして横笛を吹く男の子。赤い火を噴く大きな竈を取り囲んで祈りを捧げるその周りで、笛太鼓に合わせて飛び跳ねるはっぴを着た若い衆。

子供たちはその中でちゃんと「地区の一員」として位置づけられ、その土地の命をしっかり感じて育ちます。土地の命を受けとめて成長するのです。「祭」というひとつの「イメージ」が、社会の一員としての自覚と責任と、それを担うことのできる誇りと喜びを、子供たちの中にちゃんと形作っているのです。

過疎化、高齢化、そういう現実のなかでこれらの村々から育った子供たちがどんな花を咲かせていくのか。

それはこれからのことにはなりますが、少なくとも今、ここで育まれているイメージは、子供たちの中にけっしてくらい影を落とすものではないことは、その表情から明らかに見て取れたのです。

関連本文:フォーラム南信州「祭の流儀」(1),(2)

詳細:
フォーラム・南信州「祭の流儀」第1回
フォーラム・南信州「祭の流儀」第2回「ことの神送りを追いかける」
N−gene記事 (いずれも文:宮内俊宏・写真:駒村みどり)
「事の神送り」を追いかける」1〜4
遠山郷・上村中学校のこと

南信濃の子ども

Photo : Midori Komamura

(3) 「イメージ」が支える子供たちは強い 南信濃で出会った子供たち

「ダメだダメだ。今笑ったやつがいた。坂の下からやり直しだ!」

大きな太鼓を背負った(たぶんかなり重たいだろう)リーダーの厳しい声が飛ぶ。一瞬「えー」と言いたそうな表情をすぐに引き締めて、小さい子達は急坂の遥か下に戻っていく。

「ことの神送り」という祭があります。事の神、というのは風邪や厄という「寄りついて欲しくない」神の存在。毎年2月に南信州の飯田上久堅地方で行われているこの祭は、そういう「厄の神」を各家から集めて村の外れの深いヤブに捨てに行く祭。

それを取り仕切るのはすべて子供たち。大人は見守るだけで、寒い冬の空気に顔も手も真っ赤になった子供たちが広い村中をまわって訪れるとぼた餅をふるまってねぎらったり、温かい豚汁で迎えたりする以外は一切手出しをしないのです。

小学3年から中学2年までの地区の子供たちが念仏を唱えて広い村中の家々をすべて訪れます。身体の大きいリーダーの中学生たちは、小さい子供たちを労りつつ、けれど祭のルールや約束事を破ることは許さないからどんなに坂がきつくても、やり直しはやり直し、できるまで何回も繰り返すのです。

息が切れてもそうしてルールを身につけて、小さい子供たちは一緒になって地区の一員として、子供の一員としての「役割」を果たします。家々からはそういう子供たちに「お礼」が手渡されます。集計して祭りの後に均等に配分する、その会計の係も子供たちの役目です。

唱えて歩く念仏は、日が落ちて「夜」になってからは昼間と言葉が変わります。時計はないから空を見上げて「一番星」を探します。見落とさないようにしっかりみんなで探し、一番星を見つけたら夜の念仏にきり変えます。

夜遅くまで、身を切りのどの奥を突き刺す空気の中、各家からの「厄」を集めた子供たちは、翌朝今度は日の昇る前にその「厄の神」を乗せた大きな笹を村はずれに捨てに行くのです。そこでも何回もやり直し。途中での「遊びの時間」には、鬼ごっこのような遊びの中でチームに分かれてほっぺたを真っ赤にしながら子供たちは道路の真ん中で飛び回ります。

そうしてようやくたどり着いた村はずれのうっそうと茂るヤブの奥に、この先の一年の安泰を祈りながら厄の神を捨て、後ろを振り返らずに走って帰る子供たち。その表情に浮かぶのは「満足感」。何回やり直しをしても、それは自分たちが守るべきルールであって、押しつけられたものではないからリーダーがやり直しと言ったらきっちりやり直し、そうしてそういう「大変さ」を感じるから最後まで「やり遂げた」充実感が喜びで顔を輝かすのです。

詳細:
フォーラム・南信州「祭の流儀」第2回「ことの神送りを追いかける」
N−gene記事 (いずれも文:宮内俊宏・写真:駒村みどり)
「事の神送り」を追いかける」1〜4

ことの神送り

Photo : Midori Komamura

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駒村みどり
【すまいるコーディネーター】

音楽活動(指導・演奏)、カウンセリングや学習指導、うつ病や不登校についての理解を深める活動、長野県の地域おこし・文化・アート活動の取材などを軸に、人の心を大切にし人と人とを繋ぎ拡げる活動を展開中。

信州あそびの学園 代表

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(長野県の文化、教育、地域活性化などに関わる活動・人の取材)
【羅針盤】プロジェクトリーダー。

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