(3) 「イメージ」がつなげる親子のきずな 「セガレプロジェクト」
「ずっと、実家の両親には申し訳ないという後ろめたさがありました。」
そう語ったのは、昨年の夏の初めに菅平高原で出会った山本圭介さんです。この日、菅平では40名ほどの若者たちがバーベキューを囲んでにぎやかに交流しました。
この集まりは「セガレ」メンバーの集まり。「セガレ」とは何かといったら……いわゆる農家の二代目世代たち……要するに、農家のセガレたちのグループです。
大都会東京に出ていって、実家でそれまで当たり前のように触れていた「農」と切り離れた生活をしていたけれど、「実家で何作っているの?」という会話をきっかけにつながった3人の「農家のセガレ」。
ちょうど当時、「食の安全」に対しての社会の認識が強まっていたこともあってその3人で「都会では農に関してプロ並みの自分たち。実家で丹精している作物をそういう自分たちが売ったらどうなるだろう?」と思って有楽町の「市」で販売してみたら、完売。
「これはいけるのかもしれない」
そうして始まったのが「セガレプロジェクト」。3人の周りには、同じように実家が農家で、でも都会の大学や会社にでてきて実家とは離れていて、帰りたいけど帰れなかったり、迷っていたり、という「セガレ」や「セガール」たちがどんどん集まって、今では50〜70名ものメンバーが参加しています。
山本さんは、そのうちの一人。実家は志賀高原の麓でりんごと巨峰を作っています。
3人兄弟の真ん中で、お兄さんも東京。実家の農家は一番下の弟さんが手伝っていて、ずっと「弟や実家に申し訳ない」という後ろめたさを抱えていました。
そんな時に友人に教えられてこのセガレプロジェクトのHPを見た山本さん。
「自分と同じような立場の人たちが自分と同じ境遇で実家を継がずに東京で働いているにも関わらず、マーケットで実家の野菜を売ったり商品をブランド化したり、東京で働きながらでもちゃんとアクションを起こしている人がいる。自分も今の環境のままで実家に対して何かできることがあるんじゃないか」。
その“なにか自分もできるかもしれない”という「イメージ」は、山本さんをこのプロジェクトへの関わりへと駆り立てました。
2010年の4月、セガレのホームページに自由大学でセガレの講義(セガレ日和)開催の案内を見て参加。実際に活動しているセガレメンバーに加わって交流するうちにふくらんできた想い。
五回目のセガレ日和、自分だったらどんなアクションが出来る?というテーマの「自分プロジェクト」の発表で、山本さんは自分の出来ることとして「実家と東京をつなげ、実家を楽しくするために」……というイメージのもとに考えたのが「山本園ブランド化計画」。
☆実家(山本園)の作物をブランド化。
☆実家からの直販ではできない“付加価値”をつけて作物をより魅力ある商品に仕立てる。
☆ブランド化した“付加価値”を実家に還元する。
という3つの柱をもとに、実家で作っているりんごジュースのブランド化を企画します。それまでは実家のりんごジュースの売り先は知り合いからの受注だけで、どこかに卸しているわけでもなく、ラベルのない瓶そのままで販売していたそうです。
農作物を「作ること」にはこだわりがあってもそれを「売ること」は視野になく、農協に卸してそれでおしまい、どこの誰が食べているのかもわからない、そんなご実家の状況を見ていて疑問を感じていた山本さん。
きちんとブランド化して直接販路を開拓したら多少高くも売れるだろうし、食べてくれる人の顔も見えるし、買う方からしても安心感がある。日本の農業はそういう方向へ向かうべき……とずっと持ち続けていたイメージが、ここで実際の形として動き始めたのです。