(1) 「イメージ」で言葉は生きて動き出す GOKUのオープンマイク
「今日、ステージでやってくれる人?」
開始早々マイクの前で問いかけがある。その声に応じて数名の手が上がる。
手を挙げたものは一人、二人とマイクの前に立っていくけれど、その手は時間と共に減るどころか増えていく。
ルールは簡単。
持ち時間は一人5分。5分でまだ途中の時は、その先4分59秒まで延長が可能。マイクの前に立った人は、そこで何をするのも自由。もちろん、会場にいる人間にも参加の強制はしない。やりたい人はやる。聞きたい人は聞く。
そのルールに従って、あるものは朗読し、あるものは寸劇をやり、あるものは歌い、奏で、あるものはいろいろ宣伝し、あるものはただその場で思うがままに語る。「マイク」という一つの表現の「場」を通じて、自らの思いや感覚をそこに載せて会場に拡げる。
それが、「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」。主催しているのは、詩人のGOKUさんです。
彼は、朗読をライフワークにしています。だけどメランコリックに語る人ではないのです。
言葉の持つイメージを自らの中で熟成し、そうして生み出した言葉のつながりを自分の体全体で……時には汗だらけになって飛び跳ねながら、時には声も枯れんばかりに絶叫し、時には今にも泣きそうな消えそうな声で……「表現」するのです。
彼の発する言葉は皆、生きています。彼は「朗読」もするけれど、彼の中に取り込まれた言葉は、皆命を持って彼の中から飛び出していきます。その勢いは時に聞くものの胸を貫くのです。
「詩のボクシング」という朗読の大会があって、そこに出場したGOKUさんはそのあたりから「言葉を発する」事を意識しはじめたと言います。
言葉はなにも、メッセージ性のあるものばかりではない、言葉で感じて、言葉で表す……もっともっと言葉遊び的な感覚を大事にしたい。
言葉の意味よりも命を大切に……だから、彼が発する言葉は一つ一つがちゃんと「生き生きと」命を持っているのでしょう。
そんなGOKUさんが出会った「オープンマイク」。
その起こりはラップやポエトリーリーディングのような言葉による表現パフォーマンスによるスポークンワードという芸術ジャンルです。アメリカに始まったそれが、日本で「オープンマイク」として一つの形として拡がってきたのです。
こんな言葉と音との表現の場を自分も作ろう。自らが誘われて体験したそれを、協力者たちの支えの中で月に一度続けているのが「名もなきオープンマイク0(ぜろ)」なのです。
(2へ続く)